Sang comme paris Chapitre5

最後に喪主であるミッキーの挨拶になった。ミッキーは大柄で前に立つとなんだか迫力があった。「父は。」話し始めたミッキーの声は絶対に聞けないであろうとてもしおらしい声で、ミッキーは挨拶を始めた。

「父は本当に素晴らしい人でした。そして同時に私にとってあこがれの存在でした。穏やかで博識でそれでいて力強い父が大好きでありました。最後の任地から日本に戻ってきた父は痩せていてかつての力強さこそ無くなっていたもののベッドに横たわる表情は昔とあまり変わらず穏やかで澄んだ目をしていました。参列していただいた大多数の方たちがご存知かと思いますが私は駅前でバーをやっています。名前はSang comme paris、『パリは血』という意味です。訳を聞けば生々しいように思われますがこれは父との思い出に理由があります。 

私は今まで生きてきて3回パリに行きました。とても素晴らしい街でした。3回とも父の仕事で行きました。父もパリを気に入っていました。3回目のパリで日本に帰る前夜のときホテルから夜景を見ながらぼそりと呟きました。『パリは血だな。』私は当時小学4年生でしたがずっとこの言葉を覚えていてそして初めて店を持つとなった時この言葉を使わせてもらいました。父は何度も私の店に来たいと任地から手紙を寄こしてくれて私もまた父が来てがっかりしないように店の雰囲気づくりやホステスたちの教育に力を入れました。しかしそんな願いもかなわずに父は病身で帰国しそのまま入院となりました。入院してしばらくたった時のある日の昼下がり、父がおもむろに訪ねてきました。「どうして店の名前を『パリは血』なんて生々しい名前にしたんだい」私は3回目のパリでの出来事を父に話しました。すると父は穏やかに笑いながらこう言いました「あれは『血』ではなくて『うち』といったんだよ。」この聞き間違いに感動し私は一生懸命働いてきたと思うとなんだか体の力が抜けてしまうようでした。ながながと脱線してしまいすみません。最後に重ね重ね悔やまれることはただ二つ。私のお店に父を呼べなかったこと、そして私の大事なもう一つの家族であるホステスたちに父を紹介できなかった事です。父は私の生き方を恥じた事は一度もありませんでした。しかしその分私は何度も悩みました。父は私にとってあまりに良い人過ぎたのです。

亡くなる直前父はこういって旅立ちました。「一度でいいから美貴也の作った酒を呑みたかったな。」その瞬間、私は思い切り泣いてしまい父はその中で亡くなりました。

以上が新井俊之の子としての挨拶です。

まとまりのないあいさつですみません。本日は大勢の方に来ていただき本当にありがとうございました。」

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