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ポッポ

春休み育児に疲れて、
自然をめがけて檜原村へドライブ🚗

かわいいポッポと目があってついつい連れて帰ってきてしまった。
一度目が合うとじーっと見てしまうお目目をしている。かわいい。
薄汚れていたので、家に帰ってからルーターで磨いた。
思えば昔から何かとフクロウを集めてしまう気がする🦉

昨日、夜痒みで眠れなくて
自分の痒みや思考とぐるぐる向き合っていたとき
ふと突然、
小さい頃の思い出を振り返った後

"女性として生きたかった"

という言葉が出てきた。

かなり自分の女性の部分に対する嫌悪感も柔らいでいたけれど、
だからと言って自分が女性として生きたいのか?と自問してみると
"それは嫌だ"
という自分が強くあった。

これまでの、
男でも女でもないポジション
女として生きるのは嫌だけど、
別に男になりたいわけではない、
というアイデンティティがかなり強固になっていたから、
そこを無理に変えようとも思っていなかったし、
性別にもこだわって来なかったけど、

それゆえに突然の自分のその言葉に驚き。

女性として生きたい、
というよりも
女性として生きることを
"大切に思っていた"
という感じだった。

ずっと否定してきたのも自分自身なのだから、
許してあげることも自分でできるのだろうな。

まだ実際に言葉に出すには抵抗があるけれど
自分からそういう言葉を聞くことができたということを喜びたい。

(メモ)

女性として生きるということは何ら難しいことではない
あなたがあなたとしてありのまま生きればいいだけのことだ
自分の全てを否定しなければいいだけだ

人生は悲しむためや苦しむためにあるのではない

何かに寄生して生きることは悪いことではない
誰かに頼ることは悪いことではない
"共生"
共に生きることこそ、生命の基本
誰もが何かに寄生して生きている
そもそも地球という生命に皆根を生やして生きているのだから
誰かに寄りかからず生きようなんて
そもそも無理なお話だ
諦めて共に生きること
そして自分の生命に集中すること

寄生しなきこの世では生きられない
地球で生きる醍醐味である
誰かに寄りかかったり
何かの影響をうけることは醍醐味である
この星で味わえることである
存分に自分以外のものとの関わりを楽しむといい

愛でないものを通して愛を知ることができる

なんかあるんだけど
あるのはわかるんだけど
わからない…が
繋がった!
今日はまさに自分のインスピレーションに注目するといい、という感じがして
その通り気の向くままに行動していたけどまさにだった

昨日のアレと、これとがピースのなのはわかってて、全容が見えずだった。
どちらかというと昨日はアンラッキーデイだと思っていたのに、
それにもやはり意味があった。

点と点が、繋がるこういう瞬間があるから楽しい。浮かんだものは現実になる。

#メモ
#記録
#日記
#自分のための
#アウトプット


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