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過去の辛い記憶の定義を書き換えるために

その当時は「めちゃくちゃ辛くてたまらなかったこと」が後々で振り返ってみたら「あの辛い経験をしておいてよかったな」と思えるのは誰にとってもよくあることだと思います。

例えば、大学受験。

当時は好きなことの優先度を下げて1日中勉強をし続けなければいけない辛さだったり、あるいは「落ちたらどうしよう」という不安だったり、周りの友達と比べて成績が伸びない焦りだったり、人生でこんなに苦しいことがあるのだろうかと思ったりしたものだけど、振り返ってみたら「受験レースを経験しておいてよかった」と心から思えたりもします。もう1回やれと言われたら絶対に嫌ですが。

社会人1年目の時に、今でも鮮明に記憶に残っているのですが、「ボウリング場クレーム事件」という、僕のこれから先の人生でも絶対に忘れることのないであろう事件が起きました。

ネーミングだけ聞くと、ボウリング場の客が店員にキレた事件のように思えるかもしれませんが、決してそういう話ではありません。

僕が飛び込み営業した先の見込み顧客が、僕の説明の仕方が気に食わなかったとしてクレームの電話をかけてきたのですが、その時、僕は職場の新入社員歓迎会でボウリング場にいたのです。

そのクレーム自体は、こういう営業の仕事をしていたら致し方のないことだったように思います。(そんなに怒るようなことかと未だに思いますが)

ただ、向こうも尋常なく怒り心頭になってしまい、20分経っても30分経っても話が終わる予感がなく、延々と人格否定をされ続ける始末。

しかも、こちらもボウリング大会の真っ只中でして、先輩に「今お客様からお叱りの電話をいただいたので、僕の代わりに投げておいていただけませんか?」とお願いをしても「ダメだ。お前の歓迎会なんだからお前が投げろ」とよくわからない理屈で、申し出を拒否されるわけです。

先輩も怖いし、クレームの電話もいよいよ理不尽の絶頂に達しようとしている。

最終的に僕は約2時間くらいクレームの電話に応対しながら、最後までボウリングの球を投げ続けるという地獄のような時間を過ごすことになりました。多分、いや確実に、向こうもこちらの状況に何となく気づいていたでしょう。

その事件が起こってから1ヶ月くらいは「こんな最悪な出来事はもう2度とないだろう」とか「この出来事は記憶の底に封印して絶対に思い出さないようにしよう」と思っていましたが、それから5年以上が経った今では不思議と「良い思い出だったなぁ」と思えるようになっています。

今は独立して一人でビジネスをやっていますが、何かしらのビジネスをやっている限り、大なり小なりのトラブルに遭うことは不可避と言っていいでしょう。

僕の周りのフリーランスの方々や起業家の卵の方々を見ていると「そんなこと気にしすぎなくていいのに」ということで心が折れてしまう人も結構います。

そんな時に、あれほど「こんな経験二度としたくない!」と思っていたボウリング場クレーム事件を思い出して、みんなもっとわけのわからないクレーマーと接する機会があったらよかったのに、などと思ってしまうだから不思議なものです。

大前提として、僕は理不尽なこともクレーマーも、モンスターペアレンツもモンスターカスタマーも、ネットで誰かを叩くことが趣味の人も、正義マン(?)もみんな嫌いですし、この世からなくなればいいと思ってます。

ただ、現実問題として、理不尽なことも、自分の思い通りにならないことも、他人に攻撃的な人もこの世からいなくなることはないわけで、自分を不幸せにするあらゆる事象とうまいこと共存して生きていかないといけないわけです。

そう考えると、記憶からあらゆる英単語が抜けていく絶望感と戦った浪人生時代も、あのボウリング場クレーマー事件も、あるいは深夜のコールセンターでひたすらクレーム処理をしていた新入社員時代の経験も、全てが大切な糧になっていると思うんです。

別に仕事の話だけじゃなく、綺麗事抜きで、過去の辛かった思い出が未来の成功体験の礎になっているなんてことはよくあることですよね。

好きだったAちゃんに告白をしたけど失敗をした。その失敗経験を活かして、次は違ったアプローチをとって、また好きになったBちゃんと付き合えた、みたいなことは誰にでも経験があると思います。

よく「未来を変えれば過去が変わる」と言いますが、理想的な未来を実現するためにもがいていると、いつか過去に起こった出来事の定義づけが脳内で書き換えられるものです。

それがいつになるかわかりません。僕もそれから数年は電話もボウリングも大嫌いになりましたし、飛び込み営業のせいで住宅街恐怖症にもなりましたから。

でも、今が充実していれば、過去に起こった辛いこともプラスに捉えられる日が来るものですし、仮に今とても辛いことがあるのであれば、それを信じて「いかに充実した未来を手に入れるか」にフォーカスをしていくといいと思います。

ふと、よく知らない街で寂れたボウリング場を見かけて、そんなことを思い出しました。


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