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壊れた関係 「独り言」

「先生と生徒」

昨日、川崎の小学6年生の男児が4階から転落したと見られ、意識不明の重傷を負った。状況から見て、4階トイレの窓から飛び降りた可能性が高いと見られている。男児は、宿題を忘れたことで担任から注意を受けていたという。読売新聞の記事によると、「同級生によると、委員会活動前の学活中にも、担任はこの男子児童に「宿題をなめんなよ」と注意。男子児童は「俺は飛び降りてやる」と話していたという。」

この会話の内容に何か違和感を覚える。いったいこれは誰と誰の間に交わされたことばなのだろう。実際にその場に居合わせた訳ではないから無責任なことは言えないが、少なくとも教師と生徒の間で交わされることばではないように思う。教師と生徒の関係はどうあるべきなのか、この20年ほどで大きく変わってきた。かつて、最も尊敬される身近な人は先生であった。だから先生の仰ることに素直に従えた。先生が仰るのだから正しいとさえ素直に思えたものだ。その先生がここまで怒るのだから、自分はしてはならないことをしたのだろうと、反省もした。昔の人は、学校の先生に対し一目も二目も置いていた。先生ということば自体が尊敬語なのだが、そこに様までつけて先生様と呼子とさえあった。

今は先生に対し尊敬の念を抱かなくなったのだろうか。先生に対していわゆる「ため口」をきく小学生も珍しくない。教師は学徳に優れたものという考えがあった。学問だけではなく、徳行にも秀でていなければならない。「宿題をなめんなよ」正直、この先生の気持ちは痛いほど分かる。たぶん、宿題を忘れることが日常茶飯であったのではないかと推察される。先生という存在が絶対であった頃ではあり得ないことだろう。先日もコメントにあったが、感情は時にコントロールできないことがある。それを理性という心がブレーキをかける。叱る場合も、感情的な部分を前面に出すと、相手はそれに反応してくる。感情と感情のぶつかり合いになる。すると心が閉ざされ、感情をコントロールできなくなる。最近、こうした先生方の感情的対応が気になっている。

「俺は飛び降りてやる」という男児のことばも無視はできない。大変申し訳ない言い方になるが、担任を威圧、威嚇することばではないだろうか。ここには、既に「宿題を忘れた」ことに対する反省の気持は見えない。「うるさい大人」としてしか担任を見ていない。既に先生と生徒の関係が壊れているのではないだろうか。これは、双方に問題を抱えている。教師だけを責めても本質的な問題解決にはならない。たぶん、この壊れた関係は全国の教育機関でも見られるのではないだろうか。

壊れた関係は先生と生徒だけではない。人間関係そのものが至るところで壊れかけている。生徒同士にも、親と子にも見られる。今問題視されている食品偽装にも、国民と政府の間でも見られる。それぞれの関係悪化が多くの問題を引き起こしている。

教育では、指導する側、受ける側の信頼が大切だ。最近多くなってきたICT授業だが、人間関係の悪化が招いた結果、情報機器に頼らざるを得ない環境になっているのではないだろうか。本来、教育は人間対人間で行われるべきでだ。それで十分であった。師を敬うことで、自分自身もより以上に高める努力をした。師の読む本を探し、そして読む事で師に近づいていった。しかし、今それが崩れかけている。

このままでは、教育現場に人間の入る余地がなくなるかもしれない。恐ろしいことだ。

また、この件とは関係ないのかも知れないが、子ども達の食に関する問題も合わせて考える必要がある。怒りっぽい、衝動的行動が多い、キレやすい、多動であるという問題行動の裏に過剰な糖分摂取、合成添加物の摂取が上げられている。特に低年齢の子どもほど影響を受けやすいので注意が必要だ。今回の件も、様々な側面からの分析を切望する。誰が悪いと直ぐに犯人捜しをしている場合ではない。11歳の子どもが飛び降りることが既に異常事態なのだから。

■タイルの指導映像
YouTubeにタイル指導の映像をアップしました。10のタイル、かけ算などです。また、本日も割り算編をアップする予定です。是非ご覧下さい。石川教育研究所で検索して下さい。「ielchannel」

2013/11/7


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

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