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誰も読んだことのない小説「砂クジラの肌」を知っていますか?
もし幻の小説というものがあるならば、そのうちのひとつが「砂クジラの肌」です。
読んだことある人に、会ったことがない。
調べても調べても、わからない。
出版社も、作者のことも、他に同じ本があるのかもわからない。手を尽くして調べても謎。
でも、たしかに面白い。
グーグルも何もヒットしないから、今のところ私だけが知っている小説だと思うんだけど、もし何かわかる人がいたら教えてほしいです。
ふいに手に取った一冊
この小説に出会ったのは大学を卒業してすぐの頃、所沢に住んでいたとき。
当時、住んでいたマンションから駅の反対のビルで古本市が定期的に開催されていた。
たぶん今もやっていると思う。
私はマニアではないけれど、古本市が好きでよく覗きに行っていた。
本屋さんには並ばない、日に焼けた古書。
誰が読むんだろう?というマニアックな選書。
ポスター、雑貨、時代を思わせる色味とその量。歩き回るだけで楽しい。そしてだいたいお腹を壊してた。
出店者の名前は覚えてないのだけど(本にも書いてない)角にあるお店に「風土・民族・郷土資料」のコーナーがあった。
私は風土の古書が好きだ。ゆかりのある土地の本を見つけると楽しいし、その当時の認識って今と違ってて可笑しい。切り取られた歴史の断面って感じがして、自分がタイムトラベラーになったような面白みがある。
その日は私の生まれ育った八丈島の古書、「八丈島―民俗と社会」を見つけて(たしか800円だった)抜こうとしたときに、隣の一冊に目が止まった。
『砂クジラの肌』
風土?
民族?
郷土資料?
どれにも当てはまらなそうなタイトルに、首をひねった。なんだろう、これ。
装丁がきれいなのも素敵だったのもあり、一緒にレジに。普段からついで買いもついついやってしまっていたから、特段中も見ずに購入した。
え、こんな書き出しある!?
青い装丁の砂クジラの肌は、一見ちゃんとした出版本?の体裁だったけど、奥付とかそれっぽいページがない。出版年月日が終わりについていて、1999.8.17とあった。私家本とか自費出版とかっぽい。目次もなくて、タイトルのあとすぐに書き出しとなっている。最初の一文を引用するとこう。
P.1 テングサを取る仕事についた。漁師小屋に住むことになる。
テングサとは、寒天の原料となる海藻のことだ。八丈島でも取れるし、たぶんだいたいの海沿いで取れると思う。書き出しから地元感があってびっくりした。
そして、この後しばらくテングサのことが延々と書かれていく。
主人公の私がテングサを取るにあたって、そのコツや潜るときの心得っぽいことが淡々と続いていく。
なにこれ。意味わからん。
でも、その淡々とした書き口につい読まされちゃう感じ。
例えば、これ。
P.37 潜るときのコツがわかってきた。はじめに浅い呼吸、次に深い呼吸。最後にもっとも深い呼吸をする。繰り返す。乱れずに繰り返すことで、長時間潜っても残らない。
これとか。
P.42 重要なのは吸うことより吐くこと。繰り返しが出来てきた。最近は海中で考えてしまっている。
テングサの取り方、潜り方、干し方や毎日の生活が書き綴られていて、ここだけ読むとたしかに郷土資料にあっても変じゃない。
読んでたら普通にテングサに詳しくなったし、勉強になった。そして、ここから面白くなる。
イーグルからきた男
本中は章立てに別れていないので、便宜上郷土資料っぽいとこまでをテングサの章と呼ぶ。
テングサの章はひたすら私がテングサのことを書いていくのだけど、急に話が展開するのがここになる。
P.66 「なにか」
これまで一人語りしていた私が、漁師小屋の脇の道路で女の人に出会うシーンが急にくる。
お、これ小説だ……。
めちゃくちゃびっくりした。
しかも、「なにか」の後は、前の章とうって変わって印象がカラフルな文面になる。
潮風の香り〜とか、水面の光の粒〜とか、今まで出てこなかったウミネコやトビウオ、遠くの船の音なんかが登場する。
例えばこんな感じ。
P.85 ウミネコが潮の境目に集まってきた。珍しい。船に乗るような漁師は、彼らの眼を盗めるという。風を読み、鳥の眼を使って見る世界は自由なのかもしれない。
おいー!さっきまでのテンションどこに無くしたー!?
でも、これはこれで惹かれるし、何より止まっていた物語が展開するのが面白い。
ざっくりすじを書くと、↑の女の人は島で教師をしているユリという女性で、小屋の脇で自転車が壊れ、直してあげたことをきっかけに文通が始まる。めちゃくちゃ王道の恋愛小説。
その後、ユリに宛てた手紙の中で、私はなにか罪を犯して(最後までどんな罪なのかは書かれていない)流れ着いたことがわかる。
P.101 この黒潮の先には、私の故郷がある。いや、故郷だったが正しい。
テングサの章とは違い、少しずつ私の素性と内面が明かされていく。お前こんなやつだったのか。
一番好きなのは、ユリになぜこの仕事をしているのかと問われた返信のこの部分。
P.127 私にとって潜るというのは、泣くことだからです。海中では、私の涙に気がつく人はいない。いつかこの海が私の涙で溢れても、誰にも知られることはない。運がよければ、悲しみだけ故郷に運ばれるかもしれない。
作中で一番感傷的な部分。
フックがあって、心に響いた。
薬指のない街一番の美人
一方で私に返すユリも魅力的で面白い。
例えば、最初の手紙はこう始まっている。
P.89 私はユリと言います。薬指のない街一番の美人です。
ユリは事故で左手の薬指を無くしている。自称美人で始まるけれど、読み進めていくとおそらく本当に美人で周りからも好かれていることがわかる。
ただ、田舎社会の中では「人と違うこと」が受け入れられない。そんな人の目と折り合いをつけていく違和感のようなものを、社会の輪の外にいる私に聞いてもらいたかったのかもしれない。
P.124 私は時々自分の形がわからなくなるときがあるんです。仕事の中での私、地域の中での私、両親の思い描く私、外からの枠がたくさんあって、もしかしたら使い終わったシールみたいに、中身はないのかも知れません。
でも訪れる別れ
手紙のやり取りを続けていた二人ですが、ひょんなことから私の素性が明るみになり、島を出ざるを得ないことになります。
ここんとこの別れがクライマックスなのですが、最後の手紙がぐっときます。
P.159 人を避けてきたのに、ここには他人がいない。みんな誰彼構わず自分のように考える。「慣れる」「一員になる」がわたしには理解できない。そして、わたしはそれが辛い。
そこで船に乗り込む私に対して、ユリは一緒に行きたい想いを伝えます。
終わりの部分を引用します。
P.171 「あなたとは他人になれそうにない」
初めて、そして最後に。透き通るようにやさしい響きを残して、彼は去った。
・
・
・
今もそれは残っている。
砂クジラの肌を知っていますか
テングサの章
手紙の章
別れの章
便宜上3つの章に分けて何度も考えるうちに、この構成の意味がわかってきた。
おそらくテングサの章は、仕事についた私の日記であり、手紙の章は文字通り二人の手紙のやり取り。そして、別れの章はユリが漁師小屋に残されていた日記を見つけて、それに書き足したのではないか。
作中にも急に時系列がわからない一文が入ったり、無駄に改行が続いたり、誤字かな?っていうタイプミスがあったり、ほんの少しずつそれっぽい描写が存在する。
もしかしたらただの深読みかもしれないけれど、そっちのほうが救いがある。
ユリは別れの辛さをなんとかしようと、物語を綴り書き足した。それが真実かは別として。
そして、あらゆる解釈を試みても、タイトルの意味はわからない。クジラも出てこないし、肌って言葉も(たぶん)なかった。
*
出会い方から、ずっと地元が舞台だと思いこんでいたけれど、作中には明言された箇所はありませんでした。でも、たんなる偶然だけど、最近八丈島にはクジラが来るようになった。嘘がホントになることもあるのかもしれない。
誰がどんな想いでこれを書いたのか。
ホントのところはどうなのか。
いつか機会があれば、答え合わせをしてみたいです。
待てうかつに近づくなエッセイにされるぞ あ、ああ……あー!ありがとうございます!!