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「癌で死ねたら本望です」のつづき〜癌との闘病宣言〜


「癌と闘病します」
と最初に言った逸見正孝さんは、偉い。
何でも最初にやった人は偉い。
ショッキングだっし、強いと思った。
死を目の前にしてる事を伝えるタブーみたいなのがなくなった。

続いて、皆闘病宣言し闘病生活をSNSに上げる。

ここからが、私がひねくれてるのか。
癌で死ぬのは許されていて幸せな死に方だし、闘ってるのは確かに苦しいし目の前の死向き合ってるのは辛いが、。
癌は合法じゃん。死と向き合う時間、余裕がある。周囲も。

私はタブーを書くのだが、
「私は警察の世話にならずに死にます。救急車を呼ばずに皆んなに看取られて死ねれるように闘います。それでも生き抜きます」
という宣言が通るのか。
死は突然やってくる場合が多いだろう。

そして、第一発見者が誰になるのか。
第一発見者という不幸、宿業を持った人がいる。
私は、発見する側の宿業ではなく明らかに発見される側である。
正直、この先の人生が怖い。今のところ第一発見者になって欲しい人がいない。看取って欲しいと思える人がいるのは幸せでしょう。

前回の話が癌保険の勧誘の人が、「今、癌で亡くなる方は2人に1人です。」と話し始めた。で、話をふんふんと聞いた後「癌で死ねたら本望です」とガチャンと電話を切ったのだが。

残りの2分の1の人は、どのような保険があるのでしょう。保険屋さん、いいプレゼンして下さい。

第一発見者の宿業の人からの電話を受け取っている.声を聞いているわたし。状況としてまたありうる。救急車と警察を呼ぶのも慣れる?

私は火事の第一通報者にはなったが。

死に対する心の準備というより、死のあと心を整えていく。その時周りに家族がいればいいが、孤独な人はどうするのだろう。

*こないだ観劇した際、アンケートを書き始めたら、例によって書き込み出しから、詩になったので、添えます。

「生かされてる」
生かされてる
じゃあ どう生きるか
生かされた者の責任

どう死ぬか
残していく者のための
財産となるのか

ごめんなさい。詩に夢も憧れもありません。できる事をしよう。書き出すしかない。書き出す努力してる。結構苦しい。でも、一生書き出す覚悟はできた。最期までお付き合いいただけますか?