愛され

 腰まである長い髪の毛を一つに一捻り巻き上げバレッタでまとめる。バレッタはリボンの形をしたキュートなデザインをしている。蝶々模様と幾何学的模様が施されたジップアップのフリースにスウェットパンツ。一日を終えた私は仕事で疲れた身体をリラックスさせて猫のミイミの顔に頬ずりしている。ミイミの濡れた鼻が時々頬に当たるのが気持ち良いし、愛情が増していく。
 私は45歳を迎えたおばさんと呼ばれる年齢の女である。目尻には笑いジワができていて、頬も下がってきたと鏡を見ながら気持ちが下がっていく。体型も痩せ型ではあるが、全体的に締まりがなくなってきて、以前まで似合っていた服がしっくりこないという現象が起こっている今日此の頃。アパレルの仕事をしているため、世間一般の同年代よりは若く見られていると自負しているが、人にはあまり言いたくない自分なりの衰えに対する悩みが最近湧いてきているのは事実である。
 猫のミイミを膝の上に乗せて、ソファーでゆったり身体をほころばせていると、夫が仕事から帰ってきた音がした。鍵が重なり合う音がして夫がリビングに入ってくる。夫も同じアパレルの仕事をしていて、身なりに気を使っているため、私達は一般に言うおしゃれ夫婦だ。夫はインテリアに長けており、この部屋のインテリア雑貨のほとんどを夫がセレクトしていて、雑誌に取り上げられることも数回ある。夫は私の膝からミイミを取り上げて頬ずりしてミイミを可愛がっている。犬猫子供に好かれ、少しふっくらした容姿が愛嬌のあるそんな人である。
 ミイミとのじゃれ合いを終えた夫は「ご飯たべた」と私に聞いてきた。私は「まだ。お腹減ったぁ」と答える。甘えるのである。今私は夫に甘えている。すると夫は「作るよ」と即答するのである。
「お願いします」とにっこり笑顔を作ってみせた。
 夫は私を愛している。「どうしようもなく愛している」と私に言うから私は知っている。私のおでこにキスしながら、首筋にキスしながら、私を愛しながら何度も言うから、私は「知ってる」と返しながら彼に抱かれていく。彼は私の容姿をこよなく愛している。艶のある長い髪の毛を指に絡ませながら「この髪が好き」といい、唇をなぞりながら「食べてしまいたい」といいながら、舌で唇を愛無してくる。
 私は甘え上手だ。愛されていると確信しているから甘えられる。だから今もこうやって夫がキッチンで料理しているのを、ソファーにミイミとまどろみながら待つことができている。
 バターの香ばしい匂いがリビングに広がってくる。途端にお腹が空いていることを明確に自覚する。何かを炒めているのか。そんな香りだ。
 彼は私を愛している。愛することが上手な人だ。
彼の特技かもしれない。私を愛し、猫のミイミを愛し、そして、彼女のことも愛している。
 私は知っている。私の他に同じように愛する女性がいることを。彼の愛は天性のものだ。だから、私だけ独り占めできるわけではないし、コントロールできるものではない。私にしてくれるように、彼女にもしてあげているに違いないと思うと、心がネジ曲がる気がするが、彼は私のことを本当に愛している。そのことだけは揺るがないのだから、私はネジ曲がりきらない。
 バターベースの鶏肉とほうれん草ときのこのソテー、カツオのタタキにねぎと生姜をたっぷり添えたもの。モッツァレラチーズにトマトとバジルを添えたカプレーゼ、コンソメスープに常備している副菜たちを小皿に並べて、彼の即席晩御飯がテーブルに並んだ。
 彼の料理はいつも美味しい。食材が生きたいい塩梅の塩加減がいつも唸らせられる。
「どうしてこんなに美味しいの」と私は言ってしまう。すると、「愛が入ってるから」と冗談で返してくる。冗談だろうが、本当のような気がしている。「君が食べてくれるのを見てるのが好き」と彼は言う。私は言う。「このバターのようにトロトロに焦げて溶けてしまいたいくらい美味しい」と。彼は言う。「そんな君を溶けてしまう前に僕が捕まえておく」と。「料理は愛情。君は僕の愛情にトロトロになってしまっている。そんな君が好き」と彼が言う。私は悶絶して何も言えない。
 猫のミイミに密やかに告白することがある。私は彼のことを愛されているから愛しているのだと。彼の愛してやまないこの長い髪に隠れて告白している。


 
 
 


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