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村田峰紀さん「Share」(多摩美術大学八王子キャンパス彫刻棟ギャラリー,2023/6/5-30)

タマビに限らず、学内の展示へ伺う際に少し緊張するのは、場所にもよるけれど守衛さんのところで手続きしないといけないからで、この日も来校者名簿へ記名し、起伏に富んだ構内をしばらく進むと会場の彫刻棟があった。
出入口から斜めに垣間見えた展示空間の中央あたりには40~50型くらい?のモニターが床置きされており、おそらく先週(6月24日)行けなかったパフォーマンス、SNS越しに見たその名残であることが見てとれた時には中に入っていて、左奥に2歩くらい離れた位置にももう1台、同サイズのモニターが置かれていた。
外から見えたモニターが、出入口からだとだいたい直角に縦置きされているのに対し、もう1台のモニターは「へ」の字の右側ぐらい傾いていて、画面も奥の方を向いていて、回り込んで改めて見ると、映っているのは当日の記録だった。

黒いスラックスに白い無地のワイシャツを入れたフォーマルな、何か式典にでも参列するような出で立ちをした、しかし裸足の村田さんが、右脇に折りたたみ椅子を挟み持って直立しているのは彫刻棟の外、より正確に言えば、手前の坂道から見てギャラリー出入口のさらに奥で、そこから厳かに入場していくと、中では20~30人ほどの観客が、作品を鑑賞しつつ村田さんの登場を待っていた。
パフォーマンスのはじまりを察知した観客が、スッ…と端へ身を滑らせていく中、村田さんも無言で進み入って、出入口から見て中央左寄りのあたりに折りたたみ椅子を広げると、その丸い座面に掛け、それまで左手に持っていた細長い紙箱(モニターから視線を少し下にやると、傍に黄色い箱が落ちていて、トンボの8900番鉛筆と書かれていた)から黒い棒を取り出して、ポッキーみたいに食べ始める。これが、噂で聞き知っていた「鉛筆を食べるパフォーマンス」であることはすぐに見て取れて、口の中に含んで、噛んで、そして吐き出すのだと勝手に思っていたそれに、嚥下している雰囲気があって、おそらく芯(後で漏れ聞こえてきた話によると、市販されているわけではなく、鉛筆を燃やして芯だけ取り出しているらしい)をそのまま、というよりは咀嚼に伴う唾液を飲み込んでいるのだろうけれど、それでも体内に薄墨のようなそれが少しずつ接種されているはずで、時折、噎せるように黒々とタール状の液体を噴き出したかと思うと、ところどころ粒だった黒い流体が、Yシャツの前身頃をまだらに染めており、床にもちらほらと“墨痕”が落ちている。
墨を吐く、というと安直ながらイカやタコが思い浮かぶけれど、イカ墨が食用に適している一方、“タコ墨”とはそもそもあまり呼ばれないことが示すように、このふたつは墨と言っても異なるそうで、タコがまさしく煙幕ならば、イカの墨は分身の術らしい。つまり、相手の眼前に、粘り気があって栄養豊富な墨を吐き出すことで、それが身代わりになるという仕組みのようで、この「鉛筆を食べるパフォーマンス」が《セルフ》と題されていることを踏まえると(村田さんのポートフォリオサイト http://mineki-murata.com/index.html を参照)、アーティストでありパフォーマーである村田さんと、生身の村田さんとの関係にも通ずるかもしれず、このパフォーマンスは、その“二者”が向き合う、というよりせめぎ合う時間なのだろうし、フライヤーに記載されている「作品・私・それを見る人の三角の関係で~」という言葉にも通ずる気がする。

映像のボリュームが絞られているのか、あまり音の印象はない(むしろ2階から流れてくる記録映像の声の方がBGMのごとく鳴り続けている)けれど、2021年の10月に開催されていたグループ展「食と現代美術vol.8『アートと食と街』」(BankART Station & KAIKO)、そこで拝見した村田さんの《voice》という映像作品で、マイクスタンドに取り付けた木炭を齧り“歌う”たびにガリリッガリリッ…という音が響いていたように、現場では芯を噛み砕く音が生まれていたはずで、それがどんな音なのか定かではないし(2019年にオンゴーイングで開かれた個展「ボーダーマン」に小川希さんが寄せた文章 https://www.ongoing.jp/year/2019/border/ では「ポリポリ」と形容されている)、そもそも鉛筆の芯をあれだけ大量に含んだら、口内にどんな暴力的な味わいが広がるのか、見当もつかない。
そのわからなさ、見当のつかなさということは、村田さんのもうひとつ代表的なパフォーマンスである《背中で語る》、自ら着こんだ白いYシャツの背中へ、クレヨンなどで後ろ手に描く(あるいは掻く)というものにおいて、観客からは背中のどこに色が置かれ、どこが“未踏の地”なのか一目瞭然なのに対し、村田さんご本人には見て取ることができない(たしかこの日のトークで、背中のどの辺が塗ってあって、どの辺はまだ塗っていないのかを一応はイメージしている、みたいなことをおっしゃっていた気がするけれど)こととも通ずるだろう。そして当たり前ながら、ドローイングの際、ペン先が背中を掻く感覚は見ている側には想像するしかできなくて、村田さんのパフォーマンスには、同じ場を共有しながらも、徹底的に見聞きし感じているものが違う、断絶の雰囲気が漂っていて、それは村田さんの語る“言葉への不信”みたいなものとも繋がるかもしれない。
しかし一方で、床に散らばっている細かな黒い破片、金太郎飴のごとく円柱形を比較的保ったまま噛み折られたその形状からは歯ごたえが伝わってくるようだし、そこから、弾けるようなパキッという音が奏でられたかもしれない…と、想像をめぐらすことはできて、先ほどは“断絶”という強い言葉を使ったけれど、むしろそれは、それぞれが個として存在するための輪郭のようなもので、その間を想像という営みが橋渡ししていることを実感するための距離なのだろう。

床には芯の欠片だけでなく、赤・青・緑・ピンク…のマジックが、蓋と本体に分かたれつつ散らばっていて、「鉛筆を食べるパフォーマンス」から続けざまに行われた《背中で語る》の勢いが留められている。
映像中では、スラックスの両ポケットから取り出したマジックでひとしきり「かいて」はそれらを投げ捨て、また別の色を“装填”し…という一連の挙動が二丁の拳銃を携えたガンマンのようで、そして、「かく」行為が結果として生む所作、たとえば手を大きく広げたり、小さくジャンプしたり(このジャンプについては、ゲストの二藤建人さんがトーク中に指摘していらして、その後見直してみると、たしかに、届けと言わんばかりに地を蹴る一瞬があった)ということは、もちろん村田さんが自らの意志で動かしているのだけど、しかし同時に動かされている気配もあって、その受動的、というか他律的な動作は、舞踏にも通ずると思う。

この6月にサブテレニアンで開催された、舞踏家の阿目虎南さんによるワークショップに参加した際、イメージに基づいて身体を動かしていく、あるいは身体が動かされていくことを束の間体験できて、たとえば、頭のてっぺんに付いた“糸”を引っ張り上げられるイメージで直立したり、逆にその糸を緩められることでだらんと上体を倒したりした(この時、腰から伸びる別の糸も同時に想像していて、だからこそ下半身は直立を保つことができる)。
その他にも、周りの空気が“液体”となって、それが流れるプールのごとく時に速く、時にゆったり対流し、その流れに腕が、足が、全身が動かされる…といったような、いくつか別のイメージでも身体を動かして、こうした“外部の”力によって動きがもたらされる感じは、村田さんの身のこなしにも、特にパフォーマンスが始まって少ししたあたりから感じられる。
それはおそらく、背中が色に満たされていくごとにある種の制限が生まれ、そこから逆に新しい動きが要請されるからで、そうしてだんだんと自我や意図によるコントロールが手放されていくにつれ、背中に定着されていく描線と並走するように、生まれた途端に霧散していく身体の動きも、ドローイングの一部として見え始めるのだろう。しかしそれは映像や、観客の記憶の中に一連の流れとして刻まれていくはずで、あたかも絵巻物の異時同図のように時間が堆積していくことも、やはりダンスに近しい(ダンスはパフォーマンスの一部なのだろうけれど、パフォーマンスが全てダンス的ではないはずで、その“ダンス的”ということを、それまでの所作の“残像”が、コマ撮り写真のごとく残り続け、場に影響し続けることではないか、と今のところ考えている)。

そして、仮にシャツの背中を塗りこめることが第一義として制作されれば、おそらくペン先の届かない、両の肩甲骨を結んだ横一文字に白い部分が残されると思う(現にBankART Station で、現在開催中の「BankART Under 35」と併せて過去の出展作家が特集されていて、そこに展示された村田さんの《背中で語る》を見ると、折り重なった色が繁茂する苔のような深みを見せる中、背中には肩甲骨を長辺とする、逆三角形に近い台形が白く残っていた)けど、トークでも語っておられたようにそれ自体は重要ではないらしく、今回のパフォーマンスでも、白い部分がちらほら残された状態で終了した。それもやはり、終えた、というよりも、たとえば雨が止んだと言った時の「止んだ」に近い印象を受ける。

《背中で語る》を見る機会には、まだあまり恵まれていなくて、この3月にオンゴーイングで開催された「松本力さんを応援する展覧会」、その中の「power to power」という、西原尚さんとの即興ライブパフォーマンスではじめて拝見した。その時も、今回も、これまで知識として持っていたイメージ(これまた村田さんのポートフォリオサイトで、豊富な「Shirts Collection」として閲覧できる)よりも“薄塗り”な印象で、それは時間的な制約や、場の雰囲気の影響がもちろん強いだろうけれど、“完成させる”という意思からの離陸にも見えて、観客にとってはもちろん、ご本人にとっても、もしかしたら終わりが来るまで終わりとはわからなくて、より即興に近づいているのかもしれない(その後アトリエで加筆され、また別の時間が降り積もっていく可能性もあるけれど)。

この日のパフォーマンスで使われたシャツそのものも展示空間に残されてはいるものの、BankARTのように“きちんと”広げて展示してあるわけではなく、モニターの右脇(映像が正立となる方向から見て)へ置かれた椅子の背もたれに、あたかも無造作に折りたたまれ掛けてあって、あくまで作品というよりは、散らばる鉛筆の芯やマジックと同じく、パフォーマンスの痕跡として位置づけられているよう。
ここで今、これまでなるべく使わないようにしていた「痕跡」という言葉を使ったけれど、それは村田さん自身、作品をパフォーマンスの“痕跡”として捉えてはおらず、むしろパフォーマンスが「定着」されたものという言い方を、今回のトークでもステートメントでもされているからだ。しかしここでは、ギャラリーの床を大きな支持体と考えた時、黒い染みやボールペンはあくまでその上へ一時的にのっかっているだけで、鑑賞者によって踏まれたり蹴とばされたりもしているだろうし、そもそも会期が終われば掃き清められてしまうもののはずで、ひるがえって、村田さんが作品を痕跡ではなく定着だとおっしゃる必然性が感じられる。
しかし、定着と痕跡という言葉はきっと共存するもので、たとえば展示空間のあちこちに配された《both》、同じ題のものとは思えないほどそれぞれに異なる操作が行われているものの、ベニヤ板を支持体としていることは共通しているこれら作品群を間近で見てみると、ボールペンによって削られた木材は、ある段階からはむしろほぐされているようで、繊維状を通りこして(かつお節の)削り粉みたいになっている。そうした箇所には、一見かろうじてくっついているような木片もあって、それらが、展示中や搬入・搬出時に、たとえばマーク・マンダースの彫刻、その下に敷かれたビニールシートへ細かに降り積もった粘土?の粉のように落ちていくこともあるかもしれない。別に、そうして落ちた一部は作品と呼べるのか、ということをはっきりさせたいわけではなく、むしろ曖昧なもののはずで、村田さんのパフォーマンスが定着され出来た作品の中にも、その表層には“痕跡”へと転がり落ちるそのせめぎあいがあって(そう考えると、2階の細長い展示スペースで、手前の記録映像から奥の《filter》へと至るその間に挟まれていた《Identity Types》は、鋳造されているため物質的にはもちろん、作品としても堅牢だけれど、だからと言って《both》よりもパフォーマンスが定着されている、というわけではないのが興味深い)、一方で、村田さんが発している「ミンミン…」とも「ウィンウィン…」ともつかないホーミーのごとき声や、「ガリガリ」「ザリザリ」「ジャリジャリ」と、パフォーマンスの進度/深度に応じて変わっていくボールペンの音色は、そもそも定着させることはできなくて、痕跡(パフォーマンスの“残り香”)・定着(作品)・記録(映像)が、それぞれに異なる性質を持った媒体として補い合った先に、村田さんご本人が立ち現れる気がする。

映像中でシャツを脱いだ村田さんは(この時背もたれに服を掛けたのだろうか)、今度はそのままモニターを、今この映像が映し出されている1台をリュックサックのように背負うと、パフォーマンス開始からずっと床置きされていたもう1台のモニターへゆっくりと、弧を描くように近づいていく。
床のモニターには当日記録されていた映像が、背中のモニターには、村田さんの左の鎖骨あたり、おそらく肩紐に付いたと思しきカメラが撮す手元の映像が、それぞれリアルタイムに流れており、村田さんが床のモニターにうずくまるように近づくと、床のモニターにも、“床のモニターの前にうずくまる村田さん”が映し出されていて、さらに背中のモニターにも、その映像の映像が、村田さんの動きの結果として撮られている。
村田さんは、背負ったモニターの裏面に備えつけられたペン入れから、後ろ手にボールペンを1本取り出すと、画面にゆっくりと大きく円を描きはじめて(2階に展示されている「引込線/放射線」の《drawing 08.09.2019》記録映像でも、開始直後は助走/序奏のごときゆっくりとした所作からスタートしていた)、村田さんを囲うように見つめる観客と、その中心でうずくまる自分、そしてその背中のモニターに小さく映し出された姿…をモニター上でひとしきり確認するように何周かし終えると、にわかに力を込めて、小さな円を時計回りに素早く描き、画面を削り取りにかかる。
記憶違いでなければ、この時の村田さんは終始右手で、それも一貫して時計回りにペンを動かしていたけれど、「引込線」の方では、両手に握り持ったペンを交互に使っていて、一連の回転の中で時計回りから反時計回りへ、素早く切り替えたりもしていた。「引込線」のパフォーマンスが2019年で、今回が2023年で…ということを踏まえると、ついこうした変化が年月による変遷、たとえば村田さん曰く、10年前くらいにパフォーマンスの“声変わり”を果たし、倍音が出るようになったことなどと同列に扱いたくなるけれど、もちろんその時のコンディション(今回はモニターを背負い、左肩付近?にカメラを付けていた)だったり、パフォーマンスを行うときの姿勢(「引込線」の方は窓枠に対して立っていて、今回は床置きのモニター前に屈んでいた)によるものだろうけれど、モニターを背負う、床に座って描く/掻く…という判断自体は為されているはずで、偶然にも見える所作も、村田さんによる選択の連続の一端ではあるだろうし、定着されていくものも、厳密に言えば違うはずだ。

そうして定着された選択の連続が、今、私が見ている眼前のモニターの斜め右、2歩くらいの位置に寝かされたもう1台のモニターの表面に刻まれていて、村田さんが跪いたあたりに同じくしゃがんでみると、モニター左側、ちょうどご本人の映っていたあたりが特に深く抉られているらしく、掻き取られた偏向フィルター越しに螺旋状の光が、生存証明のごとく漏れている。
モニターには、パフォーマンスが始まってわりとすぐに映像が映らなくなってしまったけれど、それでも通電している黒い画面には、村田さんが円を描くのに合わせて、というよりそれが原因となって、ペン先からほとばしるように閃光が走っていた(昔、携帯ゲーム機の画面を指の腹で押して遊んだ時は、これとは対照的に、海面に広がった重油のような影ができたけれど、これは画面の色の違いによるものだろう)。加えて、黄色・紫・青緑…といった色の束が、モニターの短辺と平行に数本走っていて、画面右側は、葉の表面に入った“ふ”のように、一部が白くなっている。

それまでモニターの長辺側にしゃがんでいた村田さんは、今度は右の短辺に移ると、縦長になったモニターへなかば覆い被さり一層激しく削りはじめ、画面に白く発光する「欠け」を作った。その欠けの輪郭が存外なめらかで、小ぶりな川原の石をひとつ置いたようなのに対し、記録映像の映るモニターから見て斜め右に吊られた《filter》、そのアクリル板に穿たれた穴はもっと稜線がギザギザとしていて、海面にいくつも浮かぶ島のようだ。
同名の作品は、振り返れば後ろにも、見上げれば吹き抜けの2階にもあって、それぞれに大きさは違えど、赤・青・オレンジ・黄緑…と、色とりどりのアクリル板がテトリスのように上下に積まれ、かつ前後にも互い違いに重ね合わされひとつの作品となっていることは共通している。
展示室側(2階のものは通路側)を表だとすれば、壁や吹き抜けに面した裏面とは、同じ作品でも色味が違って見える。たとえば表から見ると赤い正方形に見えた一角が、裏から見ると青みを帯び、正方形としての輪郭も朧気になっていたり、あるいは表からだと暗い染みのようだった箇所が、裏から見ると鮮やかなきみどり色の穴だったりと、アクリル板同士が重ね合わされているからこそ、表裏で色の混じり合う順番が反転される。
加えて、アクリル板の表裏を、村田さんの削った方が表面とするならば、板を穿つ穴の向こうからは、背中合わせに重ねられた板の裏面が覗いていて、毛羽だって白みを帯びた表面とはまた違う、たとえば水中の気泡が水面まで上がりきる前に凍って、それを上から見たとしたら、手前から奥へと球面が入り込んでいくような奥行き感が生まれると思うけれど、ちょうどそんな風に描線にも奥行きが生まれていて、カラフルな光ファイバーが埋め込まれているようにも見える。
こうした反転(この言葉もトークで出てきて、お相手の二藤さん曰く彫刻的な概念らしく、たとえば人間がひとり立っているとして、その周りの空気はその人間の雌型みたいになっている…ということを、言い回しこそ違えどおっしゃていて、その時、私は阿目さんのワークショップを思い出していた)は、木版画作品《background》(2014)と《RGB》(2017)の関係にも似ている。そもそも版画には反転の要素が含まれているけれど、この2作品にはもうひとつ反転しているポイントがあって、それは前者が凸版として刷られているのに対し、後者は凹版という点で、あくまで現物ではなく画像(http://www.editionworks.jp/works-murata/)を見ただけに過ぎないけれど、《RGB》の方が、アクリル板を裏から見た時の浮き上がるような感じに近い気がする(色味も関係しているかもしれないけれど)。

線を“裏側”から見ることができるのは、《see through》という、樹脂ウレタンを素材とする同じく透明な作品でもそうだったけれど、こちらではむしろスケートした後のアイスリンクをそのまま切り出して吊ったような外観が印象的で、横から見ると、1階から2階へと上がる動線方向を向いた側がデコボコとしている反面、1階展示空間側はつるりとしている。そして表面には気泡?のような粒々が、あたかもドローイングの集中している箇所から発生し、画面全体へ波及したかのように行きわたっていて、デコボコと波うった表面と合わせて妄想すると、もしかしたらまだ軟らかい、固まりきっていないところへペンを走らせたかもしれなくて、だからその“渦巻”によって、画面が泡立っているのかもしれない。そして画面が波うっているのは、硬い表面を削り取っているのではなく、軟らかな面を、まるで海を割るみたいに引き裂いているからかもしれず、これらはまったくの妄想で、制作過程はまるでわからないけれど、線1本1本から素材感が伝わってくるという点ではあながち間違ってはいないはずで、村田さんは、様々な素材にドローイングを施すことで、それら素材によって定着されるものがどう異なるのかを検証しているのだろう。
吹き抜けの1階から2階へと至るその境目あたりに、高めに吊られた《handwriting》も同じくウレタン樹脂を使っているものの、こちらはモビールのようで、くるくるとした一筆書きの溝に樹脂を流し込んで冷やし固めた…かどうかは分からないにしろ、そんな制作風景が想像できて、《see through》と《handwriting》も、《background》と《RGB》と同じく反転の関係にあるのかもしれない。

これら透明な素材に対して、《both》で支持体として使われている木材では、今ドローイングを施している面から、その裏側の面を見ることは当然できない。だからこそ、タイトル通り表裏で趣きが違っており、それは穴(貫通していないものは“窪み”と呼んだ方が正確かもしれない)の位置はもちろん、特に出入口から見ると右奥の、壁と円柱の間に配された作品のように、展示室側の面が赤・青・緑とカラフルな一方、壁側の面はモノクロになっている顕著な例もある。
こういった表裏の違いは、支持体が単なるベニヤ板ではなく、たとえば、入り口から見て中央やや左寄りに置かれた《both》に取っ手が付いていて、クローゼットの扉を連想させたり、あるいは左隅に立てられたものに、天袋の戸板?が使われていたりすること、そして扉や戸が向こうとこちらを繋ぐ境界上のもの(「境界」という言葉もステートメントで言及されている)であることと呼応するようで、もちろん《filter》が連想させる窓もその内に含まれるだろう(《drawing 08.09.2019》に至ってはもろに建物の窓を、しなり具合から言ってガラスではなくアクリル板に差し替えている気もするけれど、それでも使っている)。
ドローイングを施している最中にその裏面を見られない点、加えて、こちらとあちらとを繋ぐ境界上のものである点で、モニター(村田さんの所属ギャラリーである rin art association のWEBサイト http://rinartassociation.com/artist/1918 によると、作品名としては《scratch the TV》らしく、タイトルの後ろに番号が付されるよう。)も木材と同様だけれど、ベニヤ板なら“かき”破ることができるのに対し、モニターをボールペンで貫通させることは、通電している危険性もあり(おそらく)できなくて、かつ、扉ならば破ってふたつの空間を繋げることができるけれど、モニターを壊したところで、数ある経路のひとつを潰したに過ぎない点で異なっている。
この“届かなさ”は、《私は多くの『ノーコメント』を語る。》をはじめとしたシリーズで、いくら多くの辞書にドローイングを施し、その結果として破り貫いていっても、そこに記されている言葉自体を傷つけることはできないこととも似て、ひるがえって、ベニヤ板も、ただそのものではなく、「目の前の規制みたいなものを突き破りたい」(愛知芸術文化センターが2021年6月に発行した、AACウェブマガジン vol.108 に掲載されたインタビューhttps://www.aac.pref.aichi.jp/aac/aac108/contents/202106/index08.html による)がための代替物らしい。
そのことは、会場の床に何本もボールペンが落ちている一方で、同じ空間にある芳名帳の上にも、型こそ違えどペンが置かれ、さらにはタマビに入構する際に寄った守衛所にもあって…と、なじみ深い道具であるボールペンを、彫刻刀の“代わり”として使うこととも通ずるようで、さらには、木の板をペンでガリガリするという行為自体も、私には少し覚えがあって(小学校の机には、私がやったものを含め、子どもたちが代々思い思いの筆記具で重ねた傷が、藁半紙の上の線をがたつかせるほど刻まれていた)、村田さんのパフォーマンスには、そうした馴染み深い感じも含まれている気がする(というよりむしろ、現代美術全体に、批判的に子ども返りするみたいなところがある気がする)。

誰にとってもなじみ深い道具で、戯れに一度はやってみたことがある行為(机をガリガリすることだけでなく、ペンでぐるぐる円を描くことまで含めれば、もっとたくさんの人が馴染みを感じるだろう)を、パフォーマンスとして改めて提示するという手つきからは、専門性をあえて避けるような態度も感じられて、そうした方向性のひとつの到達点として、このGWに行われた村田さんと小林晴夫さんによる企画展『Platform || Pause - rest+restore 休日のプラットフォーム「休養と回復」』(BankART KAIKO)で披露された、24時間の“パフォーマンス”《私と一緒に過ごす休日》があったように思う。このパフォーマンスはタイトル通り、5月6日(土)の17時に展示会場で集合してから、翌日同時刻までのまるまる24時間を参加者と村田さんが共に過ごすというもので、その様子、というか途中参加者のための現在地、履歴のような報告が、ご本人のツイッターにてリアルタイムに投稿されていた。私は翌日最終日の14時頃、在廊されていた村田さんに合流しただけで、たかだか3時間しかご一緒してはいないけれど、それでもロールプレイングゲームになじんだ者としては、村田さんの“パーティー”に参加した心地(参加者の証として渡されるシールが、それに拍車をかけている)だった。
そして16時頃からは、共同企画者の小林さんとのクロージングトークが急遽開催されて、たしか小林さんが、「これも(村田さんの24時間)パフォーマンスの一部です」みたいなことをおっしゃっていたのが印象的で、「24時間共に過ごす」「トークで話す」という行いの底に、常に「いる」という事実が、最も普遍的で“強い”パフォーマンスとして展開し続けていたことは、何もアーティストである村田さんが“特別”だからということではなく、誰もが佇んでいるだけで周囲の人に影響を投げかけているという当たり前のことの延長で、ある一部の専門家にしかできないことをするのではなく、みんなが“できる”ことを突き詰めていくことで、誰も見たことのない風景へ到達していくというところに、村田さんの作品、というより実践の魅力があるような気がして、それは狭い“専門性”みたいなものにはやはり収まらないだろう。

みんなが“できる”ことを突き詰め、誰も見たことのない風景へ到達していくことには、きっとある程度の負荷が必要で、たとえば言葉、それも外国語ではなく母語のことを考えると、無自覚なスペシャリストとして日常困らない程度には言葉を駆使できるけれど、ある時期の子どもが一日に10語のペースで言葉を獲得していくような勢いは、もちろん続きすぎてもおかしなことにはなるけれど、それでも衰える、というよりは油断していると使い慣れた言葉だけを使い続けることになって、下手に上手いからこそ変化が生まれない。そんな中で、たとえば子どもや外国の方に母語を教えることが、教える側の言語能力をも賦活するように、村田さんもあえてパフォーマンスに負荷、制約をかけているように見えて、たとえば今回で言えば背負ったモニターがそうで、床のモニターが光る板に成り果てる前から、村田さんの手元が、より正確に言えば、モニターとその上で動く右手だけでなく、床と立て膝の足元も映っていたけれど、それは単に観客からは見えにくいアングルの映像を見せるというよりは、むしろ背負ったモニター自体の重み(40~50型くらいだとしたら、7~8キロだろうか)を感じさせて、一方でモニターを“破壊”しつつ、もう一方で押し挟まれているみたいにも見える。
こうした制約は、《背中で語る》はもちろん、首から下を箱の内側へと閉じ込めた「ネックライブ」や、その構図を反転させ、頭に箱を被せて床にドローイングを“かき”続けた「ボーダーマン」(共に会場はオンゴーイングで、前者が2014年、後者が2019年)にも近しく、あえて違った負荷をかけていくことで、慣れや惰性に陥ることを避け、常に違った景色を求め続けるようで、そう考えると目の前のパフォーマンスはそれ自体完結しつつも次なる境地への訓練の意味合いもあって、幾度となく繰り返される円運動、少しずつ表面を「欠く」その一周一周に、やがて向こう側へと達する予感が含まれているように、鑑賞者はその過程の中にすでに達成を見ているのかも知れない。

それに、パフォーマンスは何も観客の前だけのものではないらしく、普段の作品制作も、アトリエ内の非公開のパフォーマンスとして行われているらしい。そのことを踏まえると、床に落ちた何本ものペンは、今回のパフォーマンスのために用意されたものだけれど、すでに完成作として展示されている《both》や《filter》の制作に使われたようにも見えて、パフォーマンス前は端正な個展会場だったであろう空間に、アトリエ的な雰囲気も加えられたことは、村田さんが実践されているパフォーマンスが、日常と地続きであることとも通ずるだろう(トークの後半、普段の生活のことを尋ねる二藤さんに、村田さんが日々の農作業についてお話しされていたことを、今更思い出した)。
アトリエの気配を留めていると言えば、出入り口から見て右奥に吊るされた《both》もそうで、穿たれた穴から流れ落ちた発泡ウレタンが、支持体の下辺のあたりに堆積し固まった様子からは、おそらく立てて制作し、その際にアトリエの床まで垂れて、しばらくそのままになっていただろうことが窺える。かつ、屈んで下から覗くと、ウレタンの底には塵のような黒い破片なんかも吸着されていて、もしかすると、これまで制作された作品の欠片も含まれているかもしれない。

そしてこのウレタンは、会場にいらした村田さんが他のお客さんと話しているのを漏れ聞いた限りでは、どうやらベニヤ板に開いた側面の穴から注入し、そして表面の穴から漏れ出させているらしい。他の《both》でも、たとえば出入口から見て右手に吊られたものは、押入れの引戸のような支持体に開いた穴へガラスが、あたかも土から顔を出した霜柱のごとく顔を出していたり、あるいは円柱と壁の間に配されたもの(先述の、表がカラフルで裏がモノトーンのやつで、ウレタンの《both》から見ると左手に位置している)の穴からも、ところどころ辞書の頁と思しき紙が覗いており、日本語アクセント辞典なのか、横書きの「トリモドス」というカタカナ、その「リモド」の上に傍線が引いてある。
板と言うと、素朴に一枚の板を思い浮かべてしまうけれど、当然ながら合板もあって、特に今回、支持体として多用されている戸や扉なんかでは、四角い骨組みの両面に薄い表面材を貼ったフラッシュ扉・フラッシュ戸と呼ばれるタイプのものがあるらしく(恥ずかしながら知らなかった)、ウレタンが横穴から表面へと流れだせたのも、板の内部が中空なこのタイプの戸が使われたからなのだろう。
それはもちろん、コスト的な面もあるだろうけれど、一方で中空であることは象徴的でもあって、たとえば両面にひとつずつ穴を開けたとしたら、それらが仮に離れた場所に位置していたとしても、薄板2枚の間に広がる真暗な空虚によって繋がれているということで、もしこれが一枚板ならば、貫通させない限り両面は繋がらないし、さらに貫通した穴がふたつあったとしても、それらは別々のままだろう。
言い換えれば、2枚の板は中空を「共有 share」(この言葉は展覧会タイトルであり、ステートメントでも印象的に使われている)しているからこそ繋がっていて、それは、記録映像や作品、その場に残された痕跡から、居合わせなかった当日のパフォーマンスや、アトリエでの制作を想像することとも通ずるようで、まさに作品が、作家と鑑賞者を結ぶこの中空のようなものなのかもしれない。

モニターを削り終えた村田さんは立ち上がると、少し離れて背中のモニターを下ろし、入念に2枚のモニターの位置を調整する。だいたい今の配置し直すと、両手を腰高に、Wのごとくゆるく曲げ、背中を反らせて上げた雄叫びはモニター越しにはよく聴こえなくて、その叫びを、今も想像している。

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