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沼に引き込む天才に誘われ、気がつけば正月から某華流ドラマ沼に飛び込んでいた

ふとカレンダーを見ると、2月最終日だった。またたく間に2月が終わろうとしている。早い。早すぎる。

いや原稿はすべて締め切りに間に合うように出しているし、請求書も合間合間に作っているので、頭のどこかでは2月はもう終わりだと理解しているのだろう。だが仕事とは離れた自分は、どこかぽつんと1月にはじめに取り残されている。そんな気さえする。

話が逸れた。
2月が終わろうとしているということは、イコール、「私が新しい沼に頭から盛大に突き落とされてから、早2カ月が経過した」ことを表している。そう、私は2022年の初っ端から、とある沼に頭から落ちてしまったのだ。

自分で言うのもなんだが、私は結構軽率に沼に落ちるタイプだと思う。常に面白い作品を求めてやまないし、漫画や小説・アニメなど媒体に関わらず手を突っ込む。

だが問題はその沼の深さにある。浅い沼ならば、表面でちゃぷちゃぷとして水遊び的なものを楽しんですぐに引き上げられる。
しかし深い深い沼に沈んでしまった場合は、一度手を突っ込んだら最後、もう戻ってこられない。底なし沼とは、そんな恐ろしいところだ。

そんな"沼に突っ込みやすい"私のことを、沼に突き落とす天才がいる。高校時代からのオタク友達だ。彼女はおっとりとしていながら、それでいて押しが強い。

「今ねぇ、これにハマってるんだよね」さり気なく言われたその言葉をいつもなんとなく聞き流すが、これがおかしいことに、気がついたら大体彼女と同じ作品を手に取っている。

そう、会話の中で知らずしらずのうちに布教されているのだ。だが残念なことに、私が勧めたものは大体ハマってくれる気配はない。無念である。

さて「今回の沼」に話を戻そう。
今回の沼に落ちるきっかけ。それは、ある日の電話だった。
「私ね、今ね、中国の小説を原作にしたアニメにハマってるんだ」
彼女の唐突な一言に、ふーんと相づちを打つ。

私は今まで一度も中国のお話を読んだことがなく、正直どんな話があるのかさえ知らなかった。あまり興味を持てなかったと言うのが本音だ。

しかし、次の言葉によって強烈に興味を抱くことになる。
「それでね、その原作小説を買ってね、翻訳しながら読んでるの」
!?!?!? なんだって?
半分ぼんやりとして聞いていたが、突然正気に戻された気がした。

彼女が中国語を習ったことはなく、まだ受験でせっせと学んだ英語の方が理解できる程度だ。
そんな人が、読めない言語の本を買って翻訳しながら読んでいる?
それほど面白い話なのかと、「そこまでして読みたい本なの?」と思わず自分から話を広げてしまった。

彼女曰く、翻訳はスマホで簡単にできるのでそこまで苦ではないとのこと。しかしそうは言ったって、日本語の小説を読むようにはいかないだろう。わざわざそこまでするなら、よっぽど面白い話に違いない。

そう思った私に、彼女はわかっていたかのようにスッと日本版のアニメの視聴リンクを送ってきた。それが、たしか昨年の秋くらいのことである。

だが話は気にはなっていたものの仕事が忙しく、そのまま見ずにほったらかしになってしまっていた。
そして、「そうだあの話を見てみよう」と思えたのが、やっと隙間ができた年末年始。正月はひたすらぐうたらして過ごすことを決めていた私は、彼女が送ってきた3作品ものアニメを見ることにしたのだ。

そんなこんなで見始めたものの、正直に言うと、最初は話がよくわからなかった。日本の一般的な作品とは世界観が違いすぎるのだ。
話のジャンルはいわゆる仙侠ファンタジーというもので、中国では一般的であるらしいが、日本人には馴染みが薄い。

たとえば突然人が数メートル飛んだり、剣に乗って移動したりする。
しかし数話見ているうちに「そういうもの」だと認識できるようになり、全く視聴には影響しなくなった。極端な話、世界観の異なるハリ◯タだと思うことにしたのである。我ながら単純だとは思うが。

1作目・2作目と順調に見続けるうちに、段々面白くなってきた。彼女の言っていた"よくわからない謎のあらすじ"が、ようやく理解できはじめたのだ。

「話が複雑だから最初はよくわからないかも」と言われていた3作目にも手を出し、私はすっかり新しいジャンルに馴染んでいた。中国の複雑な呼び名(その人との関係性によって変わる)や、お札や剣を使った謎のパワーあふれる戦いにも気がつけばすっかり慣れていた。

そんなこんなで勧められた作品を順調に消化していた頃、彼女が次の爆弾を投げてきた。

「その3作目は実写ドラマもあるよ」

ここまでで何の話かお分かりの方はウンウンと思っていただけるだろうが、3作目のアニメは日本ではまだ完結しておらず、話が中途半端なところで終わっている。

つまり話の続きを知るには、若干脚本の異なる実写ドラマを見るか、原作小説を読むかしか選択肢は残っていないのだ。そして運が良いのか悪いのか、その実写ドラマは、私が年がら年中お世話になっているアマプラで配信されていたのだった。

「ドラマかぁ。中国のドラマって韓国ドラマほど聞いたことないけど、面白いのかな?まぁちょっとだけ見て、見続けるか決めようかな」
そう余裕で思っていた頃が、私にもありました。

「ちょっとだけ見るか〜」とか言っていた自分はどこに行ったのか、気がつけば1話を見終わり、2話を見終わり。アニメとベースの話は同じはずなのに、続きが気になって仕方がない!

だが悲しいことにこのドラマは1話40分×50話もあり、これがまったく見終わらない。そして仕事が終わらず、悲しいことにドラマを見る時間がない。

洗い物をしている時やドライヤーの最中などにちまちまと見続け、見続け、気がつけば50話すべて見終わっていた。これほどまでにFire HDを買っておいてよかったと思ったことはない。ありがとう、Fire HDとアマゾンプライム。

そして現在。ドラマをすべて見終わってからしばらく経つものの、ずっと繰り返し同じ話を見続けている。いや、どうしてこうなった。全然わからない。

「ちょっと見てみようかな〜」との軽い気持ちで覗いたドラマはとんでもない底なし沼で、見ればみるほどに違う発見がある。

セットやお衣装は大変美しく、細部に至るまで丁寧に作られており、いつまでも眺めていたくなるほどだ。脚本は原作を損なわないように、細部に至るまで気が配られているにも関わらず、ドラマのオリジナル脚本として成立している。

そしてキャストは全員がキャラクターに対する深い愛情を持ってカメラの前に経っており、単に「画面から出てきたようだ」と言える以上の働きをしている。何より顔がいい。

見ればみるほど細部へのこだわりが感じられ、もう一度見たくなってしまうという恐ろしさである。気がつけば、特別番組を見るためにWOWOWオンデマンドにまで加入してた。

「こんなはずじゃなかったんだけどな」と思うが、今まで沼に落ちたことを後悔したことは一度もない。新しい作品との出会いは、常に心を潤してくれる。舞台の上か、カメラの前か、紙の上か。媒体に関わらず、作品はどれも人の手に触れることで、また異なった表情を見せるものだ。

気がつけば、そろりそろりと春の足音が近づいてきている。
作品を見始めた正月も、そして終わりかけのこの2月も、凄まじいスピードで過去になってゆく。

私が宝塚歌劇という巨大な沼に何年も浸かり続けているように、この沼にも、もう少し浸っていたいと思う。

私と共に沼に浸る勇気のある方は、検索してみて欲しい。
『陳情令』と。









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