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それでもやる


「なんでこんなことやっているんですか?」


「なんでこんなことやっているんですか?」とよく聞かれます。「コミュニティとつながりが豊かな社会をつくりたい」とか言って、もう18年もやっています。こんなことをずっとやっていて何になるんだろう、と思うこともあります。社会が良くなっていくという確証なんてどこにもありません。

CRファクトリーを2005年に始めたとき、「50年やる」と決めてスタートしました。それは「コミュニティとつながりが豊かな社会をつくる」というテーマ設定が絶対にとても難しく、時間がかかると直観していたからだと思います。いま18年が経って(残り32年で)、この直観はかなり当たっていたと思います。一方で、少しずつ進んでいる手応えも感じています。

仮に50年やったからと言って、それで社会が良くなるという確証はありません。また、もし社会構造が変わって、世の中が変わって、「コミュニティとつながりが豊かな社会」になったとしても、それがCRファクトリーのおかげかどうかなんて証明することもできません。むしろ、大きな社会変化はもっと大きな力によって成されます。自分たちの手柄ではありません。

それでもやる理由


では何でやるんだろう?自分でも困ってしまいます。がんばって活動しても何も変わらないかもしれないし、もし変わったとしてもそれが続くとは限らないし、また元に戻っちゃうかもしれない。こんなにがんばってやっていても、社会や地域の変化に貢献できるとは限らないとしたら、何のためにがんばるのかわからなくなってしまいます。そもそも求められているのだろうか。それすらも不確かです。

それでは、私たちはなぜ活動をするのでしょうか?
何でこんなにもがんばるのでしょうか?

それは、きっと「やらずにはいられない」からです。放っておけない社会の何かや地域の何かや誰かがそこに居る。その社会や地域や誰かには“私”も入っている。何かの原体験や原背景が作用して、活動することが自分の人生の取り組みテーマの一つになっている。そして、未来への希望や淡い期待も入り混じりながら、活動を通して何かを良くしていけるのではないかと心を動かされる。

社会のため、地域のため、誰かのため、そして自分のため。何かを「やらずにはいられない」。そこに明確な理由は存在しません。既に活動をしていること(活動をしようとしていること)がもう証拠であり理由です。いろいろなことがあいまって「やらずにはいられない」のです。

あなたの活動には意味がある


冒頭に言ったように、やっても何かが変わるかはわかりません。仮に変わってもそれが「あなたのおかげだ」「あなたの団体のおかげだ」と明確に評価されるかはわかりません。でも本当はそんなことは関係ないのです。それでも私たちはやるのです。「やらずにはいられない」のです。まるで自分と世の中と神様に何かを奉納するかのように、私たちは活動してしまうのです。そして、楽しくなって、手応えを感じ始めて、のめりこんでいったら、もうそんな問いや不安はどこかに飛んでいってしまいます。

自分たちのやっていることの意義や意味がわからなくなったり、自信がなくなることもあると思います。人が集まらなかったり、一緒に運営する仲間が増えないと、求められていないような気持ちにもなります。この3年間で団体や活動がパワーを失ってしまっていると余計に、これからやることの意味を見い出せずに、まわりにうまく説明できずに、「こんなことやって意味あるのだろうか?」と思ってしまうときもあります。

もし私が神様になれるとしたら代わりに言います。
「あなたの活動には意味がある。あなたの活動には価値があるよ。大丈夫、がんばって。あなたの活動には意味がある」と。社会のため、地域のため、誰かのため、に活動することは尊いことだと思います。活動して、人や社会と響き合って、自分もまわりも社会も一緒に良くなっていきたい。がんばりましょう。

by CRファクトリー 呉 哲煥

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