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創価学会 宗教虐待「未来部(中等部)」のリアル

ここでは当事者である創価学会3世の私が宗教虐待について知ってもらいたい想いで何部かに展開して書いていきます。

未来部とは
創価学会には"未来部"という組織が存在しています。未来部は、学会員の若者たちが中心となって活動し、若い世代の教育や指導を行っています。未来部の目的は、学会員の成長と幸福を支援することであり、若者たちの将来への希望や夢を育んでいます。この組織は、学会全体の活力と未来を担う存在として、重要な役割を果たしています。未来部は、学会員の総意を反映した活動やプログラムを展開し、若者たちの成長と社会貢献を促しています。未来部は、学会と若者たちの絆を強め、新しい時代においても学会の理念と価値を守り続ける存在として、注目されています。(AI生成要約)


多感な時間を奪う拘束空間へ

小学生は学年があがるごとに周囲の反応の変化を感じ、徐々に自分の置かれている宗教的環境が異質なものであることを意識した時期。

さて、中学生になると状況はさらに過酷なものへと変貌する。
・小学生と比べてさらに内面に即した宗教教育を実践しようする
・親が「広宣流布」という自己正義のもと自分の子供と接点のある家族に近づき、創価学会の催しに参加するよう勧誘活動を活発化させる
・「中等部」という不定期の集まりに不参加の場合には人間性を否定する言葉を浴びせてくる
・試験勉強より宗教活動への参加を強要される

 学校や地域での人間関係もつらいものではあったが、当時の私にとって一番苦しかったことは「時間を奪われること」だった。
ほぼ毎週のように自宅へ訪問してくる一つ上のカテゴリーで活動する「高等部」の人物たち。
 彼らの話を玄関先できいていた時間が苦痛以外のなにものでもない。毎回わたしが在宅している夜7~8時のあいだに訪問は行なわれ、30分から長いときで1時間立ち話をする。

 中間試験、期末試験、資格試験前、果ては試験期間中までもわたしの時間を浸食する彼らは嫌悪の対象であったが、何よりもショックだったことは自分の親が勉強よりも彼らの話を聞く時間を優先するように言ってきたことだった。もちろん試験期間中であっても「中等部の集まり」への参加を強制される。もし少しでも参加拒否の意思表示をしようものなら人格を否定する言葉、罵詈雑言を容赦なくあびせてくる。自然と笑うことも少なくなり表情をなくしていった私は周囲から「ポーカーフェイス」と言われるようになった。

とある日の訪問
親『○○さん、○○くん来たよ。』
わたし『いま勉強中だから無理!』
親『何言ってるの?せっかく来てくれてるのに!はやくいきなさい!(叫び)』
わたし『……。(頭を思考停止させて人形のように彼らと対峙する)』
…彼らの帰宅後。
親『二度とあんなこと言うんじゃないよ!失礼よ!(叫び)』
わたし『………うぅ。(思考を停止させる)』

 それこそ最初のほうは抗うことを選ぼうとしたが、そのたびに狂気じみた親の言動にさらされる自分を自然とかばうように「何も考えない、何も応答しない」術を身に付けてその時間が過ぎることをただただ時計の針の音に耳を傾け堪えていた。

「時間を返せよ。」

 わたしは当時、繰り返し繰り返し歯ぎしりするほどに湧き上がる怒りとともに、そのやりとりから助けてくれない片方の親をひたすらに恨んでいた。

中学生の多感な時期の貴重な時間を、将来を考える大切な時間を。
返してほしい。
「キレる」という言葉が世間を騒がせていたあの頃、周囲の同級生は親に向かって自分の怒りやどうしようもない、やりきれない気持ちをぶつけていたようだけど、わたしはそれすらしようとは思わなかった。

 事あるごとに自分の意見を言ってみると一言目に必ず『池田先生はね。』という一節からはじまり、もはや親としての意見すら持ち合わせることなく会話をしていた。世間で起こる事件や学校での出来事を話しても『だから信心しないと。』『ほらね、信心しないからだよ。』と結論する。

その思考の恐ろしさと哀れさに、恐怖よりも『かわいそうな人だな。』という気持ちをもったときから「わたしはこんな人にはならない」と反面教師にして生きていこうと決めた。

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