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絵で読む『源氏物語』これはどんな場面~源氏物語手鑑 夕顔一

和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム 源氏物語手鑑 夕顔一

御忍び歩きのついでに

 『源氏物語』夕顔の巻はこのようにはじまります。
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 六条あたりの邸(六条御息所の邸)にひそかに通っているころ、内裏から退出してそこに向かう途中に、大弐乳母がひどく体調を崩して、尼になってしまったのを見舞うため、五条にある家をお訪ねになった。

 六条わたりの御忍び歩きのころ、内裏よりまかでたまふ中宿なかやどりに、大弐の乳母のいたくわづらひて尼になりにけるとぶらはむとて、五条なる家たづねておはしたり。

『源氏物語』夕顔巻 出典は小学館 新編古典文学全集による

 六条御息所の邸に通うついでに、乳母めのとを見舞う源氏の君。〈ついでかぁ〉と思ってしまいますが、尼君(大弐乳母)はもちろんのこと、乳母の子どもたちは畏れ多いことと、大喜びします。源氏の君は「ぼくを育ててくれた人はたくさんいるけど、こんなに親しみを感じる人は、他にはいないよ(はぐくむ人あまたあるやうなりしかど、親しく思ひむつぶる筋は、またなくなむ思ほえし)と乳母にやさしい言葉をかけて、いたわります。

隣家に興味をもつ

 ところが、これより少し前のこと、源氏の君は白い花が咲いている隣家に興味をもちます。雨夜の品定めで中の品の女性の魅力を吹き込まれ、空蝉に迫ったのに二度目は逢ってもらえず、自分が拒絶されるなんて信じられない、と思っていたころです。新しい恋のお相手が見つかる予感でもあったのでしょうか。乳母の子どもで、源氏の君にずっとお仕えしている惟光が、家の門の鍵を探しているあいだのことでした。牛車に乗ったまま源氏の君はあたりをながめます。

これは我が家で咲いた夕顔。本物が見たかったので種を買って植えました。2020年7月25日撮影

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 切懸めいた板塀に、とても青々したかづらが気持ちよさそうに枝をのばしているところに、白い花が、ひとり笑いをしているように咲いている。源氏の君が「をちかた人にもの申す」と独りごとのようにつぶやいたので、御随身はひざをついて、「あの白く咲いている花を、夕顔と申します。 花の名は一人前の人のようで、このように粗末な垣根に咲くのです」と申しあげる。 なるほど小家がとても多くて、雑然とした通りのあちらこちらにある、おんぼろで傾いて、しっかりとしていない軒先などに枝をのばしているので、源氏の君は「残念な花のさだめだ、一房折ってまいれ」とおっしゃったので、蔀を押し上げているような門の中に入って折る。
 そうはいってもしゃれた遣戸口に、黄の生絹すずし単袴ひとへばかまを長めに着こなしている、美しい童が出て来て手招きする。白くてたっぷりと香をたきしめている扇を、「これに置いて差し上げてください。枝は風情のない花ですから」 といって差し出せば、ちょうど門をあけて惟光朝臣が出て来たので、惟光から源氏の君に差し上げさせた。

 切懸きりかけだつ物に、いと青やかなる葛の心地よげに這ひかかれるに、白き花ぞ、おのれひとり笑みの眉ひらけたる。「をちかた人にもの申す」と独りごちたまふを、御随身ついゐて、「かの白く咲けるをなむ、夕顔と申しはべる。 花の名は人めきて、かうあやしき垣根になん咲きはべりける」と申す。 げにいと小家がちに、むつかしげなるわたりの、このかのあやしくうちよろぼひて、むねむねしからぬ軒のつまなどに這ひまつはれたるを、源氏「口惜しの花の契りや、一房折りてまゐれ」とのたまへば、この押し上げたる門に入りて折る。
 さすがにされたる遣戸口に、黄なる生絹すずしの単袴長く着なしたる童のをかしげなる出で来てうち招く。白き扇のいたうこがしたるを、「これに置きてまゐらせよ、枝も情なげなめる花を」 とて取らせたれば、門あけて惟光朝臣出で来たるして奉らす。

『源氏物語』夕顔巻 出典は小学館 新編古典文学全集による

平安時代は、全部言わなくてもわかり合えるのがおしゃれ。

うちわたす遠方をちかた人にもの申すわれ そのそこに白く咲けるは何の花ぞも
(ずっと遠くの方にいる人にお聞きします そのそこに白く咲いているのは何の花でしょう)

古今集に採られているこの歌を使って、源氏の君の「をちかた人にもの申す」という言葉を、脳内で〈そこに白く咲いているのは何の花かな〉と変換し、「白く咲いているのは夕顔です」とお答えする、という連想ゲームのようなやりとりが成立しています。この御随身もなかなかやりますね。

女房たち知恵をしぼる

絵の右上に描かれている女房たち、牛車が通るといつものぞき見してるようです。夕顔が咲いている家に興味をもった日から、源氏の君は惟光に隣家の事情を探らせますが、後日、惟光が報告するには、

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先日、先払いをして大路を通っていく貴人のお車がございましたが、若い女房たちがのぞいていて、童女が急いで、「右近の君さん、はやく見に来てください。中将殿(頭の中将)がここをお通りですわ」と言うと、すこしいい感じの女房が出て来て、「しっ静かに」と手で合図するものの、「どうして中将殿だとわかったの、それ、見てみよう」といって這ってきました(略)

一日前駆追ひてわたる車のはべりしを、のぞきて、童女の急ぎて、「右近の君こそ、まづもの見たまへ。中将殿こそ、これよりわたりたまひぬれ」と言へば、またよろしき大人出で来て、「あなかま」と手かくものから、「いでさは知るぞ、いで、みむ」とてはひわたる。

頭中将が雨夜の品定めの時に話していた、行方知れずの女性が、夕顔の君だったとあとでわかります。

これを読むと、この家の女房たちはいつも大路を通る牛車をチエックしているようですね。そして、源氏の君の車に気づいた女房は、すかさず白い扇を取り出して、さらさらと和歌を書いたようです。主人の夕顔の君のために。

白い扇は恋のはじまり

 源氏の君は乳母を見舞ったあとで、さっき童が持ってきた扇を見ると、和歌が書かれていました。

こころあてにそれかとぞ見る 白露の光そへたる夕顔の花
(当てずっぽうにあの方なのかしらと思っております 白露のように光りかがやくお顔を、夕顔の花とともにお見かけして)

源氏の君はこのようなやりとりは大好きですから、返事の歌を書いて、さきほどの優秀な随身に届けさせます。夕顔が咲く家の女房たちは舞い上がりました。

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まだ見たことのない源氏の君のお姿だけれど、はっきりそれと察することができる御横顔を見逃さず、いきなり和歌をお送りしたので、お返事がこないまま時間がすぎて、なんとなく気まりが悪かったのに、このようにわざわざお返事の歌をくださったので、女房たちは舞い上がって、どうお返事しようなどと言い合っている様子だが、身の程知らずめと思って随身は戻った。

まだ見ぬ御さまなりけれど、いとしるく思ひあてられたまへる御そば目を見過ぐさで、さしおどろかしけるを、いらへたまはでほどへければ、なまはしたなきに、かくわざとめかしければ、あまえて、いかに聞こえむなど、言ひしろふべかめれど、めざましと思ひて随身は参りぬ。

絵の右上ののぞき見する女房たち、同じ夕顔の巻にでてくる六条御息所の女房たちとは別の、働き者?の女房たちの姿がわかっておもしろいですね。

釈文

改稿 2023年4月11日

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