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聖書を、読んでいる

まず、前提として、私は無宗教です。

そもそも私はずっと一人で歩いている人間です。
愛みたいなものを諦めた人間。
愛される可能性を信じられない人間。
人は絶対に裏切るから期待しない人間。

だけど、うちの子どもだけは、愛に値する命だと思っている。この子は愛を受け取れる子であれと、願ってる。

でも愛とは???と思っているなかで、たまたま会ったパート先の人がクリスチャンで、特に何を相談したわけでもないのに「聖書」の良い和訳本を教えてくれた。
このタイミングで紹介されるのは疑問へのアンサーかもしれない。
愛がわかるかもしれない。

私を見守る力は、縁をつないで導く力がものすごくある。全く予想もしない道を示すこともある。私は偶然に見える紹介やオススメを、その時負担でなければ聞き流さないで受け取ることにしている。

が、この本…長い。
文庫で全8巻。一冊の厚さもなかなかだ。さすが聖書。一筋縄ではいかない。

読み始めて、もう3ヶ月、例えるなら単語を毎日100覚えるように、こつこつ読み続けている。
今は3巻の終わりあたりを読書中。
2百万人のイスラエルの民をエジプトから脱出させ、神の約束した土地カナン手前まで率いたモーセが亡くなった。共にいたヨシュアが引き継ぎカナンに攻め入る、というあたり。

歴史物の本として書かれている。
クリスチャンの方が抜き出して標語のように美しそうに扱うようなフレーズは出てこない。
しかも、物語のストレス度が高い。作者は神の契約したイスラエルの民のことを読者に嫌いにさせたくて書いてるんじゃないか、というくらいイスラエルの民を愚かに描いている。
こんな、砂を噛むような間違いだらけの一族の旅を世界の人が聖書とする理由を、逆に知りたいまである。

キリストが生誕したら、もっと神々しい物語になるんじゃないか、と期待しながら旅を続けている。

私は物語に入り込むタイプなので、ほぼ、一緒に旅をしている。
モーセをようやく読み終えたあたりの怒りは読書とも思えない感情的な気持ちだった。モーセのいた3巻は神の臨在もかなりの頻度で描かれて、展開が面白いのだけれど、その分、ひどいことが起きすぎる。

おまえ、まだ裏切るのか10回目の災厄までわかんないの?神様も国の指導者が悪いのに国民を殺し過ぎて残酷すぎる。なんだよ金の牛が何してくれるっていうの、また40日かけて山で石版もらうの大変すぎる。もうおまえらついてこなくていい、なんで前はマナをあんなにありがたがってたのに忘れるんだ。みたいな怒りと無力感の満載の物語。
今のところ、モーセは本当に根気強く、よく頑張っていたなあ、と、労うような尊敬するような気持ちだし、モーセこそカナンに到達してほしかった。

おかしいな。愛や信仰の気持ちにはなっていない……

また、区切りの良いところで感想をかきます。
最後には私の考えかたが変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。

パート先は辞めたから、教えてくれた方には報告できないけれど、これも縁だから最後まで読んでいきます。

追記
「僕」という漢字をみて、頭の中で「しもべ」と読むようになる脳プログラムの上書きが起きています。

書籍タイトルを本文に入れると身バレしそうなので消しました。noteでタイトルいれて検索したら、私の記事しか出てこなかった・・

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