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高いところからしか見えない景色がある。

頑張っても頑張っても報われた感覚が持てない時。
1つ壁を乗り越えたと思ったら、また新しく更に大きな壁が姿を見せた時。
必死でもがいているその隣を、自分よりも軽やかに、そして優雅に駆け抜けていく誰かの存在に嫉妬する時。

何かを頑張っていると、いやでも「この努力に何の意味があるのだろうか」と思わされることがある。

旅路はいつだって長く険しい。魅力的なショートカットなど見せかけに過ぎず、常にコツコツと一歩ずつ進むしかなく、進めば進むほど背負った荷物は重くなっていく。そんな人がほとんどだろう。

今から10年以上前、大学受験のために夏期講習に通っていた頃、英語のM先生がこんな話をしてくれた。

別に良い大学に行くことが人生のゴールでもないし、良い大学に行ったから幸せになれるわけでもないんですよ。

志望校に合格できなくても、偏差値の低い大学に通うことになっても、あるいは大学に行かなくても、幸せそうな人はたくさんいるし、実際に幸せになることだってできます。

そもそも長い人生の中で、どこの大学に通うかなんて、そんなに大きな意味を持つわけでもないんです。

ただね。

高いところからしか見えない景色があるんですよ。

それだけはわかってもらった上で、今から本番までの時間を過ごしていただきたい。以上です。

M先生は普段からとても腰が低く、生徒からもその所作や話し方をよくモノマネされるような先生だったが、その話をしているときは、嘘のように教室中が静まり返り、皆がその先生に畏敬の念を抱いたようだった。

何かに頑張れば頑張るほど、人は傷つくというのも事実だと思う。

傷ついて傷ついて傷ついて、それでもまだ先が見えない、それが何かに対して頑張っている人の視界なのであり、それこそが宿命なのかもしれない。

そんな状況で、周囲からは「そんなに頑張らなくてもいいじゃないか」という声をかけられ「別に頑張らなくても幸せじゃん」っていう正論を投げかけられる。

確かに、それは純粋すぎる正論だと思う。

別に頑張らなくてもいいし、頑張ったからといって幸せになれるわけでもないし、頑張らなくても幸せになることはいくらでもできる。
というか、そもそも人は生きているだけで幸せを感じられる生き物だとも思う。

ただ「高いところしか見えない景色がある」というのも絶対的な真理だ。

別に学歴が良いとか、大企業に勤めているとか、年収が高いとか、定量化できる価値だけを指して「高いところ」と言うわけではない。

本気で生きているとか、誰かのために生きているとか、本気で頑張ったことがあるとか、毎日が自分なりに充実しているとか、定量化できない点もまた「高いところ」に通ずるのだと思う。

ただ、東大理Ⅲに合格した人にしか見えない景色が、年収で億を超えた人にしか見えない景色が、甲子園に立った球児にしか見えない景色が、武道館でライブをやったバンドマンにしか見えない景色があるのも、揺るがない事実だということもまた、決して無視できるものではない。

人生は人それぞれだ。

価値観は人によって変わるし、そもそも生きてる限り、日々大切にしているものだったり価値観や人生哲学は変化していくものだ。

時には立ち止まったり諦めてしまいたくなる時もあるだろうし、僕もそういう時が何の前触れもなく、唐突に訪れることもある。

そんな時は、おまじないのように心の中でM先生の言葉を思い出す。

「高いところからしか見えない景色があるんですよ」

30年ほどの人生を振り返ってみても、頑張ってよかったことの方が遥かに多く、本気でぶつからなくて後悔したこともまたとても多い。

きっとこれからも悩んだり迷ったりしながら、時々M先生の言葉を思い出して、また次へと進んでいくのだと思う。

これからも、自分だけの景色を更新していけるように。
1人でも多くの人と、その景色を共有できるように。

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