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有名になったからファンやめる!!みたいな現象に名前をつけたい


こんにちは!!


今日は流行、流行りについてお話ししたいです。


流行って毎年変わるし、同じものがずっと勢いあるってなかなか無いと思います。
けれど、毎年必ず何かが流行するということは不変の事実だと思います!!


そこで!!


昔から思ってたこと、書きたいと思います!!

答えはないです。


疑問提起と書いているうちに何か納得いく考えにたどり着くかなという願望を含めて書いてます!!


基本的に僕はコンセプトだけ決めて、細かいことは書きながら考えるので、もし、思いつかなかったら薄い内容になりますが、ご了承ください!!



流行へのスタンス


僕は流行に対して人が取るスタンスについて、3つに分けられると考えています!!


①流行にすぐ乗っかる人(ミーハー)
②流行とか知らない、我が道を行くという人
③流行しているものをあえて拒絶する人


順に説明していきます。


おそらく、①が多数派だと思います。

ここ最近の、エンタメ系の流行はこのタイプの人がかなり動かされているなと感じます!!

ある程度人気が出ることで、メディアに露出し始め、それに敏感に反応した①タイプの人がさらに火をつけて、さらにムーブメントを起こす。

直近だと、「鬼滅の刃」、少し昔で言うと、「君の名は」などが挙げられるでしょう。


僕自身も①に属するかなー


②は、流行関係なく、自分の中の流行が存在していて、それがたとえ流行っていようといまいとその自分の中の流行への熱が高い印象です。

①の人は、流行が変わるたびに新しい方に熱が生じるので、ずっと好きというより熱いけど冷めやすいのに対し、②の人は、同じものがずっと好きであることが多い気がします。



③の人は、流行になったものをあえて拒む人。

これは一定数いるような気がします。

1クラスあれば、数人はいるという感じで、②よりは多い印象です。

③の人たちは、人と同じが嫌という気持ちが強いのか、流行になったものを頑なに拒みます。

流行していないものにのめりこんでいることが多い印象です。

インディーズバンドとかまだ人気が出ていないアーティストを好きと言う人は③タイプの人が多い印象です。


ここからさらに細分化して考えていきます。


流されて行く


僕は①と③は真逆なようで、似ていると考えています。

カテゴライズするなら、①③と②で分けます。


このカテゴライズの際に使ったのは

自分の決断が外的要因に左右されているか否か


②は、流行や世の中の流れを意識せず、その時々の自分の中の内的な要因で決断をしています。


流行に対してドライというか、もはや日本中でそれが流行っていても、知らないということもあり得そうです。


それに対し


①③は、方向は真逆にしろ、流行を意識しています

その上で、

「みんなが○○だから○○しよう」

「みんな○○だから○○はしない」

という決断をしている。


これはつまり、流行という外的環境に左右されて、自分の意思決定を行っているということです。


そもそも流行という言葉は、

されてく」という意味にとれるので、流行というのは元来そういうものなのでしょう。


流行を意識すれば、それはもう流されていることになる。


流されるのだって自分の決断


こう読んでいくと、②が良いみたいな書き方になっていますが、そういうわけではなくて、全てのタイプにメリットデメリットあると思います。


①③タイプの最大のメリットは、

新たなのめりこめる何かとの出会いが多いことです。


①は、そのまま流行しているものに次々とのめりこんでいけるし、③にしても流行をあえて拒もうとするタイプの人は、自分独自の道を探したがる傾向にあるので、のめりこめるものに多く出会おうとし、結果としてののめりこめるものに多く出会える。


また、のめりこめるものが増えるということは、それだけ会話での引き出しが増えるということでもあり、コミュニケーション能力の向上、そして、同じ好きなものを持ったコミュニティを多く持てるというのが良いところです。


②のように流行に疎い人だと、できないこと、上に挙げた①③のメリットができないことが②のデメリットだと思います。


逆に②のメリットは、誰にも流されず、本当に自分のしたいことをしているという点です。


自分の人生を生きるという点において、②の人は真摯に向き合えていると思います。


①のデメリットは、「みんなが良いと言ってるから」という誰かが良いと言わないと、自分で決定できない、のような自分で何も考えられなくなること。


③のデメリットは、「流行に流されない」という気持ちが強すぎるあまり、魅力的なコンテンツをそれを理由に拒むこと。



僕が1番、③タイプの人で疑問に思うのが、

③タイプが応援していたミュージシャンとかが、テレビに出始めて有名になり、流行り始めた瞬間、昔の方がよかったとか言って、ファンをやめる現象。これ、すごくよく聞く話だし、すごくもったいない気がする。



こうメリット、デメリットあげてはみたけど、

流行に流されるのも流されないのも自分の意志による決断だと思う。


内的な要因にしろ、外的な要因にしろ、流されたにしろ、流されまいとしたにしろ、自分が決断したということを認識できていれば、それでいい気がする。


何が言いたかったのかは、分かりません。


ただこれを書いてみたかった。


まとめ


僕は①タイプなので、鬼滅の刃とかがっつりハマってたんですけど、この作品の中でこんな言葉があります。


生殺与奪の権利を他人に握らせるな


これは主人公の妹が人を食う鬼になってしまい、その鬼を殺す役目を負った人(後の仲間)に殺されそうになった時、頭を下げて殺さないよう頭を下げる主人公に対し、その人が言い放った言葉。


自分の命を簡単に差し出すな!!的な意味なんですけど、これはすごく深い言葉だと思っていて、


これはつまり自分で決断できることを他人に譲るなってことだと思うんです。


ここでも言いましたが、流されるも流されないも自分の決断であることには間違いないので、それも決断だと認識しましょう。


それを認識できていないと、他人の意見がないと、決断できなくなります。

流されているということだって、自分の人生のひとつの決断なのだから、自分が選んで流されたという認識する。

それだけで、他人がいなくても決断できるようになる。

常に自分で選んで、何かをしているという自負が持てるから。


あと、自分の人生を見つめたときに、結構、自分で選べることを相手に譲っていることが多いです。


例えば、何か質問された時、

「なんでもいい」、「どっちでもいい」、「いつでもいい」、「どこでもいい」など、これらは全部、自分で決断できることを相手任せにしている言葉です。


だから、意識的にやめるだけで変わると思います。


自分が決断したことには、責任感や義務感が生まれます。

一生懸命、それらに対して向き合います。

そうすれば、目の前のことが楽しくなる。

一生懸命できれば、たいていのことは楽しいはずです。


最後に、タイトルにあるような現象に名前をつけるなら、何がいいでしょうか?






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