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[短編小説]私の世界を覆す魔法

 ***

「それ、魔法の力ね。菜乃ちゃん」

 過去の私が抱き続けた問いに、開口一番で浮世離れした答えを返したのは、真喜叔母さんだった。今から二年ほど前の話になる。

 中学二年生に上がったばかりの私に、ある日些細な変化が訪れた。
 元々、私は明るい性格をしていた。天真爛漫で、元気いっぱいな子。それが私の人柄に対する評価で、「菜乃がいると空気が良くなるよ」と言われることも多々あった。それがある日を境にして、どうにもその現象が顕著に現れるようになったのだ。暗かった空気のところも、私が足を運ぶだけで、いや意識を向けるだけで空気が晴れ渡っていく。

 私の勘違いだけでは済ませなくなった時、お母さんに相談したら、隣町に住んでいる真喜さんを紹介してくれたのだ。お母さん曰く、真喜さんは現実では考えられないような超常的な現象に詳しいらしく、手に職として生計を立てるほどだそうだ。

「そっか。菜乃ちゃんも、使えるようになったのね」

 机に頬杖をつく仕草と優しい声音は、どこか感慨深く感じられた。

「も、ってことは、真喜さんも使えるの?」
「そ。代々うちの家系は魔法が使えるみたいでね。全員が目覚めるわけではないけど、数世代に一人の確率で現れるらしいの」
「ねぇねぇ。魔法って、なに?」

 目を輝かせながら、私は根本的なことを問いかけた。

「そうね。使う個人によっても、世代によっても異なるから、一概にこうだとは言えないわ。多分、私と菜乃ちゃんが使う魔法も違う。話を聞く限り、菜乃ちゃんは、人の心に働きかける魔法。伝播、と表現してもいいかもね。心のエネルギーを、伝播し合うことが出来る。でもね、私の魔法はこれ。物理的に働きかけるの」

 言いつつ、真喜さんは隣に置いてあった観葉植物に手を触れた。すると、観葉植物の葉っぱから、花が芽吹いた。瞬く間に生じた変化に、「わぁ」と思わず息を漏らした。

「だから、菜乃ちゃんが自分で伝播という魔法の使い方を見出さなければいけないの。でも、ひとつだけ言えることは、魔法は敏感で、些細なことでも使用する時に影響しちゃうということね」
「些細なこと?」
「たとえば、その時の気分だったり、周りの人の波長や、使う場所、天候なんかにも影響される可能性があるの。まぁ、そこらへんは訓練次第で、どうとでもなるんだけどね」

 真喜さんの説明は、この時初めて魔法という存在が自分の身で起こっていることを認識した私にとって、とても難しく思えた。私は少しだけ頭を悩ませた。けれど、私の悩みを振り払うように、真喜さんは笑みを浮かべると、

「菜乃ちゃんなら、いい魔法使いになれるわよ」

 私の頭にポンと手を置いてそう言った。不思議だった。真喜さんの言葉は、素直に信じられる気がした。

「いい魔法使いは、自分のために魔法を使うんじゃなくて人のために魔法を使うの。それだけ忘れなければ大丈夫」
「うんっ!」

 真喜さんの言葉を純粋に受け止めた私は、それから自分の魔法を私利私欲のために使ったことは一度もなかった。いつも使うときは、誰かのため。私の魔法の影響を受けた人は、大体プラスのエネルギーが増幅される。

 私は多くの同級生から人気があった。呼ばれれば、すぐに駆け寄った。当然、魔法が使えることは大っぴらに言うことはしない。

 こっそりと、さり気なく、誰かの気持ちを盛り上げる。
 そのことを信条にして、魔法を使う歳月が過ぎた。

 そして、高校生という立場に変わり、私は魔法と上手く共存しながら生きるようになっていた。私が魔法使いだということを誰にも知られることなく、信条を貫きながら生活を送った。友達にも恵まれ、もう少しで高校生活の一年間も終わりに差し掛かろうとしていた。時の経過は、恐ろしいほどに早い。

 今日も誰かの役に立つのなら惜しみなく魔法を使おうと、校舎の中を意気込んで歩いていると、

「おはよーっ、菜乃」

 私が魔法を使えることを唯一知っている一般人、千宙に声を掛けられた。

 千宙は幼い頃から家族同然に一緒に過ごして来た幼馴染の男の子だ。外見だけを見ればイケメンに該当する容姿で、多くの女生徒から人気があるのだが、だらしないというか抜けているところが多い。運動も勉強も、平均。纏う雰囲気は、柳のように静か。なかなか掴みどころがないのが、千宙という人間だ。
 だけど、私の千宙に対する評価は、周りと違う。

「おはよ、ってもうすぐ昼休みなんだけど……」

 私は嘆息しつつ、言葉を返した。千宙は、「あ、そっか。どうりで腹減ってるわけだ」とのんびりとしている。

 そう。基本的に何も考えていない能天気な人間だ、というのが幼馴染である私が千宙に抱く印象だ。だからこそ、気負うことなく接することが出来るわけだけど。

「それで、何か用でもあったの?」
「あ、そうそう。菜乃の魔法って、どんななんだっけ?」

 私の魔法は、伝播。自分の感情を相手に伝え、そこから切り替えることが出来るみたいだ。たとえば否定的な感情を抱いている人に魔法を使えば、私の肯定的な感情を伝えることが出来る。肯定的な感情を抱いている人には、更にその感情を爆発させて上げることが出来る。真喜さんの言っていた通り、使っていく内に要領を掴むようになって、実態を把握することが出来た。言葉にすることにも、躊躇いはない。

 このことを千宙に伝えるのは、何度目だろう。魔法が使えると知ったすぐ後、初めて千宙に言った時はドキドキしていたのだが、今はそんな感情は湧かない。
 私の説明を聞いた千宙は、「そうだそうだ」と本当に理解しているか分からないように頷く。得た情報を右から左へと受け流す千宙には、そもそも魔法という概念が難しいのかもしれない。

「うん、やっぱ菜乃らしい魔法だよね。菜乃がいるだけで、周りが明るくなるもん」

 そして、自分の中で私の魔法について落とし込んだ千宙は、にこーっと笑いながら人を誉める言葉を真っ直ぐに口にした。油断していたところに、この真っ直ぐさはズルい。

「そっ、そんなことないよ!」

 私は照れ混じりに言うと、逃げるようにササッと千宙の前から離れた。結局、千宙が聞きたかったことを、ちゃんと聞けなかった。まさか私の魔法を確認するために、話しかけに来たわけでもないだろう――と思いつつ、千宙なら十分にあり得ることだと思い直す。

「……それよりも」

 昼休み前最後の授業である四限が始まる前に、一人でも多くの人の役に立とうと校舎を奔走するのだった。

 ***

「もう少し自分のために使ってもいいんじゃない?」

 日曜日の多くの人で賑わう町の中にいた私に唐突に声を掛けて来たのは、真喜さんよりも少しだけ若く、どこか少しだけ真喜さんと似た雰囲気を持つ女性だった。

 この時の私は、少しだけ疲れていた。
 周りを元気づけるのは、私の仕事。私が手伝えば、みんな頑張れる。幸せな気分に浸れる。だから、私がやらないと。そう少しだけ気負い込んでいた。
 私の魔法を使う対象は、学内の生徒に加え、道半ばですれ違う人もだった。一日で使う魔法の供給量は多く、休日になると更に跳ね上がる。
 そういうことが重なって、私の頭は少しだけパンクしそうだった。

 魔法と言っても無限ではない。誰かに使えば使うほど、許容量はなくなり、肉体的にも精神的にも疲労してしまう。

 だから、唐突に私の前に現れた女性の提案は、今の私にとって少しだけ魅力的に思えた。

 だけど、その提案を素直に受け入れられない理由がある。

「でも、真喜さんからは人の幸せのためにって……」

 魔法を使うときに真喜さんと決めた、私の信条だ。それを覆してしまうのは、今までの私を否定しまうようで怖い。

「自分を幸せに出来ない人が、誰かを幸せにすることなんて出来ないよ。だから、今は自分のために使うべきなんだ」

 けれど、目の前の淑女は微笑みながら、私の言葉を正していく。

 私の魔法は、伝播。視認出来る範囲にいる相手に、自分の感情を伝えることが出来る。私の魔法を受けた人は、エネルギーに満ち溢れて活動出来るようになる。でも、逆に。自分に相手の感情を伝えてもらい、エネルギーを受けることが出来れば――。

 今のような疲労感も拭え、もっともっと行動的になることが出来る。

 そうだ。目の前にいるこの女性も言っているではないか。

 自分を幸せに出来ない人が、誰かを幸せにすることなんて出来ない。私が倒れてしまったら、誰が周りを元気にしてあげられるのか。

「ちょっ、マジ笑えるんだけど、それ!」
「エミ笑い過ぎだって。本当、いつも元気過ぎるんだから」
「えへへ、元気とやる気だけが私の取り柄だからさ!」

 その時、私の耳に二人の女子の会話の往来が聞こえた。どちらも元気に溢れているが、エミと呼ばれた子は傍目から分かるほどに溌溂としている。

 応用のやり方は一度も試したことはないけれど、感覚的に分かっていた。

「……ごめんなさい」

 あの元気溌溂とした活発な女の子には申し訳ないけど、少しだけ拝借します。

 魔法の使い方は、簡単だ。ただ意識を向けるだけ。ただし、いつも注ぐイメージをしているのに対して、今回は受けるイメージで。
 上手く魔法をコントロールして、エネルギーを受けた。

「――はぁ」

 心の奥底から元気が湧き上がる。これで、この後の時間も頑張れそうだ。そして、私が魔法を使ったことで得たことは、エネルギーだけではなかった。

 なるほど、私から伝播される人はこんな気分を味わっているのか。これからも、私の魔法を人のために使っていこうと改めて決意することが出来た。

 そうやる気を奮起させたが――、

「エミ、大丈夫?」

 元気いっぱいだったエミと呼ばれた女の子が、その場に座り込んでいるところだった。「……ぇ」と吐息交じりに、私の口から疑問が飛び出る。

「あー、うん。大丈夫大丈夫、ちょっと立ち眩みしただけ……かな」
「かなって……。それに、あんた相当顔色悪いよ。どうする、今日は帰る?」
「……うーん、そうだね。シズカには悪いけど、念のために帰らせてもらおうかな」
「いいっていいって。映画なんていつでも見れるじゃん。それより、エミの体調が最優先だって」

 エミとシズカという名前の二人組は、言葉通り駅に向かってゆっくりと歩き出した。彼女たちの背中を見つめる私の焦点は、ぶれていた。元気を伝播してもらったはずなのに、満足に立つことが出来なくなり、私はその場に座り込んでしまう。

「……なに、が」

 初めて、だった。

 私は今まで自分のために魔法を使ったことがない。つまり、人にエネルギーを与えることばかりで、受ける側になったことがなかったのだ。プラスの感情を伝播する時、私は一度だってエミさんのように体調を崩すことはなかった。

 だから、何事も起こらない。私の魔法は、ノーリスクハイリターン。そう信じてエネルギーを拝借したというのに、どうして――。

「あらら、本当に使ったんだね」

 他人事のように冷たい声が、私の頭上に降り注ぐ。ゆっくりと顔を上げると、そこには魔女のように口角を歪めている先ほどの女性がいた。私の背筋がゾッと震え上がる。

「魔法使いの使命は、人のために使うことだったはずだよ。真喜から聞かなかったのかい?」
「あ、あなたが使ってもいいっていうから……っ!」

 咄嗟の反論が、私の中でとても腑に落ちた。私はこの人が言わなければ、魔法を人に使うことはしなかった。

「そ、そうだよ。私は今までずっと人のために魔法を使って来たの。自分のためだなんて……考えたこともない。あなたの入れ知恵がなかったら、こんなこと思いもつかなかった。だから、私は悪くなんて――」
「言い訳は見苦しいよ」

 私の唯一の拠り所は、冷徹な彼女の前ではスパっと切り捨てられた。

「普通の人間には、魔法を介して誰かに気力を分け与えるような土台はない。それに、魔法は大っぴらに人に知られてはいけない存在だ。こんな単純なこと、誰かに教えてもらわずとも想像くらい出来るだろう」
「いったい、あなたは……」
「私は憂。憂うという字を書いて、ユウ」

 憂と名乗った女性の表情は、何を考えているか読み解くことが出来ない。

「あんたの叔母には、お世話になったからね。そのお礼に、姪のあんたにアドバイスをしたのさ」
「アドバイスって……。私は、あなたのせいで、無関係の人に……っ!」
「反面教師ってやつさ。あははっ。まさか本当に知らない人のアドバイスを聞いて実践するなんてね。あははっ」

 笑われるようなことなんて何一つしていないというのに、なんて失礼なんだろう。

「ひ、人の言葉をそのまま受け止めたら、わ、悪いの?」

 せめてもの反抗と強がって言葉を吐いたけど、その声はどうしようもなく震えていた。

「いや、悪くはないさ。誰かの言うことを素直に聞き入れることは誰にでも出来ることじゃない。けど、聞くべき相手は選ばないと駄目だ。自分の耳に楽だからと、何も考えずに他人の言葉を受け入れる奴なんて、考えていることを放棄しているのと同じだ」
「……っ」

 彼女の言葉にはどこにも否定できる要素がなく、ただ黙ることしか出来ない。憂と名乗った女性は、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。悔しいけど、その鼻っ面をへし折るようなことは、今の私には出来ない。

 更に、続ける。

「あんたの魔法は、人の感情に直接働きかけることが出来る。それがどれほど恐ろしいことなのか、これで分かっただろう。過度な干渉は、人を傷つけ、己も傷つける」

 言いたいことだけ言うと、私に背を向けて歩き出した。

「あぁ、あと一つだけ」

 憂さんは足を止めることなく、言葉を紡ぐ。

「あんたのせいで、これからもっと多くの人が不幸になるよ。それが嫌なら、本当の意味で魔法を制御出来るようになることだね」

 彼女の仕草に、未練は一切感じられなかった。一人残されると同時、二月の寒空からポツリポツリと雨が降って来た。

 人々の足取りが速くなる。その足取りからは、苛立ちとか不機嫌さが痛いほどに伝わって来る。そういう感情の機微は、不思議と空気で分かる。

 せっかくの休日だ。雨に降られて気分がジメジメとするよりも、晴れやかな気分で締めくくりたい。誰もがそう思うだろう。

 だから、今ここで私は魔法を使うべきだ。

 ――この空気を覆すような、誰もが幸せになれる魔法を。

「……」

 私は、願う。
 魔法を使って、みんなが喜ぶ顔を。
 だけど、私の心に浮かぶのは、顔を青くしたエミさんがしゃがみ込む姿だった。

「……私、は」

 私は私の魔法で、人を不幸にさせた。人のために使う力で。

 自分がしでかしたことを意識したらダメだった。失敗のイメージが頭から消えてくれない。もしも私の魔法が誰かを傷付けるのだと思うと、胸がかき乱された。上手く考えを切り替えられない。

 喉が震え、手先が震え、しまいには全身も震えて来た。この震えは、雨の寒さに起因するものではない。
 そして、私一人置き去りにして、雨の町を歩く人はいなくなった。

「……やだ」

 雨音にかき消されるくらい、弱々しい声を出す。

 私の魔法は、伝播。私の感情を、空気に乗せて伝える。今の沈んだ心も、例外なく同様に。
 こんな想いでいたら、みんなに迷惑が掛かる。

 多分誰一人として私のせいだって思わないけど、私自身が分かっている。

 私のせいで誰かが傷つくなんて耐えられない。早く気分を上げて、みんなに幸せな気分を分け与えたい。分かっていても、心が晴れることはなかった。願いは、叶わない。そうなったら、「私」は用無しだ。

 ――こうして、私は魔法を使えなくなってしまった。

 ***

 魔法を使えなくなってから早二週間、私は自責の念に駆られていた。

 私の気分が上がることもなく、天気もどこか薄暗い。このどんよりした空模様は、まさに私の心模様だ。私の感情を受けた空気が、この空を彩っている。

 そして、私のコントロール出来ない魔法の影響を受けているのは、天気だけではなかった。学校や町のみんなが、空気をどよんと沈ませている。
 私の負の感情が魔法を通じて伝播していくのは当然だが、やはりずっと雨模様というのが大きい。時折雨が上がったとしても、薄暗い曇り空は変わらない。

 曇り空と、冬独特の寒さ。それに、私の魔法の影響。
 周りのみんなが苛立つのは、仕方のないことだ。

 ――あんたのせいで、これからもっと多くの人が不幸になるよ。

 私に魔法を使えなくさせた元凶である憂と名乗った女性の言葉が、私の心に甦る。

「……誰のせいで」

 もし過去に戻れるのなら、誰のせいでこうなったと思ってるのよ、と思い切り言いつけてやりたい。だけど、もう遅い。私が文句を言いたい彼女には、あれから一度も顔を合わせる機会がなかった。

「……はぁ」

 今まで当たり前のように使えていたものは、全然当たり前なんかじゃなかった。魔法なんて、そもそも非現実的な存在なのに、私はどうして当たり前だと思ってしまったのだろう。
 暇さえあれば色んな場所に足を運んでいたというのに、ぼんやりと曇り空を見上げることが多くなっていた。

 現状の抜け出し方も分からないまま、ただ何となく時が過ぎていき――、

「ねぇ、菜乃。あの話、どうなった?」

 そう声を掛けて来たのは、私の友達である弓香と知美だった。いつの間に放課後になったのか、教室にいるクラスメイトはまばらだった。

 心当たりのなかった私は、「……どの話だっけ」と首を傾げながら問いかける。すると、弓香と知美は互いに顔を見合わせると、まるで私に当てつけるように溜め息を吐いた。

「菜乃から言ったんでしょ。来月の卒業式で、三年生を笑って見送ることが出来るようなパフォーマンスをしようって」

 うちの高校の卒業式は、基本的に当事者である三年生のみが参加する。しかし、残る一年生や二年生の中で、どうしても直接三年生を見送りたいという人がいれば、卒業式の一幕で出し物をすることが出来る。参加可能な人数も五組だけで、割り当てられている時間も数分と短いものだが、私は立候補してその座を見事に勝ち取った。

「最初に菜乃から話をもらったのって、一月後半だよね。その間何もしてないっていうのに、あと三週間足らずで間に合うの?」

 正直、特別なアイディアがあるわけではなかった。ただ私がいれば何とかなると思っていた。魔法の力があれば、みんな笑って明るい気持ちで卒業することが出来る。だけど、一人より誰かと一緒にやった方が楽しい。だから、声を掛けやすかった弓香と知美を誘ったのだ。その時、「全部私に任せてよ!」と大見得を切った。
 魔法を使える私がいること、それ自体で笑顔になる。そう傲慢に近い想いを抱いていた。

 けれど、今の私は何もしていないし、何も出来ない。立候補した時は、こんな事態になるなんて思いもしなかった。

 私が忘れているだけで、こういう身勝手な口約束を幾つ重ねてしまっているのだろう。

「ただでさえ天気が悪くてイライラしてるんだから、ちゃんとしてよね」
「ね。あーあ。最近ずっとこんな空だし、練習も満足に出来てないから、なんかもう不参加でもいい気がする」

 心なしか、弓香と知美が冷たい。声も、視線も、態度も、何かもが近寄りがたい雰囲気を漂わせている。
 けれど、その気持ちは痛いほどに分かる。私自身がそうなのだから。

 この町の人は、私の魔法の影響を受けて負の空気を背負った結果、心が冷え切ってしまった。憂と名乗った人物の言葉は、まさしく現実として成就した。そして、それは仮に私の友達だとしても例外ではない。むしろ、私と距離が近い関係だからこそ、影響を強く受けていると思う。
 だから、私は弓香と知美に何かを言うことは出来なかった。

「えっと、その……」
「ごめん、それ俺が代わりに出来ないかな」

 言葉を出せなかった私に代わって応じてくれたのは、千宙だった。先ほどまで確かに教室にいなかったのに、まるで私達の話を全て聞いていたかのようだ。

「千宙くん、出来るの?」
「なんとなく菜乃から話は聞いているんだ」

 千宙が私に向けてウィンクをしてくる。千宙のウィンクは取って付けたような拙さで、ここでも不器用さが現れている。千宙に話したことは一度だってない。

「……えっと」
「……でも」

 千宙と学校生活を共に過ごせば、その爽やかな見た目とは裏腹に千宙が度が付くほど不器用だということは、嫌でも知るようになる。そのことを知っている弓香と知美は、互いに顔を見合わせながら少しだけ言葉を濁していた。

 二人の杞憂は分かる。

「ち、千宙には無理だよ。私がやろうとしていたことは、三年生の門出を笑って見送るためのパフォーマンスなんだよ? それをゼロから作り上げて、一年生の有志みんなに共有して、練習もたくさんして、しかも先頭に立って教える……、とにかくやることが多すぎて、千宙には手に負えないって」

 二人が言えないことを、幼馴染というアドバンテージを利用して言葉にしていく。

 そんな私たちの憂いを払拭するように、千宙は自信に満ち溢れた表情を浮かべると、

「菜乃をだしに使ったけどさ。実は、俺がやってみたいんだ。すごい楽しそうだったから、一緒にやりたい」

 真っ直ぐな感情をぶつけた。見栄も、打算も、プライドもない。ただただ純粋な想いが、伝わって来る。

 意欲に溢れた人を無下にすることは出来ないだろう、

「ま、まぁ、そこまで言うなら、千宙くんにお願いするけど……」
「私達でも一応考えたから、共有するね」

 弓香と知美は言うと、それぞれ自分の席に戻っていった。

 まさか弓香と知美が千宙のことを受け入れてくれるとは思わなかった。しかも、この場を満たしていた空気は、千宙が来る前と後とでは、あからさまに違うほどに軽やかになっていた。

 千宙と二人きりになった私は、

「千宙も、魔法を使えたの……?」

 自然と口から漏れ出した。純粋な私の問いかけに、千宙は「あははっ、なにそれ」とやんわりと笑いながら否定する。

「俺が魔法を使えないことなんて、ずっと知ってるだろ。ただ俺は、菜乃に元気になって欲しかっただけ。何をしたら菜乃が喜ぶんだろう、何をしたら菜乃が元気を取り戻してくれるんだろう――……それだけを考えて動いただけなんだ」
「……」
「菜乃に元気がないと、周りまで影響受けるんだ。あ、これ菜乃が魔法を使えるとか関係ないよ。昔から菜乃の生き生きとした姿を見たら、自然と皆笑ってた。菜乃も、周りも、……俺も」
「……」
「だからさ、早く元気になってよ――なんて言わない。菜乃のペースで、無理しない範囲でやっていけばいいと思うんだ。それまで俺も支えるし、俺にやれることがあるなら何でもやる。まぁ、俺に出来ることなんて、そうはないだろうけどさ」

 そう言った千宙は、私の頭にポンと軽く手を乗せると、「いい機会だと思って、ゆっくり休みなよ」と一言残してから弓香と知美の方へと歩み寄った。
 そして、机を囲んだ三人は、会話が盛り上がっている。

 居場所のなくなった私は、暫くその場で呆然とした後、我に還って家路へと着くことにした。

 変わらず、空はどんより。すれ違う人の表情も、どこか鬱屈としている。私のマイナスの影響を受けているから、仕方のないことだと思う。

 私はモヤモヤした感情を抱きながら、帰っていた。だけど、そのモヤモヤの系統は、今までのものと異なっている。今までが出口の見えない真っ暗闇に放り込まれたような感覚だとしたら、今はトンネルの中だと分かって進んでいるような心の余裕さがある。そう表現したものの、しっかりと言語化までには至れなくてモヤモヤする。そんな感覚だ。

「あ、菜乃ちゃん」

 眉を寄せながら歩く私の背中に、声が掛かる。振り向けば、隣のクラスで同じ中学出身の久美がいた。友達と一緒に帰っていたところを、「先に行っていいよ」と声を掛けてまで、私に声を掛けてくれたようだ。

 一月の年明け早々、私は久美に対しても何かしらの声を掛けた気がするが、結局口約束は果たせずにいた。久美に対して罪悪感が生まれて、上手く言葉が出せなかった。

 しかし、そんな私の不安を払拭するように、

「菜乃ちゃんのおかげで、すごく助かったよ」

 久美の声は、どんよりとした天気を覆すような明るさを伴っていた。

「私、何もしてない……よね?」

 助かったと言われるようなことをした覚えは、私には一切なかった。私の言葉にキョトンと呆けていた久美だったが、「え、やだぁ」と明るい声でおどけるように言うと、

「千宙くんに声を掛けてくれたのって、菜乃ちゃんでしょ。千宙くんが手を貸してくれたから、想像よりも早く作業が終わったの。おかげで卒業式に飾る絵が無事に完成したわ」
「千宙が……?」
「うん。でね、千宙くんにお礼を言ったら、最初に声を掛けたのは菜乃ちゃんだから礼なら菜乃ちゃんにって言ってたの」
「……私、に?」
「だからね。ありがとう、菜乃ちゃん」

 久美は満面の笑みで言うと、「じゃあ、またね」と先を行く友達を追いかけて行った。

「……どういうこと?」

 久美の背中を見つめながら、そう自問したけれど、答えは既に私の中にあった。

 ***

 日付が変わったとしても、空は変わらず薄暗い。

 今日も曇り空か、と気を落としたくなるが、まだ気を落とすには早い。時刻はまだ日の出に達していないのだ。やけに目が覚めるのが早かった私は、二度寝をすることもせずに、何となく外を歩きたい気分になった。冬の早朝は、尋常ではない寒さだったけど、寝不足の頭をすっきりとさせてくれる。

 そんな清々しさとモヤモヤとが共存した朝に、私が考えることはと言えば――、

「……私はどうしたいんだろう」

 魔法が使えなくなった二週間前から抱いていた悩み。けれど、更に一層真剣に向き合うようになったのは、昨日の千宙の影響が大きい。

 感情を伝播する魔法を上手く扱えなくなった私は、約束したこともすっぽかして、多くの人を裏切った。それでも、責めるような声をほとんど受けなかったのは、千宙が裏で手を回してくれて、私の代わりに動いてくれたおかげだ。昨日の弓香と知美の件を見れば、千宙の行動は一目瞭然だった。

 ありのままの千宙で、まるで魔法を使ったように空気が覆されるのを見て、今までどれだけ自分が魔法に頼り切っていたのか思い知らされた。私は魔法がないと、千宙のように踏み切れることが出来ない。ほんの二週間前までは、魔法の力を使って猪突猛進していたというのに、もう遠い昔のように感覚が失われてしまっている。

「今の私に何が……」

 魔法を使えない千宙があれだけ頑張っているのだから、何もできないというのはただの言い訳だ。今の私にだって、出来ることはある。

 こうした状況になって、初めて色々と考えることが出来た。
 必要以上に自分を追い込んでしまうことの怖さを、知った。力の使い道を誤ってしまうと、周りを傷つけてしまうことも分かった。

 それらの事実を踏まえた上で、私は。

「あー、ここまで出かかってるのに……」

 最後の取っ掛かりを越えることが出来ずに、もがいている感じ。加えて、仮に自分の心の内が分かったとしても、言葉にする自信が今の私にはなかった。

「久し振りの晴天だね」

 胸中をかき乱している私の背後から、声がした。聞き慣れた声に振り返れば、

「……真喜さん」
「おはよう、菜乃」

 カラッと笑いながら、隣町に住む叔母である真喜さんが手を上げていた。この数年で、真喜さんは私にフランクに接してくれるようになっていた。

「今日みたいな晴れた日の早朝に散歩すると、良い気持ちになる」

 こんな朝っぱらから、どうして真喜さんがここにいるのか――少しだけ疑問に思ったけど、何となくその理由は分かっていた。あえて聞くこともせず、薄暗い空を見ながら「まだ、晴れるかなんて分からないよ」と素っ気なく答えた。
 空は変わらず薄暗くて、日の出を迎えないと結果は分からない。

「いや、その日の天気は空気で分かるもんさ。それより、憂ちゃんに聞いたよ。自分のために魔法を使ったんだって? ……まぁ、憂ちゃんに聞かなくても、菜乃に何かあったんじゃないかって心配してたけどね」

 隣町の天気がずっと悪かったら、私の魔法について知っている真喜さんなら、すぐに私の異常を察したことだろう。

「ねぇ、あの人とどういう関係なの?」
「んー、腐れ縁みたいなもんかな」

 言葉足らずな真喜さんの言葉を、ひとまず私はそのまま受け入れた。今、真喜さんが言いたいことの本質は、『憂』についてではない。私が真喜さんに話したいことも同様だ。

「あのね。私、魔法を使えなくなったの。自分のために使って、人を傷つけた。そんな私が誰かのために行動するなんて、おこがましいんじゃないかって……。また、同じことを繰り返しちゃうんじゃないかって……。だけど、それでも私は……」
「……はぁ」

 あからさまな溜め息に、私は言葉を途中で止めた。人が弱みを吐露しているところに、大きな溜め息を吐くなんて。そう暗に籠めた瞳を、真喜さんは肩を竦めながら受け流した。

「あんた気負い過ぎなのよ」
「――ぇ?」
「人を幸せにする魔法を持ってるからって、全部が全部菜乃がやらなくていいの。成功も失敗も、全部菜乃が責任を負ってたら、いつか絶対に潰れるわ。菜乃が初めて私のところに来てから、もう三年近く経つんだっけ? その間、いいことばかりじゃなかったでしょ?」
「……うっ」
「何を考えて魔法を使ってたの?」
「みんなに元気になって欲しいって」

 私は迷いなく答える。この想いには、嘘偽りはない。私はみんなに幸せになって欲しかったから、魔法を使っていた。

「そう。じゃあ、菜乃が魔法を使った後、その人の顔を見たの?」

 真喜さんに言われたことを、改めて意識してみる。確かに、私が魔法を使った人の顔がパッと思い浮かばない。特に最近は全くと言っていいほど思い出せない。

「それじゃ甲斐も何もなかったでしょ」

 否定の言葉は、口から出てこなかった。実際その通りだったからだ。持てる者の義務だと奮闘する内に、私は疲れてしまい、自分のためだけに魔法を使おうとしたのだ。
 真喜さんの前では、見栄を張っても意味がない。

「うん、真喜さんの言う通り、何のために魔法を使ってるか分からなくて苦しかった。最初は楽しかったけど、途中から何でこんなに頑張ってるのに、報われないんだろうって思った。でも、千宙を見て、私やっと分かったの。私ね、みんなの笑顔が好き。だから、私が手伝える範囲で、その手伝いがしたい」

 私の中で表現しきれなかった想いが、言葉にすることで確かな形になる。
 誰かに伝えること。たったそれだけのことで、二週間の悩みが嘘みたいに晴れ渡った。

「うん。今の菜乃の顔を見れば分かるよ」

 まるで私の心を見透かしたように、真喜さんは口角を上げながら言う。

「ありがとう、真喜さん」
「私は何もしてないよ。憂ちゃんに惑わされた菜乃に、後になって、叔母さんらしく説教をしただけ。全部、菜乃が自分で乗り越えたんだ」
「……ううん、真喜さんのおかげで自分の心が分かったんだよ。だから、ありがとうだよ」

 これから私のやりたいことも、しっかりと見えて来た。もう迷わない。

「ほら、菜乃。見てごらん」

 決意を新たにした私に、真喜さんの声が降り注がれる。真喜さんが指さした方向に視線を向けると、

「――ぁ」

 東の空から太陽が昇っているところだった。私の心に呼応しているように二週間ぶりに顔を出した太陽は、私の体をも優しく温かく包んでいく。

「私の言った通りだったでしょ。ちゃーんと今日は晴れた。あははっ」

 真喜さんはにんまりと笑う。真喜さんの笑い声に、私もつられて声を漏らした。

「知ってるかい、菜乃。どんだけ曇っていたって、雲の向こうでは変わらず太陽はあるんだ。そして、光を放っている」

 当然の真理だ。だけど、私はそんな当たり前のことを忘れてしまうくらいに、太陽が雲の中に潜んでいることに囚われていた。空気が違うからといって、一喜一憂し過ぎる必要はどこにもない。

 ふぅと短く息を吐くと、

「ねぇ、真喜さん」
「ん?」
「今度、憂さんについて紹介してよね」

 真喜さんはむせ返すと、目を開けながら私のことを見た。真喜さんの魔法は、変化。対象とするものの姿を、真喜さんが願う姿に変化させることが出来る。してやったり、と私は悪戯っぽく舌を見せた。

「じゃあ、私、行って来る。今度は間違えない」
「うん、いってらっしゃい」

 真喜さんに見送られ、私は行くべき場所に行く。今日は何だか良い一日になりそう、そんな予感がした。

 私が教室に入ると、真っ先に耳に響いたのは「そんなの誰も喜ばないよ!」という怒気を孕んだ声だった。
 その声の持ち主は、朝早くから誰もいない教室の中、二人きりで作業をしていた弓香と知美だった。

 一瞬入るのを躊躇われた。それほどまでに、教室の空気は重い。
 だけど、私は知っている。普段の二人がどれだけ仲が良いのかを。そして、今二人が口喧嘩をしてしまっているのは、私の責任だということも。

 弓香と知美は、私が何となく提案したことにも、真剣に取り組もうとしてくれていた。二人は同じ部活動をやっていて、見送りたい先輩も多くいる。だから、私の無鉄砲な案にも快く同意してくれたのだ。

 なのに、私は二人の想いを蔑ろにしてしまった。

 ろくに魔法も使えない私には、何も出来ることなんてないだろう。むしろ、今の私が首を突っ込んだら、余計に不和が加速してしまうかもしれない。
 それはまさに、言葉通りに逆効果だ。

「――だけど」

 今踏み出さないと、後悔することだけは分かっていた。

 私が大好きな二人が、喧嘩をしたことでこのまま仲違いしてしまうことだけは、絶対に嫌だ。

「弓香! 知美! おっはよー!」

 あえて私は大きく声を張って教室に突入する。 

「――菜乃」
「今更なに?」

 やはりと言うべきか、弓香と知美は私を邪見に扱うような振る舞いを見せている。構うもんか。私は怯まない。

 勢いよく頭を下げると、私は「ごめん!」と言った。頭上越しに、弓香と知美の息を呑む音が聞こえた。

「今まで何にもしないで、二人に任せっきりにして本当にごめん! 私から誘ったくせに、何を言ってるんだって思うかもしれない。声を掛けた時、実は何も考えてなかったの。……当日になれば何とかなるんじゃないかって、甘えた考えでいたから、二人にたくさん迷惑を掛けたと思う」

 二人は何も言わない。無言の肯定だと捉えて、顔を上げながら続きを話していく。

「でも、二人と一緒にやりたいと思ったのは本当。卒業生を笑顔で見送ってあげたいと思ったのも本当。だから、もしまだ間に合うなら、私も一緒に混ぜて欲しい。雑用でも何でもいいから、やらせて欲しい」

 普段とは違う真面目な声。訴えかけるように、二人の目を見る。

「……」

 空気は少しずつ変わっている。それでも、今の私だと、完全に覆らない。

 世界を覆す魔法があれば、どれだけ楽だろう。けれど、そんな大それた魔法は、存在しない。

 小さくてもいいから、私は私の周りの人を覆してあげられるような魔法が欲しい。暗闇の中に注がれる優しい光のような、そんな魔法が。

「これが今の私の本心。だから、ねぇ。二人が思っていることも、よかったら教えて」

 だけど、今の私に出来ることは出し尽くしている。だから、二人の気持ちを最優先にする。

 もし二人が許してくれなかったとしても、それは仕方ないことだ。その時は、陰ながら全力で支える。まるで雲の中の太陽のように。

 そう思って、弓香と知美を見る。二人は互いに顔を見合わせながら、何を言うべきか迷いあぐねているようだった。

 そして、戸惑いながら弓香が口を開こうとした時――、

「おはよーっ」

 この場の空気を一切読まないような、のびやかな声が聞こえた。私たちは一斉に扉に目を向けると、相変わらずの呑気さを貫く千宙がいた。

「今日もよろしくね、二人とも……って、あれ、菜乃じゃーん」

 千宙は屈託のない笑みを浮かべながら、近付いて来る。爽やかな容姿を携えて、千宙らしい呑気さを、相変わらず纏っている。だけど、その空気が今は嬉しい。

「あー、もういいや」

 千宙の雰囲気に毒気が抜かれたように、弓香は一息つきながら言った。知美も同様に肩を落としている。

「だね。なんか肩肘張ってるのが阿呆らしくなって来た」
「あはは、本当それ。ね、菜乃が言い出しっぺなんだし、一緒にやってよ」
「……っ! うん!」

 千宙が持つ緩やかな雰囲気に、先ほどまで教室を満たしていた空気が完全に覆った。やっぱ、千宙はすごい。

「千宙、今までありがとう。私やっぱやることにした! 私が言い出したんだから、最後までやりたい!」
「そっか。おかえり、菜乃」

 千宙は大人びた笑顔を浮かべた。今まで見たことのない幼馴染の表情に、一瞬だけ胸の奥がざわついた。何だろう。千宙の何が私の心を揺らしたのだろう。

 しかし、その原因を追究する間もなく――、

「せっかくやる気になったんだけどなぁ」

 千宙は後ろに手を回しながら、子供が拗ねるように唇を尖らせた。しかし、その声とは裏腹に、目の奥は優しい。『おかえり』と言ってくれたように、千宙は私がこうして活発になることを待っていた。

 私はふっと微笑むと、

「何言ってるの? 千宙も一緒にやるんだよ?」
「え?」
「だって、一人でも多い方が、絶対に楽しいもん! ね、弓香、知美!」

 急に話題を振られた弓香と知美は、シンクロしたように「え、あ」と一瞬だけ戸惑っていたが、「も、もちろん!」「う、うん!」とすぐに首を縦に振った。

「ここで千宙くんがいなくなったら、ここまで私達が教えた甲斐もなくなっちゃうし」
「確かに。いやぁ、菜乃に教えたいよ、千宙くんに教えることがどれほど大変だったか」
「うん、昨日一日だけでもコリゴリって感じでさー」
「ひ、ひどいよ、二人とも」

 心地よい笑い声が、この場を満たした。

 何かが劇的に変わったわけではない。卒業式に向けて、問題は山積みだ。だけど、心持ちは全く違う。今なら、何だって出来る気がする。

「で、さっきの続きなんだけど、やっぱ卒業生も少し巻き込みたいんだよね」
「うん、誰も喜ばないは言い過ぎた。特定の人にしたら身内感が出るから、全員が楽しめる案なら入れてみようか」

 真剣に、でも先ほどのような殺伐さは一切伴わない、柔らかな口調で弓香と知美が意見を交し合う。

 二人の姿を見て、魔法を使えなくても、勇気を出して一歩踏み出して良かったと思った。扉を開かなかったら、弓香と知美が仲違いしてしまった可能性だってあるのだ。

「やっぱ菜乃はすごいや」

 千宙が私の耳元で囁いた。

「菜乃がいると、場が明るくなる。空気が変わる。二人の顔、全然違ってるもん。ねぇ、今回はどんな魔法を使ったの?」

 真っ直ぐな目で投げられた問いに、私は首をふるふると横に振る。嬉しいけど、違うんだ。

「ううん、魔法なんて使ってないよ。すごいのは私じゃなくて、みんな」

 ――心から。

 心から思う。

 私はみんなから魔法を与えられていたんだって。

「ねぇ、菜乃と千宙くんはなんかアイディアない?」

 二人が意見を求めて来れた。一度失敗した私を、受け入れてくれる。胸の内に湧き出るものを確かに感じながら、弓香と知美のもとへ駆け寄った。

<――終わり>

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