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いつでも幸せという気持ちは

こんにちは、こんばんは。

だいぶご無沙汰になってしまいましたが、元気です。
これを読んでくださっているあなたも、元気でしたでしょうか。

まず近況報告からしますと、この春、無事に大学を卒業できることになりました。つまり来る四月から社会人です。

大学4年間どうだったかとか、あんまり振り返る気分でもないので書きませんが、いつかは書くかもしれません。

いま懐かしがるほど昔じゃないし、大学生だった4年間という括りで何かまとめられるほど単純なものでもなかったと思うし、どちらかいうと早く切り上げてしまいたかった方なので、もう気持ちはかなり先に行ってしまっています。

コロナの影響で卒業式はなくなり、学位記も4月以降に郵送とのことで、明確な区切りがないままふわっと学生生活が終わるようです。
これでバイトを続けていたならまだ少し生活に秩序があったのかもしれませんが、2月いっぱいで辞めてしまったので本当に自由が利きすぎていて、4月を前にゆるゆる堕落しています。

行きたかったところには行って、会いたい人に会って、食べたいものは食べて、読みたかった本を読んで、とても幸せな日々なのですが、さすがにこんなに自由が利いているとちょっと色々麻痺するようです。

突然何もしたくなくなったり、何かしたいはずなのにそれが何か分からなくなったり、するべきことを明確に思い描けるのに全く動けなかったり、明るすぎる希望のあとに地を這うような暗い不安がやってきたり。

人生は楽しい、幸せだ、いろいろ含めてこの世のすべてが幸福なんだと思える時もあれば、どんなに生きても満たされない、光があることは闇があることと同義だから結局この世のどこかには常にどうしようもない暗さが存在していてそれをどうにかすることはできない、光だけを見ることは不可能だしそれをすべきではない、でも闇に目を向けたからといって不幸に対する恐怖に足がすくむだけ、何のために世界がこんな姿をしているのか分からないしこの一瞬に何をしたら一番いいのかも全然分からない、
そんな風に感じる時もあります。

私は全く不幸ではなくて、本当の意味で幸せだと知っている、感じているのですが、(これはもう感性の問題)
この世界のことはやはり分からない。生きている内に分かるものではないのかもしれない。

だからこそより良く生きたい、生きねばと思うのですが、感性が閉じたり開いたりするのが激しいのか、目的が日々の中でどんどんぶれていくんですよね。

今日だって新鮮な美味しいお野菜が手に入ったのに、わざわざファストフード店に出かけてハンバーガー食べたり、お菓子と甘いインスタント飲料を買って帰ったり、卵を茹でながらそれをほお張ったりして、何してんだろうなって。

話、繫がってなくない? と思われるかもしれませんが、私の中では繋がっているのですこれが。本当に書くのが下手なんですけど…

社会人になる直前というこの不安定な時期ゆえなのかもしれません。元々、新しい環境に変わる前後はナーバスになりやすいので、ある意味いつも通りかもしれません。
でも何でしょう、この漠然とした不安と、投げやりな気持ち。


こんな時に救ってくれるのはやはり本でした。

「正しい」感じの本ではなくて、ただ作者が書きたいように書いたんだな、意味わからないな、と思えるような本。そんな本たちが幸い手元に何冊かあり、それをぽろぽろ読む内にいい塩梅で自分が世界に落ち着いていける。

さっき書いたみたいに世界とか含めて考え始めてしまうと、もう自分の存在は地上にないというか、どっか行っちゃうんですよね。ふわふわしているだけならいいのですが、どこにいれば分からないという不安がまずいのです。

そんな状態を、いくつかの本が助けてくれました。自分はここにいていいんだ、何もできないし全然ちゃんとした人間じゃないけど、毎日朝をむかえて息を吸って、ごはんを食べたり電車に乗ったりしていいんだ、と思える。

人生がどうでもよくなるわけではないのです。人生は本当に貴重で愛おしいと思っています。

ただ自分の人生を捉え直すだけ。

毎日朝をむかえて息を吸って、ごはんを食べたり電車に乗ったりして、その中に過剰なものを見出す必要はない。
ウイルスもAIもワニも関係ない。それと同じように4年間も学位記もこれからの仕事も、人生の愛おしさには関係ない。

正しく言うと関係ないことなど一つもないけれど、本質を感じるなら関係ないことが分かる。
世界がどうでもいいわけではなく、ただ、自分がここに存在していて人生があるということを認識する。

そうするとパンケーキ食べてウルトラハッピーみたいな気分にはならないけれど、人生を生きることはいつでも幸せという気持ちになる。言い聞かすとかではなく、もちろんスピリチュアルな話でもなく、ただそういう気持ちになる。


ちょっとぼーっとしながら書いたので、何のことを言っているのか全然わからない、という人も多いかもしれません。それでもいいかなと思ってしまいました。
何のためにnoteを更新するのかとか誰が読むのかとか、考える前に、ただ書いておこうと。

ここはもう半分くらい感性の空間になってしまったので、あとで読み返した自分も分からないかもしれません。それでもいかなと思います。

おやすみなさい。

明日も同じような幸せが、できるだけ多くの人に訪れますように。