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ikari itami ikitai

「素直なんですね」
と言われた時、それは違うと思った
そんなピュアで穏やかな感情ではない
あえて喜怒哀楽でいうならば、「怒」
けど、マグマのように赤く燃えたぎってはいない

冷めきった怒りです

当たり前の日常が、一瞬で崩れ去ることがある。
何ができるかなんて、究極自分の身は自分で守る以外にないんじゃないか。大変なことが起こったら、誰かが助けてくれる前提で話が進むけれど、その「助けてくれる人」にだって家族や大切な人がいる。それでも結局自分が一番可愛いから、どこまでいっても他人は他人事。自分の痛みには敏感なのに、人の痛みには鈍感なもの。挨拶代わりの「大丈夫だった?」が妙に鼻につく。「大丈夫だったよ」と笑って答えれば、たいてい会話は終わる。

久しぶりに来た連絡が、結婚しますだった。
直近のメッセージは私の返信で終わっていることに、おそらく向こうは気づいていない。「悩んでいる」と、向こうから相談されたのに、2年も返信がないってどういうお考えなんでしょうか。返信なかったけど?と聞いたところで、心の靄は晴れないことはわかっている。結婚祝いがほしくて連絡したのかなと思う自分も嫌。「忘れていた」という言葉は便利だけれど、忘れない側の人間を苦しめることを忘れている。結婚祝いを送って、私が忘れよう。

渡された1万円札を、軽く感じてしまった。
なぜここに呼ばれているのか、何を求められているのか、なぜそれが自分なのか。考えて感じて試行錯誤して、10年経った。ただその場に行けるだけで嬉しかったのに、今はこの場にいることに疑問を持つ自分がいる。技術や経験を無条件に提供できるのは、「好き」という麻薬が効いている期間だけ。待遇に不満があっても続けるのは、「それでも好きだから」というただの自己満足。ただ、お金で買えない価値に対して、最大限の敬意を払う手段は、きっとお金だと私は思う。

「これきっと好きだと思うよ!」
と言われた時、「私の好きを知っているの?」と怒りを覚えてしまった。どうして、簡単に決めつけることを恐れないのだろう。どうして、自分の言葉にすべてを収めることを疑わないのだろう。冒頭の「素直」という言葉も、前述の出来事を話した相手から飛び出たひとことだった。私は素直だから、あなたに話したわけではない。私は今あらゆることに怒っていて、それをうまく消化できていないから、話を聞いてほしかった。素直だからじゃない。

中学生みたいな反抗心と、
老人みたいな無抵抗感が交互に押し寄せる。
ねえもっと、
自分の声に耳を傾けられるようになってよ。
誰かの言葉で自分を語るのほんと見てられない。
自分なんて一番わかんないんだから、
最も丁重にお取り扱いください。
私はそろそろ、
怒りつづけるのにはうんざりしてきた。
私が先に忘れよう。
その怒りが痛みになって、
生きたい気持ちがなくならないうちに。

Respected by
藤井風 「帰ろう」





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