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わたしが、のぞみ。

全国のおちん殿たち、こんにちは。

はじめましての人も私のことをいつもTwitterで見てくれている人も興味をもってくれてありがとう。

最近、ありがたいことにTwitterで「のぞみってどんな人生を歩んできたのか気になる!知りたいからnoteとか書いて。」というDMをたくさんもらうようになりました。

だから、今回は

「わたしがどんな人生を歩んできて、どのタイミングで性に対してのリミッターが外れたのか」

それをみんなに知ってもらうために、このnoteを書こうと思った!
でも、いざかいてみると一人じゃ全然かけなくて、最終的にライターさんにお願いすることにしました笑!

そしたら全部で4つのエピソードの結構なボリュームになったんだけど、自分で読んでみてもすごく面白いものになってて驚いた。

おもしろかったら引用リツイートとかで教えてね。必ずリプライするから!

ライターさんと打ち合わせしてがんばって作ったnoteだから、最後まで読んでくれるとめっちゃうれしい。では、私の家族と幼少期の話から見ていきましょう。


▶ エピソード1「わたしの幼少期と家族」

 
 私は東京都に生まれ、父と母と弟の4人暮らしという普通の家族構成で育ち、ある点を除けばいたって普通の幼少期を過ごしてきた。

 その”ある点”とは「両親がめちゃくちゃ金持ち」というものだ。

「東京で家族経営でやってる小さな会社」といったレベルではなく、「大学生の新卒就活でも耳にすることもあるレベルの巨大企業」の社長。それが私の父親だった。そして父と母で会社の株式を持ち合っているようで幼少期から何不自由ない生活を歩ませてもらってきた。
 そして、私は幼少期からめちゃくちゃ美人だった。自分で言うのも恥ずかしいけど、謙遜はしないほうがむしろ清々しいと思うので、はっきり言いたい。私は小さいころからきれいな顔をしていてめちゃくちゃモテた。

 そんな小さいころから美人な私を、両親は死ぬほど過保護に育ててきた。 

 小学校時代は両親から異性と話すことを禁止され、家には必ず4:00には帰宅していないといけなかったし、テレビは絶対に親の許可がないと見れなかった。バレエとピアノの習い事や塾に通わされていたせいで友達と遊ぶ時間はほとんどなかったし、本当は興味があった漫画も読ませてもらえなかった。

とにかく、両親からの束縛にあふれた幼少期を過ごしてきた。

そして、私は勉強が得意だった。
毎日友達と遊ぶ時間を削って勉強し続けたこともあって、中学受験では「〇〇中学校」という中高一貫の名門エリート女子校に入学することができた。
この時、両親はめちゃくちゃ喜んでいた記憶がある。「〇〇中学校」は両親に「絶対あの女子校に入って欲しい」と小学校のころから言われ続けてきた学校だった。無事入学できた私はそのまま中学校でも勉強に全力をそそいだ。

中学に入ってからも親からは異性と話すことは絶対禁止させられた。
話したことのある異性は父親と歳の離れた弟だけ。それが普通だと思ってた。おそらく女子校に入学して欲しかったのも、異性と話させない環境に私を閉じ込めるためだった思う。

 学生時代にやりたかった全てのことを両親に抑え込まれてきて育ってきたせいで、私の両親に対するヘイトはとても大きなものになっていた。

でも、逆らうことができなかった。

子供にとっての親はそこまで大きな存在だったのか、と大人になって思う。
「逆らうことだってできたんじゃないかな」と考える人もいるだろうけど、当時の私には両親に逆らうなんて考えられなかった。

そして、私にはさらに辛いことがあった。

それは私自身が生まれつきめちゃくちゃ好奇心が強いことだった。

勉強が得意だったのも、いろいろな物事について深く知りたいという「知的好奇心」が高かったことが理由だったと思う。

小さいころから本当は何にでも興味があって、
「色んなことを知りたい、経験してみたい」と思っていた。

とくに話すことを禁止されていた男の子に関しては、かなり興味があった。

私は顔面が美人だったのもあって、小学校時代に10回くらい告白された

でも、その度に無条件で断らないといけなかった。たとえ、相手の男の子に興味があったとしても無条件にNGを出さないといけないのは、とてもつらかったけど、それ以上に両親に逆らうことが怖かった。

 だから小学生時代は親に隠れて、告白してくれた男の子の似顔絵をノートに書いて持ち歩いたりしてた。それくらい好奇心をこじらせていた。

そのまま中学時代も勉強だけをやっていて、3年間を終えた。

私は全ての好奇心に蓋をしたまま、エスカレート式で高校に進学した。

そしてこの高校で、私の人生を一変させる転機が訪れる。

▶ エピソード2「わたしの転機:高校」

高校に進学した私は、相変わらず勉強ばかりしていた。

ただひとつ変わったことといえば、仲の良い友達ができたことだ。
 その友達とは中学校からの知り合いだったけど、高校に入ってから同じクラスになったこともあって急に仲良くなった。その友達はめちゃくちゃ可愛くてクラスの中心人物。なんで私なんかと友達になってくれたか本当に不思議だった。卒業してから聞いてみたら「のぞみの顔がめっちゃかわいかったから、毎日その顔面を見たかったから」らしい。この顔面に産んでくれた両親には感謝…。

高校1年生の夏のある日、その友達が

「近くの男子校の学祭があるみたいなんだけど、のぞみ一緒にいかない?」

と誘ってきた。

すごく興味があったし、行きたかった。でも、両親から異性との会話は禁止されているし、男子校の学校祭なんて一番ダメなイベントだと思った。

でも、友達は「親に内緒でいけばいいじゃん、一緒に行こうよ。のぞみが男に興味津々なの、わたし知ってるよ」と半ば強引に誘ってきたので断り切れずに行くことになった。

ここが私の人生の転機だったと思う。

学校祭は翌週だったんだけど、前日まで緊張して寝れなかった。

そして学校祭当日。

周囲には男だらけの環境でとても緊張したのを覚えてる。緊張しながらも「だれか話しかけてきたりしないかな…」とドキドキしていた。

高校生の私は異性にめちゃくちゃ興味があった。

小さいころから親の束縛で好奇心に蓋をされ続けてきたが、高校生になってからは好奇心を抑え続けることに限界がおとずれていた。

友達にもそれが伝わっていたから、男子校の学校祭に誘ってくれたんだと思う。

 友達と学校のメインストリートを歩いていると出店の前にいた男の人3人組が「どこの学校の人ですか?」と声をかけてきた。全員180cm以上の高身長な人達で、どうやら高校3年生らしい。「男子校の上級生」という私にとっては未知の生命体と対面して、私はめちゃくちゃ緊張していた。

一人なら「異性と話してはいけない」という両親からのいいつけを守って無視をするんだけど、今回は隣にいた友達が「〇〇です!」と答えてしまった。そのながれで私もそのまま会話に参加することになった。

相手の男の子達が話し上手だったのもあり、会話はかなり盛り上がった。

帰り際に自然な流れで「LINE交換しようよ」と提案され、連絡先を交換することになった。

その後も、メインストリートを歩いているとたくさんの男の子たちが声をかけてきた。

その日の学校祭で10人以上の男の人とLINEを交換したと思う。

友達と解散した後、LINEを交換した男の子達の中で一番気になった人にすぐに連絡した。その人はまったくイケメンではなく、平凡な見た目の3年生の先輩だったんだけど、話がダントツにおもしろくて印象に残っていた。そこから数週間、その人とLINEでやりとりをした。
そして、そのまま会うことなくLINEで告白されて、付き合うことになった。

この時点で、「私の両親のいいつけを破っていけない」というリミッターは完全に外れ、約束を破って異性とはなすことに何も罪悪感を感じなくなっていた。

そして付き合ってから2か月後のデートで、その人の家に遊びに行くことになった。

▶ エピソード3「リミッターの破壊:初体験」

その人の家では、二人で映画をみることになっていた。

男の人の家にいくことは当然初めてで前日からめちゃくちゃ緊張していた。

当日は「彼の両親は家にいなくて夜まで帰ってこない」という、テンプレみたいな状況だった。

映画のDVDを再生して、二人で手をつないでみてたんだけど内容は全く頭に入ってこなかった。そして、映画を見始めて1時間くらいしたところで、彼が急にキスをしてきた。

その瞬間、私の中でなにかが破壊された。

そこからは流れるように身体を重ね、やりたかったことをすべてやった。

フェラ、ごっくん、クンニ、騎乗位、正常位…すべてやった。

相当過激な初体験だったと思う。でも、小さいことからずっと蓋をされ続けた好奇心は抑えることができなかった。

高校生の性欲はおそろしいもので、その日だけで5回くらいやったと思う。

そこから、毎週彼の両親がいない日に家にいってセックスをする日々が始まった。そして、彼との行為に飽きた後は学祭でLINEを交換した他の男の人に連絡をして行為に及んだ。

この頃の私は完全に壊れていた。好奇心をおさえることができず「あの人にこのテクを使ったらどんな反応をするんだろう」ということを日々考えて、実践していた。完全にヤリマンだったんだけど、顔がよかったのもあって男には全く困らず欲望と好奇心のままに男の人とセックスをしていた。
この頃は両親のいいつけを破っていた罪悪感から、ほとんど会話しなくなっていた。

そして高校3年間で、10人以上の男の人と経験をして高校生活を終えた。

男の人と遊びすぎたすぎたせいで成績は低迷したけど、受験シーズンはさすがに遊びを控えて勉強したおかげで、都内の有名私立大学に進学することになった。

ここでの生活が私の好奇心にさらに拍車をかけることになる。

▶ エピソード4「好奇心の暴走:大学から社会人」

大学では、二つのコミュニティに入った。

一つが大学のサークルだ。他大学の人もいるインカレサークルでテニサーという名の実質的には飲みサーである。

そしてもう一つがバイト先のコミュニティ。多くの人が働いている居酒屋のホールスタッフのバイトで、社員の人が飲み会が好きでよく開催してくれた。

高校で好奇心のリミッターが壊れてしまった私は、そこのコミュニティでも好奇心のままにやりたいことをやった。

2つのコミュニティで数えられないくらいの人とヤった。
「テニサー(飲みサー)」と「飲み会が好きなバイト先」という異性と出会うには整いすぎている環境で、私はやりたいことを全部やった。

フェラだけでイかせるテクはここで磨いたし、「中に出されるのってどういう感覚なんだろう」と気になってピルも飲み始めた。

そして大学やバイト先に後輩が入ると、お金を払ってセックスをする「ママ活」にもハマった。

親がめちゃくちゃ金持ちだったので、ママ活の資金には困らなかった。小さいころから両親に抑制されてきた怒りもあって、何の抵抗もなく両親からの仕送りをママ活資金につぎ込んでいた。

そして4年間ひたすら好奇心のままやりたいことをやり、ほとんど勉強することなく大学を卒業した。

その後は都内のメーカーの営業職として就職し、Twitterでママ活を募集してはオフパコをする現在の生活に至る。

好奇心をずっと抑制されてきた人間は、些細なきっかけでリミッターがこわれ人生が激変するんだ。人間の本能である好奇心は絶対に抑制してはいけない。私は両親からとても大きな教訓を学んだと思う。



以上が私の人生です!

小さいころから両親に好奇心を抑えられてきて、それが爆発しちゃった結果、いまのような生活になりました。

大人になった今でも干渉は続いていて、両親とのかかわり方にいまだに悩んではいるけど、私のことは愛してくれてると思うから今後はもっと良い関係を目指していきたいと思ってる。
※ 実は私がママ活をやっているのも、両親がいまだに仕送りをしてきて、その使い道に困っているから

最後まで読んでくれて本当にありがとうね。

おもしろかった人は引用リツイートで感想ツイートでシェアしてね。
感想を見つけたら絶対にリプライするから。
みんなからの反応が良かったら、またnoteを書いてもらって投稿したいと思ってる。

じゃあ、またね!

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本日ものぞみのnoteを見ていただき
ありがとうございました!
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フォローしてくれて気になった人には、お礼のメッセージしちゃうかも…


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