見出し画像

99点、なぜ叱る

「子どもの成績 目標100点!」

先週末、春期講習が修了しました。初めて参加した生徒は、春期講習で大きく成長しました。入塾の際、保護者の方から「色々と問題を抱えている子なので」と相談を受けていました。学習について行けるかとても心配されていました。「場合によっては特殊学級も視野に入れている」という内容でした。人とのコミュニケーションが苦手な子です。会話も途切れ途切れになります。でも、文字をとても丁寧に書ける子です。こういう子は伸びます。間違いなく伸びます。そう思って臨んだ春期講習でした。

私は、授業の大半を会話に当てました。話を引き出し、話させることを徹底しました。しかし、授業では、他の生徒と区別することはありません。対等に扱います。この子が、長時間の春期講習を「短く感じた」と言ってくれたのです。3時間をぶっ続けに行うハードな授業をです。

最終テストでも好成績、このときの笑顔こそ保護者の方に是非見て頂きたいと思います。この素敵な笑顔、私が独占してしまいました。
「申し訳ありません。」

どこでも同じでしょうが、子ども達は、学校で行われる定期テストテスト結果を必ず報告することになっています。その結果と内容を見て、私なりのコメントをさせて貰います。その際、高得点を上げた子だから誉められると言うことはありません。逆に叱られることがあります。また、40点だから叱られるというもありません。誉められることさえあるのです。これは、それぞれ、子ども達の学習努力を知っているからこそのコメントなのです。ある子は、99点でした。すると、「何で100点がとれなかった!君の実力と努力を考えたら200点でもオーバーではないだろう!」本当に小さなケアレスミスでした。「できない問題であれば、指導する側の問題、でも、できる問題で小さなミスを犯すのは自分自身の注意力のなさ、どうしてこんなミスを犯したのか考えてから説明しなさい。」

このような光景はよくあることです。生徒には全員100点を目標とさせます。その目標に対する努力の結果が得点です。例えば、それまで20点しかとれない子がいます。この子が40点をとった。これこそ努力の結果です。この努力の結果をしっかりと認めてあげなければいけません。点数で判断するとはそういうことです。能力の出し惜しみはしない、努力した結果に胸を張る。でもあくまでも目標は100点なのです。ケアレスミスを意識して、次回につなげる。一つずつ階段を上っていきます。

すると、子ども達は、言葉ではなく実感として「継続」という意味を理解します。継続という意味は、学習においては努力の積み重ねと教わった知識の積み重ねを指しています。ただ無駄な時間を費やす、それは時間的継続です。教育には信念や理念が必要なのです。よく保護者の方は、子どもに対して「自分の為だから」と言います。このとき使われる「ため」とは真に子どものことを指しているとは限りません。時に保護者の「ため」になることさえあるのです。

昨日のTV番組で、遠くばガーナで井戸掘りをする内容のものがありました。1ヶ月も毎日井戸を掘り続け、ようやく水脈にたどり着きます。私たちの生活では当たり前の水、井戸のポンプから出てくる水を、目を輝かせて飲む子ども達の姿に感動するのですが、それ以上に、人のために尽くした人の顔が、これほどまでに清々しい顔になるのかそれに感動しました。

学習において、これは指導する側も、指導される側も同じです。子育ての目標をしっかりと定めていればぶれることはありません。得点が悪い子どももいます。でも、その子自身良い得点をとって誉めて貰いたいと願っているはずです。そんな時こそ私たち大人の「ほんの少しのやさしさ」が必要なのです。ことばは心の栄養にならなければいけません。私はそう思います。だから、99点で満足をさせてはいけないと思うのです。彼らにはもっともっとチャレンジして貰いたい。そして、あの笑顔が見たい。そう感じた春期講習でした。

2013/4/8


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?