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♪シーズンサヨナラ♪東京事変をnanaで歌ってみた〜からのエッセイ

この出だしは
〜季節知らないままサヨナラ〜
で、前奏かなしで入るのだがnanaが1分30秒という関係上泣く泣くカットされている。

歌詞、詩には、一時の恋を感じる詩的歌詞としてワンシーズンをたくさん表現されてきた。

私は、少なからず2つくらいは表現したと思うが。
〜夏服見せれないね〜
だったけ?
とにかく高校の現代文の女の先生が言ったのが、「冬服見せれないね」だった。
話はズレていくのだが、先生は、私達が2学年の4月から3月と卒業後の4月から3月に、産休育休を見事にとるのだ。冬にはお腹が大きくなるで、「私の冬服のファンションが見せれないまま、あなた達は卒業ね」ってなわけだ。凄すぎ。親戚中が先生の秘技だったのか。
はい。完全に話はズレて戻しますが。

ワンシーズン3ヶ月。駆け抜けた恋。♪こっぱみじかい恋♪としては丁度いい長さだ。

失恋で家が気がつけば、もう秋なのに夏服が散乱し扇風機が出しっぱなしだわ。とハタと気づくとか。
夏になったら花火行こうねと言ってたのに、別れちゃったとか。

付き合い始めたつもりで、実際会ったのは1週間や3日や1日で、だんだん「私達、つきあってるのかなぁ?」の旅。そして、わざわざ会いに行ってフラレに行くという儀式。丁度ワンシーズンくらいじゃないですか。

一年後同じ季節巡り、服、音、空模様、食物、行事で、一年経ったんだぁと思う。まぁ、だいたいそれくらいで忘れれるでしょう。

日本だけに四季があり。俳句には季語を入れなければならない。季語の数、数多ありいくらでも作れる。
まさしく、情緒、詩的なものとして季節を表す事もは、歌詞にも、詩にも必要だし、季節入れるだけで、詩的だ。

海外では四季はなくとも雨季と乾季があったりするわけで、また違う情緒があるのかもしれない。
一瞬の晴れ間の奇跡。
道を塞ぐ突然の雨。
気持ちも晴れない、雨も降り続く、あなたへの思いも降り続く。
とか。

国によって、発音発声も違い、音符への乗せ方も違う、文の乗る分量もかなり違う。ので、更に違う世界の詩的情緒が各国にあるのだろう。

それを訳詞される方の妙技。英語を日本語の歌詞にすると3分の1になってしまう。
ほとんどの独自にしてうならまだニュアンス、発想だけもらえばいいが、オリジナルで、感じた思い伝えようとする。しかも綺麗な日本語で、詩的に。聖行だ。如何様なるものか。


ご近所の人の季節の挨拶が苦手だ。日本独自の季節が移りゆくからこそあるコミュケーションだそうだ。
ご近所さんとは、無防備なる状態で、不意に声をかけられる。
「暑くなりましたね」「暑くなりしたね」とオウム返しでいいのだろうが、どうしても、自身でハードルを上げ別の表現したくなるためだろうか。

ごめんなさい。詩に夢も憧れもありません。できる事をしよう。書き出すしかない。書き出す努力してる。結構苦しい。でも、一生書き出す覚悟はできた。最期までお付き合いいただけますか?