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新しい犯罪の兆し 独り言

「佐世保髙1女子殺人事件から」報道の二極化も!

連日トップニュース扱いされる佐世保で起きた髙1女子殺人事件。年頃のお子さんをお持ちのご家庭では他人事と済まされない事件だ。報道からもたらされる情報が断片的で、それも被疑者の異常性をことさら強調する文言の扱い方に疑問を感じる。ネットでは、被疑者の名前、顔写真(父親まで)がアップされ、報道の二極化が始まっている。事実と憶測が乱れ飛び、本事件の本質から次第に遠ざかることを懸念する。

 過去の青少年犯罪は、その犯罪に至る過程で一般的に理解出来ることが多かった。動機が単純であったからだろう。その為、犯罪を未然に防ぐ為の策も比較的立てやすかった。しかし、次第に凶悪と考えられる犯罪が低年齢化し、大人達の想像を遥かに超えた犯罪が目立つようになって来た。これは、間違いなく子ども達の「心の変化」が始まっていると考えられないだろうか。凶悪犯罪に慣れた警察も、多くの犯罪に関わってきた犯罪心理学者も、少年犯罪の凶悪化と多様化に戸惑いを見せているように思う。子ども達の犯す犯罪に、動機が不明となる新たな凶悪化の兆しが見え隠れする。予測を裏切って貰いたいが、今後も今回と類似した少年犯罪は起こるだろう。それは、情報社会と呼ばれる現代だから起こりうる課題であって、好ましくはないが、情報に関する規制が必要になる。今までであれば、テレビやラジオがその対象になっていたが、時代は新たな情報機器を世に放っている。ネット社会・スマホ社会、これら依存症を伴う状況から、適切な処置をしなければならないだろう。このことは、本事件を通して考え直す問題の一つだと思う。

 今回の事件に、私は幼児期からの親子関係、子育てに問題解決の糸口を見出している。報道では、少女から反省や謝罪の言葉が無いことを問題としているが、これは大人における短絡的な問題処理の仕方だろう。この少女には、犯罪という意識がそもそもあったのだろうか。これからは私の推論だ。

 私は、両親が、少女の幼児期にどのような関わり方をされたのかが一つの鍵となるのでは考えている。人は、幼児期に誰もが持つ感情がある。幼児は、自分の身の回りにある全てのものに、自分と同じ感情(心)と感覚(痛み等の)があると思っている。落ち葉一枚にも、「踏まれて痛そうだよ」と感じる。これを児童心理学では「汎心性」という。この「汎心性」を生かし、ことばと共に「心」(人格)が形成されていく。「汎心性」から命の大切さ尊さ、命の意味、そして他人の痛みが解るという心の重要な部分が育まれていく。この時期における保護者の関わり方は、後の子どもの人格形成に大きな意味と影響を持つ。そこで、「そんなもの痛さなんか感じるわけないでしょ」と言い切るとどうなるか、子どもの身になって想像していただきたい。子どもにとって愛おしいものがただの「もの」となってしまう。幼い頃、その仕組みを知りたくてラジオ等を分解したご経験はないだろうかのだ。それが、例えば、動物が対象であったらどうか。そして、母の死に直面し、命というものに興味関心を感じていたら…。(あくまでも仮説だ)

 子育ての変化が、子どもの心や深層心理に与える影響は計り知れない。今回の事件には、こうした幼児期の「心」の形成に焦点があてられてしかるべきだ。乳幼児期からの成長発達に起因していることを改めて認識する必要がある。昨日のテレビでは伝えきれなかった「幼児期に」の後に続く内容がこれだ。この事件が起きた今だけを輪切りにして考える事はできない。この事件の始まりはいつだったのか、次の犯罪を未然に防ぐためにも、「心の教育」は必要最低限の教育となる。

2014/7/31


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

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