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菊とたんぽぽ

火葬場へは駅からタクシーで行った。前日に買っておいた花は水に浸けておいたがもう萎れかけている。

「お父様、今夜持たないかも知れません」

 二日ほど前に看護師から電話があった。すぐに病院へ向かったが間に合わなかった。

 享年七十歳。父は胃がんだった。

 不思議と涙が出なくて自分でも冷たいと思った。それよりも、ひっくり返った虫の死骸のように硬くなって動かない父のなきがらを目の前にしてこう思った。

「どこ行ったの?」

 私には父がそこにいると感じられなかった。

 火葬場で父の体は棺に納められていた。係員に促されて粗末な花を手向けた。

遺骨は拾ったが墓はない。そもそも父とは七歳で離別していた。参列者は私と連れの二人ぼっちだった、


 父の人生をよく知らない。母の口ぶりでは、人柄は見栄っ張りで女好きらしい。私が幼い頃、父はスナックを経営していた。店は五店舗ほどにまで増えていった。

 母曰く、

「広げすぎた屏風は倒れる」

 案の定、借金で首が回らなくなった。ある朝、目が覚めてリビングを覗くと母がすすり泣いていた。

 借金と妻子を残し、父は若い女性と姿を消してしまった。

 父は生涯、生まれ持った衝動性をコントロール出来なかったのではないかと思う。

 父の部屋を整理した時、青い錠剤を見つけた。薬局で処方された類のものではなさそうだった。ネットで検索してみると、勃起不全治療薬だと分かった。

 人はいくつになっても褒められたいのだと思う。父が誇れるのは男性としての自負だったのかも知れない。


 父から受け継いだ衝動性はコントロールが難しい。私についた診断名は「双極性障害」だ。

 理性が働かない状態になると依存に陥りやすい。ギャンブル、買い物、アルコール、薬物、恋愛、DV。罠はそこらじゅうにある。

 もしも私が男に生まれていたら、頭に血が上るたび人を殴っていたと思う。

 その代わり、私は自分自身を傷つけてきた。

 テーブルいっぱいに広げた菓子パンやスナック菓子。泣きながらそれを口に詰め込んだ。

 カロリーはあるのに栄養はない。食べても食べても満たされない、本当に欲しいものはケーキでもドーナツでもなかった。

 こころが飢えていた。

 寂しさを紛らわせるために負のループへと脳が暴走していった。過食も依存の一つだった。


 時々、人生はジグソーパズルのようだと思う。

 試行錯誤と忍耐が必要だけれど、諦めなければ次々にピースが繋がる瞬間が訪れる。

 例えば私の障害は、症状としてうつ状態になることがある。私のうつは死神をおんぶしているような感覚だ。もう目覚めたくないと毎日願っていた。

 それでも暗いトンネルはいつか必ず明るい場所に出る。

「今日はカーテンを開けた」

「いつも行くコンビニの店員さんが話しかけてくれた」

「たくさん泣いた。悔しくて、生きてやると思った」

 そんな小さな出来事の積み重ねが、自分の足元を照らしてくれた。

「必ずよくなる」

 ネットの海に漂流していた知らない誰かの言葉が私の光だった。

 漂着したメッセージに励まされた私は、どこの誰かもわからないその人に直接恩を返すことが出来ない。

 だからこうして恩を送っている。希望のバトンを、今苦しんでいる誰かに渡すために。

 言葉はたんぽぽの綿毛のようだと思う。どこへ飛んでいくかわからない。でも今それは重要じゃない。

 綿毛の目的は種を運ぶことだから。芽吹くかどうかは運次第だけれど。

 病は人を失望させることもあるけれど、同じくらい希望を与えてくれるものでもある。

 たくさん泣いた人に、笑顔の花が咲きますように。

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