マーブルな世界を作るために、母親がすべきこと

母親にとって子供はアイデンティの一部である。だからこそ、周りの子供と比べてしまうし、それを見て落ち込むことも多々ある。

普通の生活しているときは、目の前の子供のことしか見ていないし、社会のレベル、競争なんて気にしなくていい。しかし、保育園や幼稚園、社会との接点を持つと、やはり、現実を突きつけられ落ち込むんだな。これが。

双子はようやく4歳になった。次男も次男なりの成長をしているが、やはり、いろんな意味で遅れている。それは親である私が一番知っている。

最近、私が思うのは、障害児、障害者ってつくづく、社会が作り出した偏見の塊だなと思う。もちろん福祉サポートのためにはそのカテゴライズを作るのは必要なのは十分理解できるのだが、ツイッターでも書いたが、地域の保健師に幼稚園ではなく児童発達支援に通ってはどうかと提案されたが、それしかり、確かにサポートが必要な子供ではあるが、障害を持つ子供すべてがそのフォーマットに当てはめようとしている感じが否定できず、私はとても嫌な思いをした。

最近、何度かそういう出来事がかさなり、少し疲れてしまった。障害者の世界は切り離された世界であるのは、理解できた。母親になって4年。

そもそも健常者にとっては興味のない世界だし、福祉はそうやってフォーマットに無理やりのせようとする。というか、この結果って、グレイという言い方はいやなのでマーブルな世界がまだまだ確立していない証拠だなと思う。もちろん、障害者の福祉フォーマットが必要なのだが、軽度~重度すべて当てはめようとしている風潮な気がするのだ。

ここでいうマーブルとはインクルーシブなことなのだが、健常者、障害者のはざまでもがき苦しんでいる人々がいるということがまだまだ社会に出てきていないんだな。

次男もマーブルな障害者だ。今後、障害者は増えていくと予想されているし、特に中度~軽度の障害者が増加傾向にある。

マーブルな人たちが生きやすい社会にはまだまだなっていない。その世界を開拓するために必要なのは、関わる人、特に母親が声を上げないといけない。でも母親は育児に忙しいし、仕事をしている人もいる、それになんていったって、社会の冷たい視線や言葉に敏感に反応し、疲れてしまうのだ。私自身もそうだ。でも、やらないといけない。子供のために。

それには声を集めることが一番大事。そのプラットフォームを作りたいとずっと思っていた。それをこの一年、いや、半年で形にしていきたいと思っている。

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