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宗教的な人

The Book of Life
12/19のテーマは
The Religious Man

 J.クリシュナムルティの言葉を、
 一日一ページ 、365日分に編集された本
 「The Book of Life」を 一日分ずつやさしく翻訳し、
 気功的な補足や解説を添えています。

 和訳&補足解説 天野泰司


和訳

「神は存在するのか、愛は存在するのかどうかを私は知らない」。
こんなふうに言える、つまり、記憶による反応が全くない心の状態とは
どのようなものでしょうか。

すぐに答えを出そうとしないでください。
「こうあるべき」、あるいは「こうあるべきではない」という、
あなたの考えを、ただ確認するだけになってしまうからです。

「それは無という状態だ」とおっしゃるなら、
あなたは、すでに知っている何かと比較して
そう言っていることになりますから、
「私は知らない」という状態は、そこに存在しません。
どのようなことも発見されうる状態の時だけに、
「私は知らない」と言える心の状態があります。

では、「私は知っている」という人はどうでしょう。
人類の経験を限りなく学び、
重荷のような情報や、百科事典みたいな知識で心がいっぱいになっていて、
蓄積ではない体験を「できる」とでもいうのでしょうか。
それは、とんでもなく難しいでしょう。

これまで身につけてきたあらゆる知識を完全に手放した時、
仏陀もなければ、キリストもなく、師匠も先生もなく、
宗教も何の引用もなく、
心が完全に独立していて何の汚染もされていない時、
つまり、既知の働きが完全に止んだ時。
その時にだけ、とてつもなく素晴らしい革命、
根本的な変化が生じ得るのです。

真に宗教的な人とは、
どのような宗教にも、国家にも、人種にも属さず、
内的に一人、完全に独立していて、
知識から離れた状態の人です。
聖なる祝福とは、そのような人のためにあるのです。

J.クリシュナムルティ  訳・天野泰司


偉い先生はいない

NPO法人気功協会運営責任者 天野泰司

禅密功の創始者、劉漢文先生が1999年に来日され、
大阪での講習前、近くのホテルにご案内し、
日本のお弟子さんとにこやかにお話しされていた時に
ふと耳にとびこんできた劉先生の言葉がありました。
「没有老師」、直訳すると「偉い先生はいない」という意味で、
とても印象に残りました。
翌年、劉先生を中国大連に訪ねた時、
「この宇宙全体の、自然というものがいわば先生で、
私たちは共に学ぶ生徒。小学校の同級生のように
無心になって共に学びましょう」とお話があり、
なんと腰が低くて謙虚な先生なんだろうと感心したと同時に、
それまで10年以上コツコツと真面目に勉強してきた感覚とは全く違う、
ほんとうに豊かな学びの世界へとするすると引き込まれていきました。

そう、ただ謙虚で素晴らしい人柄であっただけではなく、
直接感じ、直接に体験し、直接に変わっていく、
密教的な世界への入り口を開くために、
権威や知識から完全に離れることが
まず初めに必要だったのでしょう。

こうした自然を師とした学びのスタイルは、
年間コースの「気功の学校」や「禅密の学校」の中に
はっきりと受け継がれています。


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