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徒然日記 不登校児の人生を変えた一冊

あの頃、私には居場所が無かった。正確に言えば、安心できる場所が無かった。これは、そんな私の心の支えになる本との、出会いの話だ。

小学校入学と共に引越し、知り合いの誰も居ない学校に入学した。知らない顔と名前ばかりの、知らない場所。周りの子達は幼稚園からの馴染みが殆どのようで、私はどうしたら良いかわからず友達を作れなかった。

別に静かな子供だったわけじゃない。どちらかと言うと活発で、運動大好きなお転婆娘だった。ただ、人見知りというかなんというか、自分から知らない人の輪に入って行くというのができなかった。

要するに浮いていたんだと思う。だから、誰かをからかいたい期の男子達の餌食になった。
なんでそんな扱いを受けるのかわからなかった幼い私は、誰にも相談できずに、掃除の時間、1人で掃除していたベランダで堪えられなくなって泣いた。

でも、学校に行かないという選択肢は無かった。私は家にも居場所が無かったからだ。
兄弟姉妹の1番上として、何があってもしっかり者でいなくてはいけなかった。どちらかと言えば貧乏だったし、父は性的虐待以外のことはほぼ全て家族にやる人だった。薄着で真冬の外に放り出されたこともある。
毎日布団の中で静かに泣いた。「自分が生まれたせいで、母も弟妹達もこんなに辛い思いをしてるんだ。自分なんか生まれてこなければ良かったんだ」と眠れない夜を明かして、寝不足のまま学校に行った。なんで生きてるんだろうと、7歳の私は毎日考えていた。

2年生の時も3年生の時も担任に恵まれず、いじめにも遭った。いじめに遭って知ったのは、先生も子供をいじめるのだということだった。学校に行こうとすると具合が悪くなり、そして行かなくなった。

両親は自営業をしていたので家と近所の仕事場のどちらかには居た。普通なら羨ましがられたかもしれない。でも我が家は違う。ちょっとでも父の機嫌を損ねれば恐ろしいことになる。
正直、小学校の時の記憶は殆ど無いので、今この記事を書く為に頭をフル回転させて思い出しているのだが、不登校だったのはそんなに長い期間ではなかったと思う。

父に行けと言われた記憶は無い。その代わりに本を読めと言われた。運動大好き娘の私にとって読書は未知な物だったから、家にいる間は絵本くらいにしか目を通さなかった。あとはゲームをして過ごしていた。
担任が何度か家に通ってきて、また学校に行かざるを得ない空気になったので行った。別にいじめが無くなったわけでも担任からのデリカシーの無い発言が無くなったわけでも無かったが、耐えるしかなかった。もうこの時には、毎日父の怒鳴り声を聞きながら、死にたい死にたいと考えていた。何故、生まれてしまったのだろうと毎晩枕をビシャビシャにして泣いていた。

4年生になっても陰湿ないじめは無くならない。
もう私自身もめんどくさくなっていた。家にも居場所が無いし、学校でも誰も守ってくれないし、もう本当に死のうかとも思っていたくらいだった。でも教室には私以外にもいじめられてる子が居て、その子を放っておくことができず、なんとか学校に行っていた。

その子はよく本を読む子だった。静かに自分の席でずっと本を読んでいて、読書ってそんなに楽しいのかなと、この時ようやく興味を持った。
父が読書家だったお陰で、家には大量の本がある。その中から子供でも読めそうな本を教えてもらって、ウサギが主人公の本を読んでみることにした。「ウォーターシップダウンのうさぎたち」という本だ。そして見事に、ハマった。

この時のことはよく覚えている。ハマってからは齧り付くようにその本を読んだ。小さなウサギ達が困難に立ち向かう。人間からすれば小さな地域での話かもしれない。でもウサギ達にとっては命をかけた冒険だ。仲間内でトラブルもあれば、他の群れとの戦争もあった。悲しい別れや新たな出会い。なんて素晴らしい体験をしたんだと生まれて初めて感動した。
本を読めば、苦しいことも忘れられた。忘れるというより、もうひとつの世界に行って自分も必死にその中で生きているようにさえ思っていた。現実逃避と言えば洒落っ気が無いが、カッコよく言うなら没入体験をその時味わったのだ。
ウサギ達を通して自分は今戦ったり冒険したり、考えたり怒ったり悲しんだりしている。自分にはまだ、それを素晴らしいと思う心が残っていた……!
そこからはもう本の虜だ。家の本を読み、学校の図書館に通い、果ては本を読む為に使っていた辞典すら愛読書になった。調べたい言葉のページを一発で開けるほどに、国語辞典と漢字時点は使い倒した。私のボロボロになった辞典を見かねた父が、自分が学生の頃に使っていた、ちょっと難しい言葉も載っている大人用の辞典をくれる程だ。
どんなに学校が辛くても、どんなに父が恐ろしくても、本さえ開けば大丈夫。私にとって初めての、心から安心できる場所ができたのだ。相変わらず家に居るのは辛かったが、なんとか学校には通った。

中学に入学するとまた親の仕事の都合で引越しをして、さらに陰湿で冷酷ないじめに遭うし、家庭内の様子も酷くなっていったが、いじめはなんとか無視できたし、父にも一度だけ言い返せた。少しだけ心が強くなったと思う。
まぁ結局どちらも悪化したし、その頃には胃痙攣を起こすようになっていて、さらに殆ど眠れなくなっていたから体調も最悪だったが、本の中はいつだって味方してくれた。そしてどうしても辛い時には、あのウサギ達に会いに行った。ベッドのライトを点けて、布団を被って、隠れるようにして本の世界に旅立った。少しだけ、涙で枕を濡らす日が減った。その時には目標もできていた。

『自分も同じように物語を書きたい。誰かを支えられるような、そんな本を書きたい』

死にたいと願っていた子供が、生きることに目標を見出した。今思えば、自分の中で革命が起きたくらいの衝撃だったなと思う。
死にたいと全く思わなくなったわけじゃない。生きるのはそんなに簡単じゃない。状況は何も変わってないし、むしろ大学に上がるに連れて心の状態は悪化していくが、私には心の支えがあった。
何があっても裏切らないとわかる支えの存在。心の支えができたことで少し強くなったし、今生きているということは、そのお陰で耐えてこられたということだと思う。

今でも私にとって、あの勇気あるウサギ達は心の支えであり、お守りであり、一生の友であり、信頼できる先生なのだ。
私に生きる世界を与えてくれた素晴らしい物語は、今も私の本棚に入っている。あのウサギ達に、私が目標を達成するところを見せたいという思いで、私は一心に物語を紡いでいる。
当時の私と同じく不登校真っ最中の娘も読書が好きなので、折を見て娘にオススメする予定だ。きっとあのウサギ達はまた、1人の女の子を支えてくれるだろうと信じて。

まつかほ

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