存在しててえらい
すごく、くだらないことを申しますと、私にも恋愛感情というものがございます。俗っぽくて、自分でも嫌になる。愛情と劣情の区別をどうつければいいのか分からない思春期の私。
そのひとは、私が物事を脳内で咀嚼し解釈を得る行為を、素晴らしいと讃えてくれました。そして、存在しているだけでも偉い、とも言ってくれた。どこまでが本心なのかわかりませんが、そのひとは素直なので、きっと本心でしょう。そうでなければ私はもうどうすればいいのか分からない。
私という人間は単純で、少なからず好意を抱いている相手に褒められると、それだけでいつまでも生きていけそうな感覚になるのですが、前述のことを言われた時は妙に冷静な自我が出て来て、きっと夏の半ばまでしか持たないと囁いて来ました。
果たしてその囁きは本当になりました。
六月から七月の私は、ある意味精神の高揚によっていくらか活動的になっていたように思います。日記も何度かつけた。人生を賛美した日だってあった。
全て、ほんの少しの言葉のためです。
気持ち悪い。吐き気がします。比喩でもなんでもなく、本当に吐き気がします。喉の奥に何か詰まっているのではないか。
七月の終わり頃から、なんの意欲も湧かない。「死にたい」を「生きていよう」で打ち消せなくなって来た。頭の中でずっと「死にたい」と「何もしたくない」が渦巻いています。
無駄なことをしている感覚が一日中抜けません。息を吸うのも億劫になった時、いっそこのまま死のうかと思ったけど、息を止めるのは苦しいし面倒くさくて諦めました。
きっと、死ぬ時が来たら恐怖で咽び泣くのでしょう。私は何をしているのでしょうか。暑いです。寝ても体が痛いだけなので、それも嫌になって来ました。今日外を歩いてみたら、膝が痛くて、泣きそうになりました。
何もできない。画面を行ったり来たりする指だけが、世界と繋がっている。
気持ち悪い。
死にたい。
私の言葉は全てつぎはぎの思考でしかない。
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