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書評ブログ。幸せになるために~アランの幸福論~

こんにちは

今回も読んだ本の話をしていきたいと思います。

今回読んだのは

「アランの幸福論」 エッセンシャル版


名前くらいは聞いたことあるのではないでしょうか。いわゆる、哲学という分野の本ですが、とても興味深い学問です。哲学というと、難しいイメージだと思います。実際、そういう側面もないとは言えませんが、現代にも使える思考法が盛りだくさんです。

この本は1ページごとに名言風、日めくり名言カレンダーみたいになっていて、現代風に翻訳してあるので、とても分かりやすいです。哲学のとっかかりとして、読んでみてはいかがでしょうか?

では、私が今回、話すテーマは幸福論というタイトルに沿って、「幸せになるためには?」でやっていきたいと思います。

哲学者アラン

まず、この本の作者であるアランの紹介を軽くしていきたいと思います。

フランスの哲学者。本名:エミール=オーギュスト・シャルティエ。才気あふれる哲学教師である傍らアランというペンネームで数多くの本や記事を発表。

そんなアランの最も有名な本が「幸福論」です。

幸福論という本は世の中にたくさんあるなかで世界中で翻訳され、古典的に読み継がれている作品です。ヒルティ、ラッセルと並ぶ世界三大幸福論とされています。

哲学を文学に、文学を哲学に」変えようとする独特の文体で日本にも幅広い層に親しまれています。


幸せになるためには? アランの思考

幸せとは喜び、楽しいという感情だ。

この本には、そのための思考法などが名言風に書かれています。

その中でも自分に響いたものを自分の考えも付け加えて、紹介していきたいと思います。

悲しみは病気の一種にすぎないから、理屈や説明をあれこれと考えずに、病気と思って我慢しよう。そうすれば、苦々しいことばを際限なく言うこともなくなる

ここでアランは悩み苦しむのはあれこれ嫌なことを考えるからだと定義し、その心の痛みを病気と考えろと諭した。つまりはこういうことだ。精神的な苦しみより身体的な苦しみの方が耐えられるだろう。いつかはその苦しみは必ず消えるのだから。病気やケガはいつか治る。だから、その痛みも病気でいつか治るからと考えて、今は何も考えず、我慢しよう。

結局は自分がどうとらえるかという問題。


想像力は、習慣から逃れられないからこそ、人の世界を左右する。けれど、想像力は何も作る出すことはできない。何かを作り出すのは、行動である

どんな幸せを想像しても、それは幻。幸せは自分でつかみに行かねばならない。つまり、行動でしか幸せは手に入らないということ。


自分以外に言い訳を探すような人が幸せだったためしがあるだろうか

自分の失敗を認めない限り、人はそこで止まる。人は前進することに喜びを感じる。喜びは幸せだ。成長という喜びを放棄したものに幸せは訪れない。


人生が困難であるほど、人は苦難に耐えて、もっと喜びを味わうことができる

困難であれば、あるほどそれのことしか考えれない。ありもしない想像で自分の気持ちを暗くさせる暇がないのだ。人を不幸にしているのは大抵、自分で作った嫌な想像だ。それをなくすだけでかなりの幸せが訪れる。つまり、忙しい人、夢中なものがある人になろうということだ


やりがいのあることはすべて難しいのである

不幸になるのは簡単。幸せになるのは難しい。当たり前だ。難しいものに挑み続け、その先の喜びに幸せがあるのだから。つまり、幸せは難しいものへの挑戦が第一歩である。


幸せだから笑うのでない。笑うから幸せなのだ

人の心と体は密接につながっている。悲しい顔をすれば、悲しくなるし、笑えば、楽しくなる。だから、どんな時でも、まず、笑おう。そしたら、だんだん楽しくなってくる。


人は幸せになることを誓わなければならない。だから、悲しくなるような考えはすべて間違った考えである

人は何もしないでいると、すぐに悲観的になる。退屈が最大の敵だ。だが、そこで生まれる考えはすべて間違っていると思いこめ。悲しくなるために生まれてきたわけではない。幸せになるために生まれてきたのだ。


まとめ

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。

哲学はとても興味深い学問です。何百年も前の考えが今を生きる私たちの心に響くなんて、ものすごいことだと思います。

つまりはこういうことなんだと思います。

人間は変わらない

どんなに時代が変わっても、そこに生きている人は変わらない。

哲学者と同様、答えのない問いを人生で体現してるような気がいます。

人間とは?なぜ生きるのか?なぜ生まれたのか?幸せとは?

最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。

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