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「行きたいけど行けない」と囁いて


「学校に行きたいけど行けない」と囁いてきた。

今は一日でも休めば「行きたくなければ行かなくていい」と言われるようになった。

私の時代には、登校拒否と言われ、不登校という言葉はなかった。
フォローする保健室もスクールもない。
 
理由を求められ、探られ、作られる。

で、冒頭に戻っていただきたい。
もし、お子さんが
「行きたいけど行けない」だと、
「行きたい」気持ちには寄り添えてない。
「行きたい」という気持ちに寄り添わず、親の自己満足の既存の優しい台詞言っただけでは?
「行きたくない」理由があるならば、理由には寄り添いましたか?
どこか、フォローされる受け皿があるから、大丈夫。結構ある事だから。とか思ってませんか。

「何のため」「誰のため」
を基本に心に寄り添ってください。
助けるでもなく。
けして、上から吊り上げるのではなく。放置されてる方は、これに触れる機会も持っていないのであろう。

本当に鬱々と、悶々と、長い旅になるかもしれませんが、
人の中身を見つめてください。
身体は のりもの でしかありません。

ごめんなさい。詩に夢も憧れもありません。できる事をしよう。書き出すしかない。書き出す努力してる。結構苦しい。でも、一生書き出す覚悟はできた。最期までお付き合いいただけますか?