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漫才「日本史」

どうも芸歴11年目のダイヤモンドの野澤輸出です。今日は、僕が今までやってきたアルバイトの話をしてみようと思います。

まず生まれて初めてやったバイトは、大学生のときの近所のコンビニでした。これは4年くらいやって、なんとずっと研修生でした。東京都の最低時給だったと思います。

それから、芸人になって、カナメストーンの山口に警備員のバイトを紹介してもらいました。そのバイトの面接に行ったとき、過去5年間何をやっていたか調べるみたいで、前のバイト先のコンビニに在籍確認され、そんな人はいなかったと言われ、面接に落ちてしまいました。人の紹介でバイトに落ちるというとても恥ずかしい体験でした。

それから自分で求人雑誌を見て、交通誘導の警備員のバイトに受かり3年くらいやってました。

次にやったのは、芸人の紹介で、駅前のティッシュ配り。これは2ヶ月くらいで辞めました。

それから近所のスーパーで働きました。野菜の担当で、裏で野菜を切ってラップとかをする仕事でした。そのとき、店長に笑顔ができていないということで、裏方なのにそのスーパーのスマイル研修に通わされました。裏方でマスクもずっとしているのに。

スーパーは引越しもあって1年くらいで辞めて、それから、引越し先の最寄りのミスタードーナツで1年くらい働きました。店の中でドーナツにチョコやクリームを入れたり、たまにドーナツを粉から作って揚げたりもしていました。そのときもよくバイトの女子高生に怒られていました。

そのあとは、新宿の伊勢丹の駐車場の警備員のバイトをしました。ニューヨークの嶋佐やいぬの有馬など同期がたくさんいてやりやすかったのですが、僕がある日、誘導中におじいさんが運転するベンツに足を踏まれてしまい、幸いなんの怪我もなかったのですが、そのまま辞めました。

次にやったのが、郵便の仕分けで、4.50代の女性の方たちのなかで20代男性は僕1人のバイト先でした。そして、自分はずっと1番仕分けのスピードが遅く、半年くらいで辞めました。

それから、これも芸人仲間が多くいた、首都高速のペンキを防護服みたいのを着て剥がすバイト。今考えるとこのバイトが1番きつかった気がします。夏は暑過ぎるし、サンダーというドリルでうっかり指を切断する危険も常にありました。これは日給1万円で、朝の8時から夕方5時まででした。相方の小野も同じバイトでした。

次のバイトは、ゴミの収集作業員で、これは今もやっています。マシンガンズの滝沢さんがやっていることで有名で何度かバイト先でお会いしました。これも相方の小野と一緒にやっています。

そして、今はゴミの収集と、芸人の紹介でテレアポのバイトもやっています。これも相方と一緒です。こんなコンビなかなかいないと思います。

正直、このテレアポのバイト以外すべてのバイトで、仕事ができない、無愛想、やる気がなさそうという理由でめちゃくちゃ怒られてきました。

早くアルバイト生活をやめて、大好きなお笑いの仕事で食べて行けたらと思います。頑張ります。

それではここからは漫才台本を載せています。興味のある方はどうぞ!

ダイヤモンド漫才「日本史」

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