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【自己と向き合うということ】


子供が産まれてこんなにも
一本のベルトコンベアに乗せるような社会構造になっていることに絶望した

本当に幼い頃から、
コントロールしようとするものがあまりにもたくさんある

それらを避けて生きることはとても覚悟のいることであり、鍼の目を通るようなこと

最初はその全体の仕組みがわからず
自分が悪いのだと責めた

自分の生き方を見直す中で、
もちろんあらゆる選択は自分の責任だと思っているが、
もっともっと計り知れないほど大きな仕組みがあることがはっきりと見えてくる

その規模は到底敵わないと思えるほど大きく、絶望という言葉がピッタリだが

絶望した後、やはり一瞬回って自分という個に原点回帰し、希望を見出す

はじめは生きることに精一杯で
俯瞰する余裕もなかったが
自分を知り、自分と向き合い、自己をとことん受容し、自分で自分の責任を引き受けた時、

従うものは自分の心となり
他人にハンドルを握らせるような他責の生き方は終わり、
あらゆる基準は自分の中にしか無いことがわかり
外に正解を見出したりする必要がなくなり
個に力が戻る

それによって外からのコントロールは無効になる

産まれた時からガチガチに固められていた構造の中に飛び込まされ
どっぷりその中に浸かり生きながらも
そこから抜け出して
個の力を取り戻し
完全な個として生きる

ということをしているのだろうと感じる

外に判断基準があると不安や恐怖を抱く
不安や恐怖は人間をコントロールするのに最も手っ取り早い

あらゆる判断基準が全て自分の内側に在るということは最大級の安心感になる

自己受容は自己信頼、安心に繋がっていく
自分を信じられないから、外に基準を持つという悪循環

まだまだ無知なことばかりで
自分の未熟さに
特に自分の子供を前にして
あまりの責任の大きさと孤独感に泣きそうになる時があるけれど

無知であるこからこそ
余計なプライドを捨てて、
わかりません知りませんできません
助けてください、教えてください
と傷つくことを恐れず

その上で必要だと思うことは取り入れ
不要なものは自己の中で精査し、
自分のちっぽけな脳みそだからこそ
学ぶことを放棄せず続けていきたい

長く生きていたらその分知識が増えていくことは当然だが
知識だけでは動かせない
知識があって、知恵があって、愛がなければならない

批判ではなく、正しさを振りかざすこともなく、広げていく方法があるのでは無いかと思う
その時に初めて人物事が動くのだろう
それを試行錯誤模索している過程

私にはまだ動かせるほどのものは無いけれど、できることを地道にやって、
実体験を元に表現していくしかないのだろう
飛び級できることではない
もどかしいけど経験でしか語れないものがある

起きたことや既に在るものは
なるべく歪みなく受け止めて
自分やあらゆることの不完全さを赦し
その上でこれから自分にできることをやっていく

長年自責の念を持っていたけれど
ただただ自分を責めていても何も生まれない

色んなひとがさまざまな方向からアプローチしているが
私なりの方法でやっていく

自分の感覚を取り戻すということは
自分の中の自然と不自然を見分けられるようになるということだと思う
倫理や道徳を捨てた先の感覚 

絵は私にとってそれらの感覚を取り戻す大きな役割をしてくれた

"免疫とは自分と自分以外のものを分けること"という言葉を思いだす

肉体同様に
思想や観念の免疫も取り戻す

自分外のものとの関わりをもつ中で、
快、不快等の心の動きで気づくことができる
他を見て自己を知ることができる

そう思うと嫌な出来事も嫌な人もクソみたいな社会も、全部自分との違いや自分の中の自然を思い出させてくれるものなのだなぁと思う。

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