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子どもの目

「美しいことば『日本語』」

兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて
忘れがたき 故郷(ふるさと)

如何(いか)に在(い)ます 父母(ちちはは)
恙(つつが)なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出(い)ずる 故郷

志(こころざし)を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷

私の大好きな唱歌「故郷」(ふるさと)です。今、この唱歌を伝えたいと願う人が増えています。しかし、残念ながら日本人ではありません。外国の方々です。様々な国の方が、この「故郷」や「もみじ」等を歌っています。共通するのは、どの曲にも大切に日本語を扱ってるということです。ぎこちない発音もありますが、しっかり音節を意識した発音を心がけています。日本の唱歌を唱われた外国の方々皆が口にするのは、日本語の美しさです。ことばの繊細さです。

私たちは日本語を大切にしているのでしょうか。ことばを大切にしているのでしょうか。改めて「故郷」の詩を読んでみると、自然とメロディーが出てきます。そして、詩に込められた意味を自分に置き換えます。すると、自然に涙が溢れてきます。悲しいわけでもない、嬉しいわけでもない。なのに何故、心に染みてくるのでしょう。これは、私だけの感情なのでしょうか。教育という世界に身を置き、子ども達と接し、思うことは、この美しい日本語を子ども達に伝えていきたいと願う気持です。

数年前制作した高学年の国語教材で、「乳母捨て山」を扱いました。薄れゆく親子の関係を子ども達と共に考え直すためです。そして、もう一つが「唱歌」でした。自然問題を「故郷」に託したのです。子ども達の考え方が現代的に割り切るのか、この教材を製作するときの思いがどう子ども達によって表現されるのか興味深く見ていました。結果は、子ども達の見方、考え方は実にシンプルでした。それは、単純に言い悪いという評価ではなく、疑問でした。「母親を捨てる行為に」あり得ない、何故、でも、おかしい、ふざけんなと感情的なことばまで出てきました。母を捨てるなどあり得ません。答えは最初から出ています。だから、彼らは考えたのです。何故だろう?と
「故郷」についても、同じです。今まで出会わなかったことばの使い方、短い中に何を語っているのか、ここでも疑問が出てきます。ところが、この歌を知らない子が、感覚的に意味を理解したのです。一つ一つのことばの響き、そこにメロディーをつけると、子ども達のイメージする光景が出てきました。日本の原風景です。ことばとは不思議です。

外国の方々がこれほど賞賛する日本語、唱歌、大切なものを見失わないこと、それを伝える事も教育の一つです。特に、ことばの扱いは大切にしなければなりません。幼児教育では、子ども達にその大切なことばを指導します。気を引き締め子ども達に接することが要求されるでしょう。

「信用」という文字、このことばには携わった人々の長い間の苦労と努力が詰まっています。「人の言ったことばを用いて託す。」のですから、裏切ってはいけません。その信用を受け継ぎ守る、それは託されたものが一番大切にしなければならないことです。信用とはお金では買えない、心の評価なのです。老舗ホテル、老舗旅館、老舗デパート、老舗料亭、外食産業に「誤表示」があったと申告する会社が後を絶ちません。「誤表示」とはミスのことです。子ども達にはケアレスミスという単純なミスが良くあります。「誤表示」と言い続けるのならば、これらの場所で働かれている方々の知識や学力は、幼児以下と言うことになります。これだけ多くのミスを犯している、それも会社全体が気付かない。「偽装」をはるかに超える大きな問題です。これでは、信用はおろか人間性も疑われてしまうでしょう。今、「高級食材を使った料理を…」のことばを信用する人はどれだけいるのでしょう。

鉛筆で書いた文字は消せても、一度言い放ったことばは消せません。素直に「偽装でした」と名乗り出る会社が無いことに今の日本社会の現状が浮き彫りされています。

ことばを大切に扱う、やはり「心はことばで作られるのだ」と実感します。子ども達はこうした大人達の振る舞いをしっかり見ています。そして聴いています。今回問題を起こしている方々は、子ども達に解るように、この問題を子ども達の前で説明してみてはどうでしょう。そして、大人として、「けしてうそを付いてはいけないよ」と教えてあげて下さい。子どもは、我が身を写す鏡です。

2013/11/6


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

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