何のために生きているのだろうか、生き続けるという選択はあったのか

人生に価値があるなんて、それは詭弁だ。人生を無理矢理正当化したいやつらが生み出した、虚妄の価値観にすぎない。

風邪を引いた。
よく生きている意味をわたしに問うてくる人がいたが(たとえば小学校の道徳の授業で、中学校の職場体験の感想文の表彰式の場で、高校の修学旅行で戦争の語り部に接したとき、数え上げれば枚挙に暇がない)、決まって「自ら死ねないから」と答えていた。
死ねないから、とりあえず生の側にポジションを取っている、しかしこの答えは多くの人の怒りを買う結果となった。
人生の価値を考えるなら、それは無に等しいだろう。ただ、わたしはわたしの人生がそれなりに楽しく、生も悪くないかな、と思っている節がある。もっと悲惨な「生」をおくっている人は数多く存在し、死を考えていたりするかもしれない。

風邪を引いた。しんどい。
こんな時にはろくでもないことばかり考えてしまう。意外と死ねないから生きているんだけどね、とりあえずは、という考え方は合っている気がする。
特にSNSなどでは流行りそうである。どうして最近のSNSの合意された価値観が非常にネガティブなのか首を傾げてしまうが、流行りそうではある。

生き続けるという選択をしなくとも人生はそこにあり続いていくもので、特に意味などないと考えている。

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