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machimin縁側通信・まちの縁側保健室ってなんだろう?

「まちの縁側保健室ってなんだろう?」

machiminで始まった「まちの縁側保健室」

私の中ではまだ形がつかめていないものの、「相談」という起点では集まれなかった人達が様々なキッカケで自分の想いを話す機会を得る場なのかなと捉えていました。

何かに悩んだ時、気軽に相談できる相手がいなかったり、大変なことが日常になってしまったりしていると、悩みをテーマに集まる機会を持てずに悩みが長期化するように感じます。

まちの縁側保健室企画として開催された認知症のご家族の「流山本町まちあるきツアー」
当日は介護支援の専門家の方と一緒に、流山史跡ガイドさんの案内するまちあるきツアーに参加しました。

流山本町まちあるきツアーへ



当日は5組のご家族が参加し、2コースに分かれて出発。
最初はどなたが認知症でどなたがケアをする側なのかも分からず一緒に歩いていました。
歩き始めると「耳が聞こえない」と言って怒り出す方もおり、ときどき支援員の方が気を逸らすような話をして、なんとか1時間のツアーを終えました。
歩いている道中、ケアをする側の方が「いつも出かけるときは出かけ先を決めるのは私に任せてくれるんですけど、夫は毎回色々な理由で怒り出してしまうんです…」と日常の困りごとをふっと吐き出す場面もありました。
「まちあるき(散歩)を1時間するだけでもこんなに大変なのか」と驚くとともに、自分が仮にこのような場面が日常になったとき、誰かの手を借りないと日々の生活を送ることは難しいように感じました。

不満を言いたいわけじゃない、でも大変だと思う。

まちあるきを終えて縁側に戻ると、参加者は縁側に座り、お茶を飲みながら、一息。
「カルタを持ってきたのでやりましょう」と看護師さん。
カルタに参加する人もいれば、「目が見えづらいから」「耳が聞こえづらいから」と輪から外れる人もいました。

私はカルタには参加していない認知症のご家族と話すことに。
近くにいた年配の方は立っている私を気遣い、座るように声をかけてくれました。終始ニコニコとしている年配の方と話してみると、昔の話をしてくれます。話が終わったかな、と思うと、また同じ話を始めます。何度も何度もニコニコと笑いながら話してくれます。
話しながら「認知症」の症状について理解していきます。
ニコニコとしている年配の方の隣には、ケアをする側の方。「普段は当事者の会から足が遠ざかっていたけれど、夫が認知症になり10年経って初めて来た。私が史跡が好きだから参加したの。」と教えてくれました。
その方は「不満を言いたいわけじゃない。認知症の症状は様々で共感しきれないから、苦労話を語り合いたいわけではない。」と話しながらも、「朝の2時間の間に夫は、”働きにいかなければいけない”という話を35回も私にしたのよ。」と話します。
私は話を聞きながら、ニコニコとしている年配の方とケアをする側の方の朝の風景を想像しました。
ケアをする側の方は話し始めると、次から次へと日常の困ってることを話してくれます。
"不満を言いたいわけじゃない。でもこんなに大変なんだ。"という心の声が聞こえてくるようでした。
結局、何を聞いても驚くことしかできなかった私は、何が出来たんだろうと思いましたが、「史跡のまちあるきも楽しかったし、話してスッキリして安心した。」と話す姿を見て、聞くことがケアになるのかもしれないと感じました。認知症について何も知らなかった私は認知症の一部を知り、老後について考えるキッカケになりました。スタッフにとっても、参加者にとっても有意義な時間になったのではないかと感じました。

誰もが活き活きとしていた縁側の時間

まちあるきで終始怒っていた参加者の方。周囲の様子が気になってはいるものの、中々輪には入りません。ふと縁側の将棋を持ってきてくれたケアマネージャーの方は、参加者の方が将棋が得意ということを覚えていたようでした。参加者の方はそれまで「不満、怒り」の感情がメインで客観的に見てハラハラする場面も多かったですが、将棋がキッカケになり表情が一変。ケアマネージャーの方が「将棋が強い人いませんか」とカルタをしていた将棋好きの方を巻き込んで、勝負が続きます。勝っても負けても、とってもいい顔をされていた気がして、何とも言えない明るさを感じました。
いつも怒られ受け止めることが多いであろうケアをする側の方。参加者の方が将棋を指す間、少し離れたところでカルタで遊んでいました。自分の時間に集中する時間。ケアをする側の方も活き活きとして、楽しそうにリラックスしているようでした。

認知症のご家族と暮らす方はある種の「緊張状態」が続いていることを感じました。色々な方面で「何か起こるかもしれない」と備えている様子で、それは「目が離せない、気を抜けない」と常に緊張しているようです。生まれて間もない子どもの子育て中の緊張状態ともどこか似ていて、また違うものでした。子どもは大人の目がありますが、大人はしっかりしていて当然と見られてしまう違いがあるようです。

縁側ではカルタに夢中になる人、話す人、相談する人、将棋を指す人、中には縁側に寝転んでいる人も…笑。ケアをする側もされる側も介護支援の専門家の方も私のような何も知らない人もみんなごちゃまぜになって、でもみんながみんなの時間を生きていて、「楽しかった」と言って帰っていきました。

「まちの縁側保健室」ってなんだろう?

「ただ1時間でいいから一人になりたい」
「意味もなく泣きたい」
ケアをする側ではなく、自分のことを大事にできることを支援する場なのだということを感じました。

大変なことが日常になってしまった人が少しの間、日常を離れて、自分の時間を持つ。ケアをする側もされる側も自分の時間を生きる、人が活きる瞬間が生まれてくるのを目の当たりにした日でした。

まちの縁側保健室が何か、答えはまだ分かりません。これからものんびりとまちの縁側保健室で答えを作っていきたいと思います。


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