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fluctuation

極めて激しい気候地帯というほどでもないのだけれども割と変化に富んでいる自分が住んでる場所。
極東の島国の太平洋に面したとこなんだけど。
ここは一年というスパンの中で定期的に季節というものが移行する。
安定している時期から移行期に入ると空模様とか気温とかがめくるめく派手に展開される。
ここに住んでる人たちは詰まり気味になる会話をこういう気候の変化を話題にして繋いでいくのを常にしてたりなんだ。
気候ってのは人の気分に大きく作用する。
空が暗けりゃ暗い気分になり。
雨が降れば涙もこぼれる。
雲に切れ間が見えたら希望が湧く。
実際人ってこんな単純じゃないんだろうけど。
それに同じような気候が続ければ人の心も常態を保つし。
でもね季節の移行期の真っ只中にいる時。
自分という枠の外で展開してることに心の琴線が揺らされるんだ。
こういう揺れが音楽と共振する。
ここに住んでる人たちは自分たちでものを作り上げるって努力はサラサラする気は無いんだけど、人が作ったものを見つけて盗む能力には長けている。
故にたくさんのものが溢れてかえっている。
そういうのって魂の貧困って視点から言うと悲しいことなんだろうけど、ま、お腹いっぱいで生きてられるんだからいいんじゃないみたいな、だよね。
なので、あらゆる場所で作り出された音楽もここには満ち溢れている。
外の世界と自分という認識してる内の世界の揺らぎを共振させる音楽も多種多彩の美味礼讃状態なのである。
それでね、今の自分と外の世界の揺らぎを可視化すると。
ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」なんだ。
揺らぎが揺れになり波になり激震になり振りちぎれそうだよ。

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