ショートショート「グローバルイノベーション怪異」
「とにかくトライ、それに尽きるのよ」
長い髪の奥で鋭い眼光が光った。見えないけど。たぶん光ってる。
「しかしなぁ……」
「変化を恐れていては、どんどん衰退するだけですよ」
業界を越えた意見交換会は紛糾していた。既に終了予定時間を1時間は過ぎているが、誰も文句は言わない。みな、とにかく時間だけはある。
猫背の女性は髪を垂らしながら人差し指を天に向ける。おおよそそのイメージとは乖離した達者な口ぶりでこれまでの戦略と展望を語った。SNS、テクノロジーの活用、新しい価値の想像。訴求するターゲットの変化を敏感に感じとり、それに合わせた戦術を打っていく重要性。業界の先端を行く彼女は雄弁だ。登場から四半世紀経っても、その存在は薄れこそすれ決して消えることはない。むしろコアな人気は高まっている。どれも耳が痛く、だからこそ一理ある話ばかりだ。
「でもなぁ……。いまさらやり方を変えろったってなぁ」
眉のつながった男性が額をかきながら言う。その柔和な顔つきは変わることがないが、言葉には悲壮感が滲んでいる。世界中を渡り歩く彼にも悩みは尽きないのかもしれない。
「わたしも井戸から這い出る日々を過ごしていたときはそうでした。でも、ほんの少し。やってみたらまったく新しい世界が広がったんです。そこには恐怖と驚きが満ちていた」
「たしかに、テクノロジーの進化でみんなどんどん安眠して、夢は縮小するばかり。寝る時間すらゲームに取られて来ている。あいつら忙し過ぎるんだ。それはわかっているのだが……」
ぽりぽり。音が聞こえてくるような額を今度は指差し、着物の女性は長い髪をかき乱しながら情熱的に叫んだ。
「男の中の男!あなたなら!きっとできますよ!」
熱に浮かされたのかその柔和な顔がキリッとしてきたような、でも見てるとなんだか焦点がずれるような……ああ、ダメだ。これ以上見てたら夢に出てきそう。それは御免被る。
「やりましょう!」
今日、何人目かの説得成功。聞いている者もみなきっと、少しずつ自分の世界を出て新しい世界に挑戦する気持ちになっただろう。業界の重鎮として、この意見交換会議をアレンジした身としては嬉しい限りだ。コホン、とわざとらしく咳払いをしてから立ち上がる。勢い余って宙に浮く。ええいままよ。
「いやぁよき時間となって何よりである。吾輩が現役の頃はそりゃもう血気盛んな傑物ばかりで、こんな時間など想像もできなかった。血は大好物だがね。グローバルな見識、みなみなの視座や視点には感服しきりであった。さて、それではそろそろお開きに……」
そのとき、部屋の隅で四脚していた長い鼻が勢い立ち上がった。
「ちょっといいですか」
なんだけもの。あいつさっきまで寝てるみたいだったくせに。しかし威厳。威厳だ。忘れてはならない。なんにもないかのごとく、ゆっくりと着地する。落ち着かねば。ティーカップに注がれたトマトジュースを一口。こう年を重ねると、口が渇く。悟られないよう鼻で大きく息を吸う。声が裏返らないとよいが。
「なんだね」
狙い通りの低音ボイス。ふう、よかった。前回の〆では焦って牙で唇を噛んでしまい失笑を買ってしまった。数十年は棺に籠もったからなぁ。
「わたしは、人類を捨てるべきかと」
はぁ?人類を、捨てる……?
+
「はあ?」
声に出てきたらしい。ああ威厳。されど取り繕い。コホンとまた咳払いをして続きを促す。
「はい。さっきも話にでましたが、彼らは忙しく、そしてどんどん変わっていきます。ヒト出身の方でしたらそれも追えるんでしょうけど……。まあ数十年単位程度ですよね。それとほら人間って……」
さっきまで勢い天をつくかの女性がムスッと縮まりこむ。おいおい、揉めるなよ。血は足りてるんよ。コホン、とまた大げさに咳払いでしゃべりを止める。べんりだな、吾輩の咳払い。オンライン会議では勝手にマイクが消してしまうから使えないテクだ。
「まあ、一理あるな。うむ。それでどうしようというのだね?」
「それは、イルカです」
イルカ?どよどよとざわめきが走る。あのつるつるで長っ鼻の魚がどうしたというのだ。
「イルカは海棲哺乳類です」
「そこ、さとるな。心を読まんでよろしい」
猿顔のニヤケヅラを睨みつけると、「はいはい」とすぐに萎んだ。吾輩もそうだが、心を読める系の奴は傷つきやすい。しくったな。あとでフォローせねば。
「それで、イルカが何だと言うんだね」
「ええ、最近の研究でイルカは人類と同等、いやそれ以上の夢を見ることがわかってきました。先日思い立ってバグーッとそいつの夢を味見したところ、そりゃあもう美味で……。味はといいますと、ああ、思い出すだに旨い。夢見心地の食感と喉越し……」
コホン。
「すみません。言いたいのはですね、人類の次の種、恐怖も夢も持った新しい種族をターゲットにしていくのもありなんじゃないかということです。この会議ではその視点がなかなか出ないんで、まあなんていうか古くさいというか、すみませんねぇ。でも、今あるところよりまだ誰も手を付けていないほうがいい。ブルーオーシャンは、ほら、基本中の基本だと思うんですがね」
そうだそうだ!ブルーオーシャン万歳!拍手喝采のなか、「ひひひ、でしょう?イルカだけに……」とブヒブヒ鼻を鳴らす横で、濡れそぼる女性はもう怒りに震えていた。今度は髪が逆立ち天に登る勢いだ。もうやめてよー。揉めないでよー。
「しかし、人類あっての我ら。我らあっての人類だろう。長年の関係性を無下にはできない」
「ヒト型の奴らはどうなるんだ!見捨てるのか!」
「なーに、変化すればいいでしょう。時代に合わせて姿も形も、みな変わってきたじゃないですか。お得意のあれですよ」
「うーむ」
「しかし」
でもでもだって。いやいや、しかし。
はぁ……。んもう。今年はいい感じに〆られそうだったのに。みな時間だけはあるから、誰かが言わない終わらないんだもんなぁ。もう。
「みなさん!議論は尽きないが、そろそりょ!」
ツーっと口元に赤いすじ。ほらー、噛んじゃったじゃーん。もうやだ。
+
「博士!ついにやりましたね!」
「うむ。長年の夢が叶うぞ。あとは出力するだけだ」
人生の大半を研究に費やしてきた。彼らはヒトと同等、いやヒト以上の感情と意志を持ち、わたしたちとは違う言語と仕組みでコミュニケーションしている。きっと夢も見る。今日、その一端が明らかになるのだ。
「イルカの見ている夢の信号を遠隔でキャッチしてリアルタイムで映像化するなんて、まさにびっくりテクノロジー〜〜〜!これで学会の奴らを見返せますね!ふう!」
「急にどうした!?だがその通りだ、説明ありがとう。みろ、映るぞ!」
我先にとモニターを食い入るように観る……が。しかし、その合わせて4つの目に浮かんだのは、驚きでも感動でもなかった。人間、あまりのことが起きると時間が止まる。しばらくして、やっとこさ助手が重い口を開いた。
「これは……なんでしょうか」
「……うむ。思った通り言ってみたまえ」
「はい。長い髪で眉毛がつながったドラキュラのイルカが井戸からゆっくりと宙に浮いて…バクバク食べられてますね」
教授と助手は、首を傾げて45度。
待てうかつに近づくなエッセイにされるぞ あ、ああ……あー!ありがとうございます!!