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【第1回】ノリと勢いで研究室に突撃したら世界が変わった


はじめに

 すべりそうで公開するのが恥ずかしいなと思いながらも、こうして筆をとることにしました。きっかけは、ある方の一言でした。その方は、今でこそ仕事も僕自身の成長の面でもとってもお世話になっているものの、ずっと僕にとっては雲の上のような存在でした。初めて会ったときに、いつかメンターになってほしいなと思っていたので、まずは今こうして関わり続けられる環境にとても幸運を感じています。
 そんな方から「稲川君のことをもっと発信したらいいんじゃない?」と言ってもらったので、そうかやってみようと思って書いています。

 もう一つの理由としては、ジュマ・ネットの活動上、どうしても口を開くと複雑な政治の話や課題の話ばかりが並んでしまい、なかなかその奥にある想いの部分や僕の感情、これまでの歩みに関しては表現する機会が少ないと思った部分もあります。

 いずれにせよ、ただでさえ連続で投稿するつもりなので、できるだけ読みやすく、直接活動に関係ないことも含めて楽しんで読んでもらえるように書きたいとおもっています。

スタバでバイトしていた大学生がNGOに人生をかけようと思った話

 これから全7回くらいでお届けする連続企画では、「スタバでバイトしていたごくごく普通の大学生が、なぜNGOに人生をかけようと思ったのか」という僕自身の変化と、その挑戦した先で感じた失敗や苦しさをすなおに書いていこうと思っています。

一時期は、卒業したらそのままスタバの社員になって"いい感じ"に生きていくのもいいなと思っていました。でも、いろんな出会いが重なり、やがてNGOの活動にかけてみようという決意が固まりました。これはその数年間を記したお話です。

 これを通して、僕自身、そしてジュマ・ネットのことを知ってもらえたら嬉しいです。

入学式。4年間、たぶんこの人だ。

 時間はさかのぼり、2016年に戻ります。僕は高校をなんとか卒業し、それ以上の危うさでなんとか大学に進学しました。とはいえ、何か明確な目的や挑戦したいことを胸に進学したわけではありませんでした。
 
 小さな頃から「なりたいものランキング TOP 3」は消防士、警察官、自衛官。高校までずっと野球をしていたこともあり、とにかく体を動かすことが好きで、その力で人を助ける職業にはヒーローのような憧れがありました。入学式のその日まで、僕の夢は変わらず3つのどれかになることでした。それが、入学式のその日に大きく変わりました。

高校3年生までとにかく野球、まいにち野球の日々。

 入学式が行われ、そのまま教室に移動してなんとなくオリエンテーションがはじまりました。大学生活に関するいろんな書類が配られる中、僕は「こんな雨の日にどうやって大量の冊子を持って帰ろうかな」と迷いながら話を聞いていました。すると、学科の教授陣の自己紹介タイムが始まりました。確か1人あたり30秒くらいでつぎつぎ交代していくスタイルでした。

 その中に、下澤教授(静岡文化芸術大学教授、ジュマ・ネット共同代表)がいました。何を話されていたかはあまり正確には覚えてはいません。ただ、その時に身体に電撃がはしったような感覚を強く覚えています。

「4年間、たぶんこの人だ」
 
 なぜ下澤先生だったのか、なぜあの時あれほどに衝撃を受けたのか。後から考えてみても、あまり理屈でうまく答えられないのですが、とにかくその一心で心は舞い上がり、早くこの人と話したいという気持ちに駆られました。

 興奮冷めやらぬまま研究室を訪問。先生のもとで勉強したいという気持ちを伝えました。正直その時は、先生の専門分野もよくわかっていませんでした。

 そんな謎に目を輝かせている学生の質問に対する答えとして返ってきたのが「国際協力」であり、「バングラデシュ」でした。つづけて、「国際協力のプロになりたい有志の学生が集まる勉強会があります。毎週月曜日の放課後に開催しているので、ぜひ来てみてください。」と次の機会を提示してもらえました。

有志の勉強会。1年生の時は毎週緊張しながら参加していた。(右手奥のグレーの服が稲川)

 面談自体は10分程度だったかと思うのですが、僕は今後の学生生活へのワクワクを胸に研究室を後にしました。今、あの時のワクワクした気持ちの理由を振り返ると、半分はこれから未知の世界が待っているという感覚、もう半分は先生と関われるチャンスを得たというのが正直なところだったかなと思っています。

 こうした形で、僕はよくわからないまま、いつの間にか国際協力の世界の扉を開くことになったのでした。

次回予告(18歳、インドでちゃんと人生観を変えられるの巻)

 こんな感じで、ノリと勢いで国際協力の世界を知った僕は、少しずつ国際協力とは何なのかということを学び始めました。毎週の勉強会は、めちゃくちゃ専門的な言葉を発している4年生たちに萎縮しながら、必死についていく日々でした。
 そんな中、夏休みに先生のインド出張についていけるという大きなチャンスがやってきました。これを逃すまいと希望して、人生初の海外渡航に意気揚々と飛び込みました。それは非常に貴重な経験であると同時に、自分自身の無知さや無力さを感じる旅でもありました。あの時、あのタイミングでインドに行ったということが、その後の僕の学生生活を大きく変えました。

次回は「第2回:18歳、インドでちゃんと人生観を変えられるの巻」です。


 ここまでお読みいただきありがとうございました。またよければ次回も読んでくだされば嬉しいです。

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