見出し画像

学校や塾から見放される

「新たな落ちこぼしは…」

既に多くの方がご存じのように、学習について行けない子どもは小学1年生から存在しています。この状況は、ゆとり教育時代にも見られましたが、教科書も一新された時期からより目立つようになってきました。民間教育でも、この状況は把握していましたが、低学年指導の必要性というより、経営的な面が目立ち、本格的な学習指導には至っていませんでした。一部幼児教育で行われていますが、本格的指導となるとそれは少数でした。

学習についていけない生徒の状態分析は調査する前から予測はできていました。まず、学習のスタート年齢です。いわゆるヘッドスタートが小学1年生からという子は、1年生から読み書きを始めるわけですが、この割合は低く2~6%前後と予想されます。このことから、我が国では読み書きできる子の割合は高いと言えます。(落ちこぼれ教育論より)この読み書きについてもう少し突っ込んで見ていくと、そのほとんどが「五十音表」どまりであることが分かります。つまり、学習内容が清音に限定される場合が多く、拗音や拗長音など複雑な表現までには至っていません。小学1年生までに、どこまでの指導をするか、1年生の教科書を参考にすると、ひらがなの読み書きについては、清音・濁音・半濁音・促音・長音・拗音・拗促音・拗長音などは全て幼児期に指導を終えておくべきでしょう。そこで、小学校教育へとバトンタッチができます。

ことばの数、語彙数にも偏りが見られることは既にお伝えしたとおりです。言語指導は幼児期にその基礎学習が終了します。すると、ここで幼児期の学習内容に重要な意味があることをご理解頂けると思います。学習の要素に「見る」「聞く」「書く」「話す」「読む」の5つがあります。この要素を具体的な指導として行わなければいけません。そして、これらは幼児の「学ぶ」という意識を開花させます。学習に対する高い意識を持つのは幼児期です。なぜなら、彼らは物事の疑問に対して敏感であり、何より知りたがっているからです。意識の開花は、語彙の高まりと共に集中力を平行して高めていきます。「鉄は熱いうちに打て!」のことば通りです。

意識と意欲、少なくとも20~30年前の子どもには、小学校へ行って「勉強がしたい」と思う子がほとんどでした。しかし、社会に閉塞感が漂いはじめ、経済が疲弊し始めた頃から子どもの意識にも変化が生じ始めました。社会全体に高揚感がないため、子ども達の外へ向かう意識が薄れ、内向的側面を見せ始めたのです。意味のない犯罪、いじめ、虐待、体罰お気づきでしょうか、子ども達がいち早く危険信号を出していたことを、最後の方に上げたことばは、現在大人達に向けられれている問題です。

私たちは、あの忌まわしい「落ちこぼし」などという言葉を早く消し去るべきです。低学年だからと手を抜く学習指導などありません。子ども達に意欲を持って学習に臨んでもらいたい。子ども達が意識して先生の話を聞けるだけの教師でなければならないと思います。低学年指導を甘く見てはいけない、そして、この時期の学習が子ども達の生きる土台となることを認識しなければならないと思います。幼児期の学習の大切さについて多くの保護者の方の理解が必要です。

これからの「落ちこぼれ」は、以前とは大きく異なっています。学習の質が難から難へ行く途中で起こった「落ちこぼし」から、今回は、易から難に向かう過程で起こります。難しい内容、展開の早い授業、学習語句の増という過程で起こる「落ちこぼし」はこれまでとは比較にならいほどの人数になる恐れがあります。学習する気のない生徒、学ぶことを馬鹿にするような生徒は、学校からも塾からも見放される厳しい時代が来るかもしれません。敢えて厳しい見方をすれば、それは当然の結果なのかもしれませんが。

2013/3/24


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?