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花には水を、人には愛を

【2018.10.14の記事です。amebloから移動しました】

昨日、ベトナム人夫婦と仲良くなった。

すごくあたたかい気持ちになったので、忘れないうちにブログに残しておこうと思う。

-----出会ったベトナム人のご夫婦は70代。

約40年前のベトナム戦争時、1歳、3歳、5歳、8歳と4人の子ども達を抱き抱えて、死にものぐるいでベトナムからインドネシアに逃れてきたそう。

お金が一切ないから、食べるものも寝床も確保できず、頼れる知人も1人もいなければ、助けを求めたいのにインドネシア人とは言葉も通じず。
 何とかインドネシアに逃れてきたはいいものの、「もう家族で心中するしかない」と腹をくくっていた矢先、たまたま道で出会ったインドネシア家族が「うちに来なさい。生きましょう」と声をかけてくれたんだって。

「何から何まで助けてもらいました。その家族とは1年間、ずっと一緒に暮らさせてもらったの」と。 

「今は合計6人の子ども達と、8人のかわいい孫たちがいるのよ」と嬉しそうに家族写真を見せてくれながら、「でもね、死ぬことを本気で覚悟した私たち家族が今こうして幸せなのは、あなた達インドネシア人のお陰でしかないの。皆さん、私たちに優しくしてくれてありがとう。本当にありがとう。ずっとお礼が言いたかったの」と、今日初めて会った私たちに、何度も何度も涙を流しながらお礼を繰り返してくれた。

何だか涙が出た。
隣を見たらアリフも泣いていた。
 

「あぁ、この味だよ!この味!」と、ガラム(インドネシアの強いタバコ)を幸せそうに味わい、

「これこれ!懐かしいなぁ。毎日食べたんだよ」と、テンペイゴレン(豆腐揚げ物)を嬉しそうに何個も何個も食べ、

「あぁ、こうしてインドネシアの皆さんとテーブルを囲めるなんて、夢みたいだ。さぁ、皆さんも食べて食べて!」と、海にいる私たち全員のご飯やビールを振る舞ってくれた。


ご夫婦はずっとインドネシアにいたいとも願ったけれど、1980年に帰国することになったそう。

当時は携帯もメールアドレスがないのはもちろんのこと、きちんとした住所もなかったから、インドネシアの家族と連絡先の交換は何もできず、「いつか必ず戻ってきます。また必ず会いましょう」という約束だけして。

「その約束を励みに、これまで生きてきましたよ」と言いながら、ご夫婦は来週、40年ぶりにジャカルタに行くことを話してくれた。1年間一緒に暮らした、大好きな家族に会いに行くんだって。

「私たち家族を受け入れてくれたご夫婦は、当時50歳を越えていたたから、恐らくもう亡くなっているとは思います。本当はもっと早くインドネシアに戻ってきたかったんだけどねぇ。毎日一生懸命働いていたら、あっという間の40年だったなぁ」と。

「だけど、どうしても彼らの子どもや孫や、インドネシアにお礼が言いたくてね、インドネシアに来ることを決心したんです。私たちはそんなに裕福ではないからね、恥ずかしいけど、70代にして、人生初の海外旅行なんですよ」と話してくれた。

「こうして明日を夢見る君たちみたいな若いインドネシアの人たちと時間が過ごせて幸せだなぁ。インドネシアに来れて良かったなぁ。平和で良かった。生きてて良かった。ありがとう、ありがとう、ありがとう」と、再び涙を流すご夫婦と、何度も何度も何度も乾杯をした。


ご夫婦が帰った後、夕日を見ながらやさしい気持ちやあたたかい気持ちに包まれていたら.....

「俺、海外旅行なんて金持ちのすることだと思ってた。バリが好きだし、バリで幸せだし、他の国に行ってみたいなんて思ったことなかったけど、ちょっとベトナムに行ってみたくなっちゃった」と、ワヤンが話してくれた。

「Nozomiがいないと何話してるか分からないの、ちょっと悔しかったな。ちょっとは英語できるようになったつもりでいたけど、もっと話せるようになりたい。もっと世界の色んな人と沢山の話ができるようになりたい。波やご飯の話だけじゃなくて」と、トムが話してくれた。

あぁ、世界は美しいと思わずにはいられない。
「花には水を。人には愛を」だ。

Be kind whenever its possible, its always possible.
(ダライ・ラマ)

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