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平家物語~一ノ谷・鵯越

義経の夏休みの宿題を、かわりにやらされている弁慶という感もあり(笑)

腰越・満福寺

今回とりあげるのは、源義経です。
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■源平合戦、ブームが来ているんじゃない?最近はテレビでも壇ノ浦合戦特集が続いているし。
▲いいから、早く書いてよ。ここ(腰越)から帰れって、あんまりだよ。
■「鎌倉殿の13人」ではさあ、平宗盛が書いてたじゃん。なんかやる気でないんだよな~。
▲弁慶、はーやーくー。
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とまあ、こんなおしゃべりをしているのではないかと妄想してしまう銅像があるのは、腰越にある満福寺。先日、江ノ電に乗って行ってまいりました。

「鎌倉殿の13人」を見ている私の母などは「頼朝があんなに悪い人だったとは思わなかった」と言っております。視聴者がそう思うってことは、ドラマとして成功しているんでしょうね。いつも涙目になっている北条小四郎義時はこの先どう動くのか。

フィクション

さて、『平家物語』も「鎌倉殿の13人」と同じく、歴史を素材にしたフィクションです。えーっと、フィクションとは、

・創作。小説。事実そのままではなくて、想像力により現実にありそうに作られたもの(角川類語辞典)
・作者の想像力によって作り上げられた架空の物語。小説。(デジタル大辞泉)

歴史的事実を材料にして、そこに作者の想像力が加わることで、まるで作中の人物が目の前で動き回っているような、歴史的な場面に直に立ち会っているような気持ちで、物語を楽しむことができます。

坂落

平家は都落ちしてから半年ほどの間に、勢力を回復して摂津国に戻り、生田の森から一ノ谷の広い範囲に城郭を構えていました。源氏との戦いに勝って都に戻るんだと、意気盛んです。寿永三年(1184)二月七日、夜明けともに一ノ谷の合戦と呼ばれる戦いがはじまりました。「坂落」の冒頭の部分はこうです。

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これをはじめて、秩父、足利、三浦、鎌倉、党には猪俣、児玉、野井与、横山、西党、都筑党、私の党の兵ども、惣じて源平乱れ合ひ、いれかへいれかへ、名のりかへ名のりかへ、をめきさけぶ声、山を響かし、馬の馳せちがふ音はいかづちの如し。射ちがふる矢は雨のふるにことならず。手負をば肩にかけ、うしろへひきしりぞくもあり。うすで負うてたたかふもあり。いた手負うて討死する者もあり。あるいはおしならべて組んでおち、さしちがへて死ぬるもあり。あるいはとっておさへて頸をかくもあり、かかるるもあり。いづれひまありとも見えざりけり。

これをはじめとして、秩父、足利、三浦、鎌倉、党には猪俣、児玉、野井与、横山、西党、都筑党、私の党の兵ども、すべての源平の軍勢が入り乱れて、入れ替わり入れ替わり、名のりをあげ名のりをあげ、わめきさけぶ声が山を響かせ、馬が駆け回る音は雷のごとし。飛び交う矢は降る雨のようだ。負傷した者を肩にかけ、うしろに下がる者もいる。軽傷を負って戦う者もいる。重傷を負って討ち死にする者もいる。あるいは馬を並べ組み合って落ち、差し違えて死ぬ者もいる。あるいは取り押さえて頸を斬る者も、斬られる者もいる。源平いずれも、すきがあるとは思えなかった。

源氏方の東国の兵たちと、平家方の兵たちが、雨のように矢が飛び交う中、大声をあげて馬で駆け回り、そこ、ここで組み合うという迫力の場面。

雨のように飛び交う矢。三国志展(東京国立博物館 2019年)の展示です。写真撮影OKでした。 

平家方は源氏方の猛攻に、少しも退きません。そこに、あら不思議、いつもなら人がいるところは避けるはずの鹿が3匹、裏山から一ノ谷の城郭に降りてきます。

平家方の人々は、「山の上に源氏がいて、降りてくるのではないか」と疑いますが、まさか、坂を本当に降りてくるとは思わなかったようです。馬で降りるにはあまりにも急な崖です。

――でも、わたしたち読者は、山の上に義経が来ていると知っているのだよ。

山の上では義経が、試してみようと、鞍を置いた馬を数匹追い落とします。すると三匹の馬が無事に下まで降りました。降りそこなった馬もいます。
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御曹司これを見て、「馬どもはぬしぬしが心得て落とさうには損ずまじいぞ。くは落とせ。義経を手本にせよ」とて、まづ三十騎ばかり、まっさきかけて落とされけり。大勢みなつづいて落とす。後陣に落とす人々のあぶみの鼻は、先陣のよろいかぶとにあたるほどなり。小石まじりのすなごなれば、ながれ落としに二町ばかりざっと落といて壇なる所にひかへたり。それより下を見くだせば、大盤石の苔むしたるが、つるべ落としに十四五丈ぞくだったる。兵どもうしろへとってかヘすべきやうもなし。又さきへ落とすべしとも見えず。

義経はこれを見て、「馬たちは、乗り手が注意して進ませれば怪我はないようだ。では降りよう。わたしを手本にせよ」と言って、まず三十騎ほどが、まっさきかけて降りていった。多くのものが皆続いて降りる。後から降り
る人々の鐙の端が、先に降りた人々の鎧かぶとにあたるほどである。小石まじりの砂なので、ながれ落としに220メートルぐらいざっと降りて、壇のようになった所でとまった。そこから下を見下ろすと、苔むしている大きな岩が、つるべ落としのように45メートルぐらい切り立っている。武士たちは後戻りもできない。また前進して降りることもできそうにない。

後からおりる馬のあぶみ(馬の乗り手が足をかけるもの)の先が、前の人の頭のあたりにくるような急坂を降りて、壇のように平らになったところに着いて、さらに下をみると、”つるべ落とし”のような崖。ちょっと絵に描いてみました。

坂の図。やや誇張気味?

壇状になった場所から進むに進めず、皆、困惑していると、佐原十郎義連よしつらが真っ先におりていき、ほかの人たちも、「ゑいゑい声をしのびにして、馬に力をつけて落とす」、平家に見つかるから大声は出せないので、小声で馬をけしかけておりていったとあります。そして、地面に着くか着かないかというところで、ときの声をどっとあげる。

平家方はそれは、それは驚いて、我先にと海に逃げます。沖には助け船が停泊していましたが、大勢の兵がいっせいに乗り込んだために転覆します。その後は、身分の高い人だけを船に乗せることにして、殺到する味方の兵たちを太刀長刀でなで斬りにしました。無惨なり。

それまで負け知らずだった能登守教経も、船で屋島に逃げました。

鵯越か一ノ谷か

戦況を一気に変えた、義経の作戦ですが、「九郎御曹司搦手にまはって、七日の日のあけぼのに、一ノ谷のうしろ鵯越にうちあがり」とある「一ノ谷のうしろ鵯越」、実際は一ノ谷と鵯越はこんなに離れています。

Googleマップを加工して作成

わたくし、最近までこれを”ブラックレイン”現象と個人的に呼んでおりました。「ブラックレイン」は1989年公開のアメリカ映画ですが、高倉健や松田優作も出演して関西でロケをしました。この映画を見た関西人は、刑事が犯人を追っている場面でみんなエーッと言いますよ。神戸のメリケン埠頭を走っているかと思えば、場面が切り替わって、大阪の梅田、次の場面は道頓堀。十三じゅうそうもあったかな。どんだけワープするんやとツッコミを入れたものです。でも、映画はフィクションなのでOK。

それをアップデートして、これからは”カムカム”現象と呼ぶことにします。「カムカムエヴリバディ」は2021-22の朝ドラ。岡山県在住関西人の私は、安子が、旧岡山偕行社から、いきなり表町商店街を走り、どこかの神社(じつは滋賀県にある大城神社だそうです)を走り抜け、え、岡山城の横にいる!のをみて、ひさしぶりにエーッと言いました。

でも、岡山に住んでいなければ、違和感なく観ていたと思うんですよね。

そんなわけで、一ノ谷の後ろ鵯越の坂落をお楽しみください。


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