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佐藤有希子の場合


 名前は佐藤有希子といいます。最近フェミニズムもしくはフェミニストという言葉をよく耳にするようになりました。私はこの言葉が好きではありません。女性の視点で事を書けばフェミニズムと括られ、迷惑です。男性の存在自体を疎ましく否定するような考え方もあると少し聞きました。ある国では、男性たちは言葉を聞くのも嫌がるとか。
 私は正直、今更感があります。何故って?
私の子供時代は生粋のフェミニストだったと思うからです。そんな言葉がもてはやされる前から私は本能でフェミニズムを展開していた気がします。言葉の意味も知らず、情報も乏しかった時代に。そして、ある時はフェミニストが攻撃する相手に完全降伏し、それまでの自分を否定したくなる経験をします。女性の権利主張など取っ払い、その人に全てを尽くしたくなる女が私の中に産まれたのです。
どっちかの考えに傾き、反対側の人間を攻撃する風潮にいささか、冷ややかな目線で現在傍観している次第です。結局、本能には逆らえない。それが私の持論です。
 ここで私、佐藤有希子の場合をちらっと話してみようかと思います。
 私の身体的性別は女性だ。恋愛対象は男性である。一方で、幼女だった頃から、同年代の男の子の行動や発言に幼稚さとうっとおしさを感じ、いつもイライラしていた。なぜ、男子は、わざわざ人の言葉に上げ足をとるのか。なぜわざわざつつくなどのいたずらをしてくるのか。できるだけ無関心でいたいし、誰にも私の時間を邪魔されたくはない。子供心に常に思っていた。なので、言い方は失礼だが男子という存在を見下していたのだ。
 社会科の授業で「男尊女卑」という言葉を初めて習った。私はその時に思った。私は紛れもなくこの言葉の逆さまの考え方をしていると。
 この話だけ聞いていると、さぞかし鼻っ柱が強く、髪の毛は短く刈り上げ、ズボンしか履かないようなトンボーイ的な女の子を想像できるだろうが、そんな単純な人間ではない。 髪の毛は、長くしていたし、赤や花がらの服を喜んで着る。なんなら、フリルのついた提灯袖は大好物だ。愛読書は、りぼん。お嬢様が憧れの存在で、できることなら貧血という病ですぐに倒れてみたいが、残念ながら健康優良児のため不可能だった。ひねくれているが、ものすごく本や漫画の影響を受けやすく単純な女の子でもあった。
 そして、少女だった私が最も不思議であり、自分に欠落していると考えていたことがある。それは、将来結婚して赤ちゃんを産みたいと微塵も思わないことだ。周りの友達は、小学生の時点で既に子供はほしいと思っているふしがあった。私は、話は聞くけれども同じとは発言しなかった。そもそも、小さい子供は面倒くさいだけで、自分の思う通りに行動できない疎ましい存在だ。洗練され自立した女性像を憧れとして考えていた私には、お母さんとか赤ちゃんなど、乳臭い用語は自分のこれからの人生設計に入り込む余地はないと考えていた。
 そんな私が、共学の高校に進学して2年目。それまでの世界がひっくり返るほどの出来事が起きる。
それは、正真正銘の初めての男性に対する恋だった。
 それは、例えるなら晴天の霹靂で、同じ建物の中に一年間居たのに彼の存在を知らなかった自分を殴りたくなる衝撃だった。クラス替えがあり、後ろを振り向いたときに彼が居た。最初は黄色いかわいいスニーカーが見え、徐々に視線を上げていくと、すらっと伸びた真っ直ぐな足から学ランの詰め襟、そして彼の顔が見えた。その時、目があった気がしたが、定かではない。後にも先にも、このときが彼の顔をしっかりと見た最後と記憶している。
 これを期に、私は自分という人間が今までどんな顔で男子と会話をして、どんな内容を話していたのか、不思議なくらいに分からなくなったのだ。彼のことを起きている間だけではなく夢の中でも考えるようになり、夢と現実の堺さえ不明な宙に浮いた感覚を体験する。彼と近づいて会話してみたいと思うが、彼が近くにいると、背を向けて反対方向に歩き始める始末だった。
 そんな日々に席替えという転機が訪れる。
彼の真後ろになった私は、想像していたよりも思いの外彼の肩が広くて、背中も大きなことを知る。授業中は欠かさずノートを取りながら先生の説明を聞いている。ノートに書かれた字は丁寧で読みやすく、整理されていた。
 彼の近くに居ることで彼のことを知ることができる一方、彼と私の違いを知る。
一番大きな違い、それこそが性別だった。今まで疎ましいと思っていた同年代の男子が、気づいた頃には、髭も生え、背丈は見上げるほどに高くなって、声も低く変わっていた。特に違いを感じさせたのは、筋張った腕と大きな手掌と長く伸びた綺麗な指を見たときに私は世の男子にひれ伏したい気持ちになった。その頃には、私のことをからかう男子は居なくなり、デリカシーのある態度で接してくれるようになったのだ。
 その頃から私は男子に憧れるようになったのだ。どんなに虚勢を張ろうとも、大きな腕や手を見てしまうと、飼われた犬のように大人しくなっていた。そして、今まで感じたことのないいかがわしい欲求が湧いてくる。それは、触れてみたいという欲求だった。恐らくこの時期にプラトニックな性への欲求を知ったのだと思う。触れてみたいとは、腕に触りたい、肩に触りたいが精一杯であり、それ以上のことは欲求としてなかった。なので、性差を知ることでの興味の延長だと捉え、プラトニックな性と考えている。
 結局、初恋の彼の顔をよく見ることもなく彼に彼女ができたことで私の恋は失恋という結果で幕を閉じた。失恋があまりにも辛く、毎日彼のことを考える思考回路を断つためには、自分を男と思えば良いと考えた。なぜなら、男は男を好きにならないから。当時はまだトランスジェンダーは今のように認知されていなかったため、このような思考に至ったのだ。男になる手段として、髪の毛を丸刈りにした。自分が男に恋をし、思考まで支配され、自己を見失っていた自分が心底嫌になり辞めたかった。あらゆる欲から自分を守るためにも必要だったのだ。
 その後、結婚するまで私は、懲りずもう一人、顔もろくに見れない相手に恋をしたが、結局影に恋をしているようなもので、現実味が全く無い。恋をしたときの高揚感だけは人一倍あるが、落差が酷く、結局苦しくなって無理やり自分の中から追い出す作業をするのだった。
 私は、恋することでの感情の浪費にほとほと嫌気が差していた。男性に対しても高校生のような憧れは消えていた。
 彼に初めてあった時に、恋をしたわけではない。ただ、初めて、遺伝子が欲しいと本能で感じたのだ。
 これは実に不思議なことで、子供を望んで居ないはずが、遺伝子を欲し、実際にすんなりと子供を産む運命を辿ったのだ。
 初めて産まれた瞬間の子供を見た時、自分には死が待ち構えていると本気で思った。子供が産まれて嬉しいよりも、絶望感があったのだ。
 このときから、子供を産むことを望まないと考えていた少女時代に回帰していく。子供の存在に振り回され、自分の思考を混乱させる子供は少し男子に似ていると思った。現在、まだ、恋を知る前の中学生辺りの自分を彷徨っている。
 これが、本能でフェミニズムをしていた佐藤有希子の場合です。

 
 

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