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安心を求めれば信頼は失われる


「ポストコロナの生命哲学」福岡伸一・伊藤亜紗・藤原辰史(集英社新書)を感読しました。
いろんな問題提起があり読み応えのある一冊でした。自分というフィルターを通し、反芻しながら言語化していきたいと思います。
今日は、63ページ「安心を求めれば信頼は失われる」について思ったことを書きます。



「安心を求めれば信頼は失われる」

先ず、「信頼と安心は意味的に逆」という出だしに衝撃を受けました。逆の位置に置いて考えたことがありませんでした。
「安心⇒心配事をなくす⇒コントロール」は自分の内省を深めるためGPSを回す際には必須のプロセスです。
もちろん、共同体としての一人称で、私たちの安心のために確実性を高め、自分たちをコントロールしていくのも同じです。
「信頼」という言葉は、不確実性を孕んでいるように思います。コントロールの外の領域を含みます。確かな手応えを得るまでに掛かる時間の流れがあり、その時を費やす覚悟のようなものを感じるのです。

問題は、人間関係において自分の安心のために自分の外、つまり相手(二人称)や社会(三人称)にコントロールを求める時に発生するように私は思います。

スティーブン・R・コヴィー著「7つの習慣」で見てみると

コントロールできることなのか、そうでないのかを自問しない姿勢は、例えば、第6の習慣:シナジーを作り出すと真逆の自己防衛の延長上にあります。
シナジーを作り出すには、いくつかのプロセスを通る必要があります。その一つである、「相手を尊重する」ためには信頼が欠かせません。それには自分自身が、第1の習慣で言われる主体的であることが必要です。先ず自分を信頼し、上手くいくこと、いかないことに対する自分のムラを受容し、自(分に)信(頼)を持ち続けることではないでしょうか?

自分を育てるのには時間が掛かります。
シナジーを育てるのにも時間が掛かります。
自分を育ててからシナジーを育てる、という順番があるわけではないし、そもそも、ゴールがないことです。
だからこそ、等身大の自分からスタートし、プロセスに集中し、最善を尽くすことが大切であり、関係性において相手を尊重し、お互いの信頼と方向性の確認をする必要があるのです。

専門分野で考えてみると

音楽の分野では、アンサンブルなどの一つのユニットの活動にこのようなケースが見られます。
デュエットでもオーケストラでもよいのですが、グループの一人が、この声部はこうして、低音はこう歌って…と仕上がったイメージを押し付けるとプロセスを強制することになる。各声部の自主性よりもリーダーの指示を優先し、スピーディーに曲は仕上がります。
しかし、この段階、実は50%の仕上がりで、各人がその指示をどれだけ咀嚼し自主性をもって音にしていくか、リーダーがいかにシナジーを発揮してその変化し育っていく音楽をまとめていくか、というあと半分のプロセスが残っているのです。

作品と奏者両方に介入して、相互作用の中から生まれるものに芸術性があるのではないか、と思います。

時代の申し子

’80年代に話題をさらった二人の音楽家を例に挙げてみます。
一人目は、カナダ人のピアニスト、グレン・グールドです。
彼は、観客とのシナジーが起こるコンサート活動を拒否し、作品の録音演奏で自分の音楽芸術の完璧を目指しました。
しかし、彼は、偶然性が生み出すものに可能性を見出せずに、彼の鋭い感性に高度な録音技術を掛け合わせていくことですべてを自分のコントロール下に置くことで、消耗し、自分の音楽に羽交い絞めにされて、常夜灯に吸い込まれていく虫のように命を絶ちました。
もう一人は、アイルランドのヒット歌手、エンヤです。
自分の声を40回重ね、独りオーケストラで楽曲を発表し空前のヒットとなりました。今でこそ、何声もの曲を独りで演奏するYouTube動画はいくらでもありますが、彼女の登場は、非常にセンセーショナルでした。
しかし、コンサートの映像には、自分が作ったベース録音にその日の自分の声を重ねる姿があるだけ。私はそこに場を共有する聴衆との間にシナジーが生まれる可能性を見出せませんでした。ニューエイジ、環境音楽、ヒーリングミュージック…と聴衆の求める音楽やコンサートの果たす役割に変化が起きたのと同時期です。

芸術として結晶化させる方法の一つとしては、彼らのアプローチもありでしょう。実際、素晴らしい表現芸術として今でもファンに支持されています。 しかし、この二つの例から見えてくるのは、自身の安心や完璧主義で、コントロール外の領域にあるレアさを排除したいという欲求ではないでしょうか?
今思えば、’80年代の目まぐるしい外的変化から身を守る手段としての安心、人との繋がりが希薄になった結果の信頼の欠如…そんな時代を象徴する二人だったのかもしれません。

信頼に基づく関係

時代は常に変容し、求められるものや受け入れられるものは、目まぐるしく変わっていきます。
その中で生き延びるものは何か?
どの時代にも共通の人間らしさとは?
夏の早朝の海辺で、そんな壮大な問いに思いを馳せていました(笑)。
海水を自分の掌で掬うように、抽象化する思いを自分のコントロール下に落とし込んでいったとき、家族や仕事のチーム、あらゆる活動における共同体において、メンバー全員の主体性を育みながら同じ方向へ向かえるようにしたい、という自分の気持ちに気づきました。
信頼に基づいた関係が成り立っているか、問い続ける勇気と余裕を持ち合わせていたいと思う次第です。

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