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紫式部に近づきたい 史跡探訪編 

第1回 紫式部に近づくたび

講座「くらしき古典部*」のメンバーと、ジャンボタクシーで京都駅を出発して紫式部の史跡をめぐったのは、2019年4月20日のこと、もう3年以上も前になります。とても楽しかったので次の年も2回目を計画して、1回目と同じ運転手さんにお願いしていたのに、コロナで中止。そろそろ、行きたいな、第2回史跡めぐり。でもその前に、第1回目の旅行について書いておきましょう。

*くらしき古典部/筆者が岡山県倉敷市の美観地区入り口にある倉敷物語館の会議室を借りて、月に1回のペースでのんびり続けている古典講座

ジャンボタクシーと待ち合わせた京都駅前。快晴でした

まずは石山寺

石山寺は滋賀県大津市にあります。平安時代の作品の中にもたくさん登場する石山寺には、寺に参籠した紫式部が琵琶湖の湖面に映る月を見て、『源氏物語』の構想を得たという言い伝えがあります。

石山寺で買ったおみやげの数々。冊子と一筆箋2冊、おみくじ。

これは石山寺で買いもとめた、自分用のお土産の数々。上の写真の左上、「紫式部と石山寺」という冊子の表紙は、近年注目を集めている「盛安本源氏物語絵巻」(くわしくは別に書きます)の末摘花巻の絵です。この二人、どう見ても恋人同士のようですが、女性は源氏の君の乳母子。さらに末摘花の縁者でもある彼女に、「末摘花と逢わせてほしい」と源氏の君が頼み込んでいる場面です。

紫式部ゆかりの寺ということで、石山寺は貴重な源氏物語の絵巻や絵画などをたくさん所蔵していて、毎年、春と秋に公開されます。

逢坂の関でうなぎ召しませ

これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関  蝉丸

東国に赴任する人を逢坂の関まで送り、東国から帰京する人を逢坂の関まで迎えにいく、逢坂の関は都がある山城国の出口でもあり、入口でもありました。『源氏物語』関屋巻には、逢坂の関で源氏の君と空蝉が再会する場面が描かれています。

現代の私たちは、逢坂の関でお昼ご飯をたべました。店の手前から炭火で鰻を焼くいいにおいがしてきました。たまらん!

逢坂山かねよの「きんし丼」

廬山寺は紫式部の邸宅跡か

廬山寺は、現在の京都御所の東、平安時代には「中川」と呼ばれていた地にあります。紫式部の邸宅がこの場所にあったのではないかとされています。「源氏物語執筆の地」という看板もありました。

このあたりで今回の旅の地図をご覧ください

Google マップを加工

京都駅を出発して、一気に石山寺に行き、逢坂の関で昼食、廬山寺に立ち寄りました。廬山寺は現在の京都御所(京都御苑)の東に接していますが、平安時代の内裏はもっと西、現在の二条城の北側にありました。

想像力全開で、平安時代の内裏跡めぐり

スマートホンに平安京オーバーレイマップを表示させて、内裏跡をめぐります。Googleマップと連動しているので、現在地も表示されます。足下にある平安時代(の地層の存在)を感じる。たまらん!その2。

マップに表示されているのはこのあたり。いけずな弘徽殿の女御がいまにも現れそう。

弘徽殿跡

源氏の君の母、桐壺更衣の居所、淑景舎(桐壺)跡はここです。

淑景舎(桐壺)跡。

源氏物語千年紀のたまもの

2008年、文学を愛する人たちは「源氏物語千年紀」で盛り上がりました。寛弘五年(1008)、一条天皇の中宮彰子(藤原道長の娘)の出産の記事が『紫式部日記』にあり、そこに『源氏物語』に関わる最古の記述が見えることから、「源氏物語千年紀」が制定されました。

上の二つの写真にも写っている、源氏物語ゆかりの地であることを示す看板は、そのときに整備されたものです。

京都市平安京創生館*で平安京復元模型(1/1000,7.8m×6.6m)を見学し、うちき狩衣かりぎぬを順番に着て(現在は感染防止のため体験できません)、なんとも楽しい大人の修学旅行でした。
*古典の日記念 京都市平安京創生館/所在地:京都市中京区丸太町通七本松西入 京都市生涯学習総合センター(京都アスニー)1階

伝紫式部墓所にお参り

ジャンボタクシーの運転手さんが、最後に紫式部のお墓に案内してくれました。

紫式部に近づく旅はつづく

春になったら、紫式部の史跡探訪を再開しましょう!

(追記)いよいよ再開!2023年5月15日に、葵祭を観て、賀茂の斎院があった紫野をぶらぶらします。



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