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家庭学習

「何をしたらいいか?」

以前、「教えない指導」についてお話しをしたことがある。教育という言葉は、教え育てるという意味だが、子どもにとって教えすぎが災いを招くことがある。このことは、意外に現場教師も気付いていない。よく「学ぶ」は「真似る」と言われる。かつての師弟制度では、師が弟子に教えることは主に哲学であり、人間形成にまつわるものであった。だから、教えることは少ない。弟子入りしても掃除や手伝いばかりで、なかなか技を教えてくれない。どうしても知りたければ真似をするしかなかった。五感を研ぎ澄まし師匠の技を盗む。こうした「教え」は、弟子の人間形成にとても役だった。また、弟子の向学心を煽ることになった。「知りたい」という欲求が強くなるからだ。この師弟関係にあるものは、生活習慣そのものを見直し、礼儀作法から全て自立に向けた言わば人生の修行であった。

今を生きる子ども達には学ぶ為の環境が整いすぎている。自ら学ぼうとする意欲もなければ、何故学ぶのかと食ってかかる者までいる。現行教育に未来に向けたビジョンがないように、子ども自身も学習現場で彷徨っている。昨日、年中の子が体験にきた。兄妹皆ある幼児教室に通っていたが、数年前からその指導に疑問を持ち始めたという。潔いというか、皆その教室を辞めたという。兄妹の中では初めての幼児教室だという女の子、次第に声が大きくなってくる。授業を見なくてもやる気に満ちているのが解る。幼児は素晴らしい、間違った教育を受けていなければ、皆やる気で、皆学びたがっている。発音がおぼつかないと保護者から伝えられた。しかし、フラッシュカードの際、必死に先生の発音を聞く様子は、指導の原点が見えてくる。私が行っているカード、いわゆるフラッシュカードには大きな特徴がある。それは、発音の確かさから来る「ゆっくりしたスピード」だ。早ければ良いと言う間違った指導ではない。特に、ことばを発しはじめる頃から、速さだけを追求した指導は子どもにとって凶器と化す。子ども達の指導は難しい。だから大人は教え込んでしまう。そして「わかった?」ということばを繰り返してしまう。教師がこのことばを使うと、意識の薄い子どもは「わかった!」と即答してしまう。この「わかった?」は強制、強要のことばとなってしまうのだ。

自ら進んで学びたいという気持は、年齢が低い場合や、何かのきっかけで勉強しなければと思う時に起こる。しかし、具体的に何をすべきか悩むことになる。常に人を介し教え込まれてきた子は、その対象がいなければ何も出来ない。本を読むことも勉強になる。家の手伝いも勉強になる。こうした学ぶ事自体がわかっていない。だから、世の保護者達は、通信教育を選択し、ゲーム感覚の学習で高い機器を買わされる羽目になる。しかし、学力は横ばいで、その反動は子どもに対する愚痴へと変わる。ここで、もう一度思い起こして欲しい。学習に必要な要素とは何かを。それは、見る・聞く・読む・書く・話すではなかったろうか。この中で、子ども一人で出来るのは4つある。そして「真似る」だ。だから、私は常に「書写」を薦めている。読んでから書く、書いてから読む、教科書を毎日書き写す。この単純な学習こそ、ドリルではつかない学力を身につけることが出来る。

教科書が手元にあると言うことは何を意味しているのか。学習の未来がそこに書かれている。これから習う学習の予測が出来る。勿論、過去にも瞬時に戻ることが出来る。教科書の有効活用こそ、通信教育の数倍の効果が期待できるだろう。

2014/5/28


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

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