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ロックンロール富士山

自分がめちゃダメな時に救ってくれた音楽。音楽みたいな抽象的で曖昧なものに救われるようなダメさなんて本当にダメなのかってことだけど。そんな甘えた感情でさえ受け入れてくれるような日本語の詩を音楽に乗っけて投げかけて来る歌手。いや、もはや超歌手。そのアーティストは自分にとって神様以上の存在でなかなか言葉にできないし。ここで語るにも気構えが半端ないから、いつか生きていたら語る日も来るかな的なことにしておく。密室で自分に向き合うことに息苦しくなって車で目的もなく東名高速。その車内で延々聴いていた音楽。そしてふとフロントガラスに現れるでっかい富士山。自分にとっては超歌手が奏で歌う音楽と富士山はセットになって自分を守ってくれていると思ってる節がある。この超歌手の音楽に出会ってからたくさんのジャンルの音楽を貪るように聴くようになった。自分の音楽のルーツみたいなのって、YMOとボブマーリーなんだなというのもたくさんの音楽の海を彷徨って自覚できたことだ。人の嗜好ってやっぱり偏ってると思う。たくさんの音楽を聴いているようで、受け入れたくないものは無意識に避けている。仲間という前提みたいなものがあるバンドという概念はモロ自分的にはNGなんで。バンド音楽。ギター、ドラムがドカジャカなってる音楽が自分のプレイリストに入ることはほぼない。でもバンドの中でも特別枠っていうのが自分にはあって。その中にあるバンドはヘビーローテーションだったりする。オアシス、ニルヴァーナ、ソニックユース、レディオヘッド。などなどです。わりと普通ですね。何をして特別枠と語るのか自意識過剰じゃない?。なのですが、聴いてて気持ち良いからプレイリストに残ってて、わりと飽きない音楽の中に残っているバンド音楽というニュアンスなんです。バンド音楽。ロック。こういう音楽の言葉。説明するような知識もないし。聴いてて気持ち良いみたいな感覚で浸っている音楽で十分自分は満足なので深入りはしないんだけど。音楽の演奏スタイルやジャンルを越えて、自分が求めているものってあります。時間を経て熟成して価値が生み出され、人々が絶賛されている音楽ってのに一ミリも共感できない。それって音楽だけじゃないくて、絵画だって、料理だって、あらゆる表現、作品。全て同じ。音楽で使われる言葉でロックに近い言葉でロックンロールってあるけど。一見、音楽のジャンルを表す言葉に思える。チャックベリーやらビートルズやらプレスリーとか。でも今時ロックンロールと捉えられるイメージからはかけ離れてる。自分が思うロックンロールは銀杏BOYZとか神聖かまってちゃんや超歌手なのであって、縁側でお茶すすりながら聴く懐メロではない。ロックンロールってのは転がる石に苔は生えないって感じのイメージ。どこかに転がって行くかわからん石。安定もないし平和もない。けど何にも塗れない純粋で強い意志は失せない。かっこよすぎる定義なんだけど。自分が生きてるリアルはクソであっても思い描く理想くらいはそうあってほしい。そういう理想を体現してくれるのは音楽だけではない。超歌手&神様の周辺で知った素敵なアーティストがいます。この文章のタイトルに富士山を冠しているのですがやっとここで富士山登場。富士吉田市出身のアーティストです。アーティストって括り。めんどくさくてわかりにくいぜー!!だよねー。きっぱりさっぱり言うと絵を描く人です。さいあくななちゃん。彼女の描く作品はまさにロックンロールです。何年も前から彼女が描く世界を遠くから見ているのですが、未だにどこに転がって行くのかわからないスリリングさに満ち満ちていて目を反らせません。昨年、彼女のライブペインティングを見たのですがまさにロックンロールっていう概念をめちゃくちゃ意識させられて涙出そうになりました。富士山に向かう途中に富士吉田市が見渡すおり、この街のどこかにあのライブの時の絵があるんだなあって感慨深いことになるんです。その時車で鳴ってるのは超歌手。今年になってフジファブリックも入ってるけど。日本人の心とか誇りみたいなステレオタイプの懐メロ富士山じゃないロックンロール富士山。そんな富士山に自分は生きながらえさせてもらっています。

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