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イギリス語学学校の思い出

大学受験をやめた話が思ったより読まれてびっくりしている。特に若い世代の方々が読んでくれているのに驚いた。続編というわけではないのだけど、初めてイギリスに渡ってからどのように英語を学んだかを書こうと思う。

英語が苦手だった私が留学をする際に大事にした条件は一つだけ。日本人が少ないところ。これだけだ。イギリスでは南イングランドやロンドンは圧倒的に多く、スコットランドまで行くとまた多くと色々調べたところ北イングランドは日本人の数が少ないらしく穴場だった。長期ステイができる語学学校は数が少なく自ずと候補は絞られた。ちなみに無料の留学支援サイトは利用したが手配はすべて自分でした。英語ができなくても自分で調べて申し込むことはできる。

それがScarborough(スカーボロ・ノースヨークシャーにある海辺の町)との出会いだった。ゲストルームが3部屋はあるイギリスに多いセミデタッチ(一軒家を半分に区切った左右対称の家)の一軒家に9月から翌年夏まで住むことになった。家の前にあるガーデンは花に埋め尽くされ曲がりくねった小道を歩かないと玄関に辿りつかないような素敵な家だった。子どもが既に独立し60台前半のホストマザーとファーザーは節度を保ちつつ親身に接してくれまるで家族のように安心できた。私はそれまで一人部屋を持ったことがない。妹と同室、襖で区切られ他の部屋に行くために家族が素通りする和室で18歳まで自由もプライバシーも持ったことはなかった。鏡台や花柄のリネンのベッドカバーに小さなシンク、机があり、窓から庭が見える2階の一番大きい部屋があてがわれた。家の鍵も渡してくれ「18歳だからあなたは大人なので好きな時間に帰って来ていいのよ」と言われた時の喜びは忘れない。自由と自分の部屋という空間を初めて手に入れた日だった。

しかしながら北イングランドがあんなに暗くて寒い秋が来るなんて全然知らなかった。翌日学校に行きまた驚くことになる。なんたって生徒は私しかいなかったのだ!私立の家庭的で小さい語学学校ではあった。学生がくるのは春から夏までのオンシーズン。だから日本人だけでなく留学生自体が全然いなかったのだ。なんてこった。仲間と楽しく英語を学ぶ姿を思い描いていた留学生活は一瞬にして崩れさった。。

語学学校は午前に文法、午後は会話というスケジュールだった。軽く英語テストをし文法はわかるがリスニングとスピーキングが全然だと理解してくれた先生方に与えられた課題は一つ。CDを聞きながらひたすら文章を書きとるというディクテーションの授業だった。これならイギリスでなくてもできるじゃん。。。たった一人でヘッドフォンをしながら机に向かう日々が始まった。お昼はホストマザーにつくってもらったサンドイッチのお弁当を休憩室で一人で食べる。住宅街で買い食いできる店もまわりにはなかった。午後は会話の授業があったので多少張り合いがあった。まだうまく話せないながらコミュニケーションをとるのは楽しかった。授業が終わると徒歩10分のホームステイ先にもどりホストマザーに紅茶を入れてもらい暖炉のある部屋で談笑した。これが唯一心がほぐれる温かい時間だった。日本語は全く話さなかった。月に一度両親に電話するときだけ。日本の友人とは手紙やメールで連絡した。

来る日も来る日もヘッドフォンと向き合う日々。聞いていたのはレインマンだ。慣れない言語で暮らすことにストレスは生じるようで夕方帰宅してから夕食は18時、夜は部屋でのんびりしたら21時には何もできないほど疲れ切っておりぐっすり眠った。朝は7時に起床した。そんな生活を3か月ほど過ごしたある日、それは突然だった。英語が私の中におりてきた。たくさん言葉をためた赤ちゃんが突然話しはじめるように、水を得た魚のように私は話し始めた。人生でこんなに何かを切望し学びそれに喜びを感じたことは後にも先にもない。既にイギリスには冬が訪れていた。


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