[短編小説]居場所を守れ
***
その噂は突然やってきた。
「――この部活、もしかしたら潰れるかもしれない」
「は?」
部室に入るや否やタカオが放った言葉に、『総合文化部』のメンバー四人――、二年女子のメグミ、一年男子のシロウ、一年女子のカナエ、そして俺ことジンは混乱に陥ってしまう。
暦の上では秋なのに、残暑がまだまだ厳しいような九月半ばのことだった。
「おい、潰れるってどういうことだ。おい、タカオ。ちゃんと説明しろ!」
中でも一番動揺していたのは、最年長兼部長でもある俺だろう。腐れ縁と称すべきタカオの襟首を掴んで、思い切り揺らしながら問い詰める。
「うげぇ、やめてくれよ、ジンちゃん」
「ジン先輩、落ち着いてください」
「そうっすよ、そんな揺すったら吐けるもんも吐けないっす」
「タカオ先輩、そろそろきつそうですよぉ」
後輩達がみな、タカオを揺する俺を必死に宥めていく。パッと見では立場が逆転しているが、いつもの光景だ。
少しだけ残っている理性で、俺はタカオを見る。放してくれ、というジェスチャーをタカオは俺に向けて送っていた。
変な噂を持ち込んだのはタカオだけど、話を聞く前からタカオを責めるのはお門違いというものか。
僅かではあるものの気分も発散できたこともあって、俺は手を放した。
「ぷはぁっ。空気うまぁ、生き返ったぁ」
「タカオ先輩、大丈夫ですか?」
「うん、いつも通りだからヘーキヘーキ」
どこか演技じみたように笑いながら、後輩達と言葉を交わしていくタカオ。いつも通りだけど、なんか癪に障る。手を放したことを少しだけ後悔したけれど、そこは部長らしくグッと堪えた。流石にそろそろ話を進めたい。
「……で、この部活が潰れるってどういうことだ?」
「さっき職員室にいる時に聞いちまったんだよ! 五年に一度の部活を精査する時期があと一か月後にやってきますねーって」
タカオの言葉に、俺はもちろん後輩三人もキョトンとしている。「つまり、どういうことだよ?」と、俺は続きを催促する。
「だーかーら! もし精査の基準に満たされなかったら、部活を潰すってことなんだって! 部室だって無限にあるわけじゃないし……」
「それ本当か? 誰かそんな話聞いたことある?」
今まで見たことのない真面目なタカオの姿に、全部嘘だとは思わないが、念には念を込めて俺は後輩三人にも聞いてみることにした。
「三年生が知らないのに、私達一年生が知るわけないじゃないですかぁ。ねぇ?」
「そうっすよ」
シロウとカナエの一年コンビは、しきりに首を横に振っている。口元を隠すようにしているメグミからは反応はなし。
ある意味、予想していた通りだった。
「ちなみに、俺も初めて聞いた……」
「だよな」
改めて深刻に言うタカオに、俺はあっさりと言葉を返す。タカオとは二年半もの間、一緒にこの部室で過ごしているのだ。ここで「実は俺知ってたんだ」なんて言われたら、軽く裏切られたような気分になってしまう。
しかし、ここで予想だにしなかった声が上がった。
「私、聞いたことあります」
そう言ったのは、メグミだった。四人の視線が、一斉にメグミに集まる。
「私のお兄ちゃん、私と七つ離れているんですけど、実はこの高校の卒業生なんです。で、確か、高校三年生の時に、部活を立て直したような武勇伝を、どや顔で語っていたような気が……」
途切れ途切れ且つ曖昧に話すのは、過去の記憶を手繰り寄せているからだろう。
「他のことは、もっと憶えていないのか?」
「無理言わないでくださいよ。その時、まだ小学生なんですよ? ましてや兄の自慢話なんて、興味があるわけないじゃないですか」
嘆息交じりに言うメグミに、「ですよねー」と俺はあっさりと引きを選ぶ。
小学校高学年くらいになると、年上の兄に対して嫌悪感を抱いてしまうだろう。むしろ、頭の片隅にあっただけでも上出来というものか。
ひとまずメグミの話によって、タカオが聞いた話に信憑性が生まれてしまった。
この部活を守るために何をするべきか、腕を組んで考え込む。
「でも、希望はあるってことっすよね」
そんな俺の耳に、一際明るい声が入って来た。「え?」と顔を上げると、瞳をキラキラと輝かせたシロウがいた。
その表情のまま、シロウはメグミの方に視線をぐいっと向ける。
「だって、メグミ先輩のお兄さんは、無事に部活を立て直したってことっすよね」
「う、うん」
「ってことは、私達にも何とかなりそうな気がしますぅ」
まるでやる気の表れのように、カナエは握り拳を作った。
意外なところで後輩の成長――特に一年コンビの成長を目の当たりにして、少しだけ目頭が熱くなった。タカオに至っては「お、お前らぁ……っ」と言いながら、腕を目元に当てている。
そんな上級生二人を置いて、「よぉし」とカナエは握っていた拳を上に突き上げると、
「総合文化部を、絶対に潰さないぞぉ」
唐突なカナエの音頭だったが、みんな同じ想いを抱いていたため、「おぉーっ」とすぐに順応して拳を上げた。
そして、自分で拳を上げておきながら気付く。
「って、おい。ここは部長がやるところだろ」
「あ、すみませぇん」
「でも、ジン先輩だったら、こういうことは自分からやらなそうですよね」
メグミの指摘は、ど正論だった。ぐうの音も出ないとは、まさにこのことだ。
「結果的に、カナエに任せて正解っしたね」
ニヤニヤと笑うシロウを、俺は肘でつつく。「痛い、痛いっすよー」と、後輩感丸出しで人懐っこいシロウは、誰にでも好かれるタイプだろうなぁと客観的に思う。
「で、結局どうするんよ、ジンちゃん」
この総合文化部を存続させるために、出来ること。
正直この一瞬で打開策が浮かぶほど頭の回転は早くない。
だから――、
「ひとまず探そう」
「探す?」
「あぁ、もしかしたら、先輩たちが何かした経歴が残っているかもしれない。そいつを見つければ、少しはやるべきことも分かるかも」
五年に一度ということは、必ず過去の先輩たちが乗り越えたからこそ、この総合文化部が存続しているはずだ。一度は乗り越えたはずなのだから、どのような策を取ったのかを参考にさせてもらおうではないか。
誰も異論を唱えなかったため、こうして顔も名前も知らない過去の先輩達の軌跡を探し出すことにした。
***
高校に入学してからずっと所属してきた『総合文化部』。
これといった活動はしてこなかったけれど、卒業していった先輩達や俺達を慕ってくれる後輩達と楽しく過ごして来た。この部室には数えられないくらいの思い入れがある。
そんな想い出いっぱい、なのに五人いればそこそこ窮屈になるような狭い部室を、ひっくり返すくらいに探した結果、得られた情報は特になし。見事に俺の狙いは外れた。
「なんだかんだ大掃除っぽいしたことって初めてじゃね?」
「ね。どんだけ俺達サボってたんだよな」
目当ての物を見つけることが出来なかったものの、懐かしい記憶と紐づいた物がたくさん出てきた。
総合文化部の実績が記されたものを探すという目的がなかったら、恐らく昔話に花を咲かせて時間を消費させていただろう。……いや、正直に言う。実際そうなりかけ――、そうなっていた。
昔読んだ漫画雑誌を見つけると、俺とタカオは「なっつ!」と笑い合い、過去のテストがぐしゃぐしゃに丸められているのを発見しては、あまりの低さに馬鹿みたいにはしゃいだ。
「感傷に浸っている暇あるんですか?」
突如頭上から降り注がれた冷たい声に顔を上げれば、そこにはメグミがいた。見下ろされている形になっているからか、メグミの表情からはやけに恐ろしさを感じる。
「ばっ、これはあれだって! 掃除の途中で思わず懐かしいものを見つけた時によく出るあれ!」
「……それ言い訳になってないですよね」
「むしろ自分から墓穴掘ってるよ、ジンちゃん」
必死に言う俺に、メグミだけでなく同罪であるはずのタカオまで、あからさまに頭を抱えそうな勢いだ。
このままでは部長としての威厳が落ちると思い、更に言葉を紡いでいくことにする。
「い、一応これでも探せるところは全部探したつもりだぞ。残念な結果になったから、こうして話していただけで……」
「最初からそう言ってください」
メグミがふっと息を吐くと、空気が弛緩した。俺もタカオもようやく一息吐く。
そして、場を仕切り直すように俺は咳払いを挟むと、
「メグミは何か分かったのか?」
同じ場所を探しても意味がない――ということで、捜索を分担させていた。俺とタカオは部室、メグミは職員室、シロウとカナエは図書室、といった形だ。
「……私も成果なしです。職員室に行って先生方に聞いてみたのですが、総合文化部について訊ねると首を傾げられてしまいました」
「そっか」
「でも、タカオ先輩が耳にした話については裏が取れました。文化祭を前に、非活動的な部活をなくしてしまうみたいです」
うちの高校の文化祭は、十月後半にある。やはりタイムリミットは、あと一か月ちょっとということだ。
「そんな情報、よく直接聞けたね」
「これでも優等生で通っているので」
タカオの質問に、メグミはさらっと答える。自身でも言っていた通り、メグミは成績優秀で、模範的な生徒だ。どうして総合文化部に所属しているのか分からないほどのスペックを持っている。
そんなメグミだからこそ、先生たちから総合文化部に関する情報をもらってくるのではないかと期待していただけに、芳しくない結果に少なからず落胆してしまう。
部室と職員室――、これで大本命の二つは消えてしまった。
「あとは図書室だけかぁ」
大きく腕を伸ばしながら、タカオが言う。
「大穴中の大穴ですよね。何もないことに一票入れます」
「おいおい。まだ戻ってないのも、もしかしたら情報を手に入れたからかもしれないだろ」
「本気で思ってます?」
部長としては大きく頷くべきことは分かっていたけれど、メグミの問いに言葉を返すことが出来なかった。メグミの指摘通り、図書室には何もないと心の中で思っていたからだ。
「図書室もダメでしたぁ」
「すんませんっす」
実際に一年コンビが帰って来た時の開口一番は、誰もが予想している通りのものだった。
これで状況は振り出しに戻ってしまった。いや、最初から何も動き出していないのだから、振り出しも何もないか。
「あーあ、過去の先輩たちはどうやって五年前の危機を乗り切ったんだろうなぁ」
「なー。まぁ俺達が一年の時の先輩たちが何もやっていないことは確かだな」
俺とタカオは椅子の背もたれに重心を預けながら、脱力しながらぼやく。
「ジン先輩とタカオ先輩が真面目に部活動をしている姿なんて、一度も見たことないですね」
頬杖をついて呆れるように言うメグミだが、部活中のメグミだって勉強するか読書するか雑談しているかのどれかだ。心の中だけで「メグミもな」と呟いた。
「まぁ、今の自分達も何もしてないっすからねー」
机に突っ伏しながら、シロウはぼやいた。カナエは顎に手を当てて、何かを考えているようだった。
そして、ふと思いついたように、
「そういえば、今更な疑問なんですけどぉ、総合文化部って何をするところなんですかぁ?」
いつも通りの間延びした声で、何でもないように質問を投げかけた。
カナエの疑問に答えられる人は誰もいなかった。
俺とタカオが入部した時にされた声かけは、「とにかく緩い部活だよぉ」の一点張り。勧誘の言葉に嘘偽りはなく、部室に集まって雑談することが主な活動だった。
メグミが入った理由も、静かに過ごせる場所を探していたから。
シロウとカナエが入部したのも、『五人以上いなければ自然と廃部になる』というこの高校のルールを避けるために、必死に声掛けをしたからだ。
カナエの言葉に、根本的な問題を悟る。悟ってしまった。
「この部活、そもそも何もないってこと?」
みんなが思い至ってしまった事実を、タカオが声にして言う。
そう、この『総合文化部』には明確な部活理念は存在しないのだ。活動なんて出来るわけないし、功績だって残るはずがない。おそらく五年前の精査が終わった次の年にでも、居場所を失った過去の先輩たちがグダグダ出来る部活を新しく立ち上げたのだろう。『総合文化部』という部活名だって、実際何をしているのか全く分からないけれど、それっぽく聞こえるというから付けたに違いない。
「道理で探しても何も出ないわけですね」
これで過去の活動から参考にするという選択肢は完全に潰えた。
この部活を残すために何をするべきかは分からない。どうしたら学校側に、総合文化部が有益で活動的な部活だと認めてもらうことが出来るだろう。
答えの出せない問題に、誰もがシーンと考え込んでいる。いつもは誰かの笑い声で溢れている部室なのに、こんなにも静寂に包まれているのは初めてだった。
この状況をとにかく打破したくて、ガタッと立ち上がる。みんなの視線が集まる中、
「とにかくやれることをやろう!」
「それは勿論だけどさ……、何するんだよジンちゃん」
四人の脳裏に浮かぶ疑問を代表して、タカオが問いかける。
あえてその答えを口に出さず、部室に備わっているホワイトボードに、マジックペンをキュキュキュッと走らせると、
「これだ!」
勢いよくバンっと叩きつけた。
そこに書かれた文字は、『生徒お助けキャンペーン』。
「この部活が、この高校に役立っているって証明するんだ!」
***
「調子はどうだ?」
部室に全員集まると、俺は四人の顔を見ながら早速訊ねた。総合文化部にとっては死刑宣告のような噂をタカオが部室に持って来てから、早三日が経った昼休みのことだ。
普通の進学校であるこの高校には、五年に一度、役に立たない部活を畳んでしまう精査があるらしい。
このままでは確実に潰されると踏んだ俺は、総合文化部が有用であることを証明するために、『生徒お助けキャンペーン』を考案した。
内容は単純明快その名の通り、この高校に通う生徒の助けをするというものだ。進学校ゆえに、困っている生徒もたくさんいるはずと踏んでのことだった。もしここで生徒達の力になって、有益だと認めてもらえれば、精査の対象から免れるはずだ。
方針が固まってからの、総合文化部の活動は早かった。『何でも手伝います。詳しくは、総合文化部まで!』という旨を記載したビラを、カナエが作り上げると、俺達はすぐにビラを配ったり生徒達が見やすい廊下や案内板に貼り付けた。
そして、ビラを目にした迷える生徒達を迎えようと、俺達は授業以外のほとんどの時間を総合文化部で過ごすようになった。
「どうだ――って、ジンちゃんが一番知ってるでしょ」
四人を代表して、まるで作業のように菓子パンを頬張りながらタカオが答えた。
――そう。部室で過ごすようになった時間は、今までと何一つ変わらなかった。
まだ三日という少ない時間しか経っていないけど、部室に来る人は誰もいない。普通に学校生活を過ごしていても、特別に声を掛けられることもなかった。少なくとも俺はそうだった。
もしも個別で声を掛けられている人がいればと願いを込めての質問だったが、見事当てが外れてしまったみたいだ。
昼休みということで各々昼食を取りながら来客を待っているのだが、どうも雰囲気が重い。
「あんなビラだけで、本当に来るっすかねー」
「私だったら怪しくて来れないですぅ」
「書いたのカナエでしょ。自分でそんな風に言っていいの?」
「内容が内容ですからぁ」
カナエが自画自賛しているように、第三者から見てもビラのデザイン的には文句なしだ。カナエにこんな才能があったのかと、みんな驚いた。
それでも誰もこの部室に訪れないのは、総合文化部自体に怪しさを感じているからだ。
俺は総合文化部の部員だから、この部活を当然のものだと認識しているけれど、他の人からすれば「何この部活?」って思うのも仕方がない。実際のところ、名前も知らない他の部活が急に活動すれば、同じ感想を抱いてしまうと思う。
恐らくこのまま時間が過ぎても、状況は何も変わらない。だけど――、
「まだ始めてから三日しか経っていないんだ。焦ることはないさ」
「だな」
俺の言葉に反応を示したのは、タカオだけだった。タカオは能天気に椅子の背もたれに重心を傾けている。その一方で、メグミもシロウもカナエも、考え込むように苦い顔をしていた。
三人が不安になる気持ちも分かった。
けれど、今の俺達に出来ることは全てやった。誰も部室に訪れないからといって、ごり押しするように生徒を自分からつつくことは出来ない。俺達に出来ることは、待つだけだ。
たったの三日で行動の対価を望むのは、あまりにも高望みをし過ぎてしまっている。
「でもまぁ、もしこの状況が続くようなら、さすがに次の策を考えるさ。今は他にないんだから、ひとまず待とう」
三人を安心させるように言うと、この話は終わりだと言わんばかりに弁当の残りを食べ始めた。元々能天気なタカオは言わずもがな、後輩三人達ものそのそとご飯を口に運ぶ。
こんなに暗い雰囲気だったら、仮に誰かが悩みを打ち明けようと足を運んでも、きっと回れ右して帰るだろうなと客観的に思った。だけど、それを口に出す空気ではないことは、さすがの俺も分かる。
こうして今日もまた、誰かが訪れることもなく、昼休みの時間が終わる。
いや、昼休みだけではない。放課後も変わらない。明日も、明後日も、来週も変わらないかもしれない。
結果、『生徒お助けキャンペーン』を始めてから半月ほどが経過しても、部員以外の生徒が総合文化部の扉を開くことは一度もなかった。
それはまさに、俺達の活動は誰にも見向きされておらず、この高校の役に立っていないということの証明だった。
***
この学校において総合文化部が有用だと証明するために実行することにした『生徒お助けキャンペーン』は、見事不発に終わった。
精査まで残り半月ほどあるのだから、期限ぎりぎりまで続けても良かったのだが、流石に二週間も成果がなかったものに縋る余裕は、時間的にも精神的にもなかった。
「何か案がある人はいるか?」
この部活を存続させるための策を一から練ろうと、会議の時間を設けている。マーカーを持ってホワイトボードの前に立っているけど、黒に染まることは一向にない。かく言う俺も、『生徒お助けキャンペーン』以上の案は浮かばない。
前に立っているから、みんなの顔がよく見える。
何も知らなかった半月前に比べて、明らかに表情に疲弊の色が見えていた。
総合文化部を守らないとという重圧、誰かが来るのではないかという期待、本当に誰かの助けになれるのかという不安、誰も訪れないという落胆、打開策が見出せないという失望、このまま居場所がなくなるのではないかという絶望。
様々な感情――特に負の感情を抱えながら生活をするというのは、心苦しいというものがある。ある意味、みんなの顔色が変わるのは当然とも言えた。俺の顔だって、みんなからしたら疲れたように見えているだろう。
誰も口を開かない時間が流れていく中、俺はひっそりと溜め息を吐いた。
最近の悩みの種といえば、専ら総合文化部に関することだけだ。寝ても起きても、この部活を存続させるためにはどうするべきかということばかりを考えている。
この部室で過ごす時間が好きだったから、真剣に向き合った。けれど、成果も何もなく、改善の兆しはない。ただただストレスだけが募っていく。そうなると、どうしてこんなにも悩んでいるのだろうという思いが、不思議と湧いて来る。
そもそもの話、この総合文化部が立ち上がった理由は、過去の先輩達がたむろ出来る場所を求めたからだ。特にこれといった明確な理由も大儀もない。
そんな過去の負の遺産を、わざわざ骨身を削ってまで残す必要なんて本当にあるのだろうか。
このまま精査によってなくなってしまった方が、得なんじゃないか。少なくとも、部室を求めている部活動には得しかないはずだ。
「……そうだよ」
一度考えが浮かぶと名案に思えた。そもそも頑張ってまで残す必要なんてないんだ。
小さな気付きによる呟きは、みんなの耳にも届いていたようで、頭を悩ませていた各々が顔を上げて俺を見る。
「……無理する必要なんてないんじゃないか?」
「ジンちゃん?」
マイナスな発言をする俺に、何を言ってるんだと訝しむような視線が一気に注がれた。その視線から逃れるように、何も書かれていない真っ白なホワイトボードに目を向けながら、
「むしろ俺達も被害者みたいなもんだ。俺達がこうして頑張ってまで、この総合文化部を残す必要なんてどこにもないんだよ」
一気に言葉にしたことで、肩の荷が降りたような気がした。
「確かに、そうかも。総合文化部を残すだなんて、ずっとこの部活にいて愛着がある俺とジンちゃんの我が儘かもね。もしこの部活が潰れても、三人ならもっと良い場所を見つけられるよ」
俺と同じ結論に至ったのか、タカオも同調してくれる。
何か言いたげな後輩達。実際、反論しようとメグミが手を挙げかけた。しかし、その先の言葉を俺は紡がせない。「なぁ、タカオ」と、先んじて声を出す。
「お前さ、精査だのなんだのって話、実は聞いてなかったんだろ?」
「……え、あ、うん、そうだ、そうだった」
しどろもどろながら、俺の質問の意図をタカオは察してくれたようだ。
「俺は半月前に職員室で何も聞いてないし、この部室でだって何も話してない。だから、もうこれ以上――」
「なんですか、その猿芝居」
震える声でタカオの話を遮ったのは、メグミだった。立ち上がったメグミは、まるで何かを堪えるように下を向いているため、その表情は分からない。
しかし、すぐにその答えは分かってしまった。
「そんな下手な演技で、はいそうですかって私達が――、私が納得すると思ってるんですか。私がこの場所をどれだけ大事に思ってるのか知らないから、そう簡単に言えるんです」
顔を上げて力強く語るメグミの目は、少しだけ滲んでいた。
「私にとっての学校って、窮屈で嫌だけど、無理して優等生を演じながらも通わなければいけない場所なんです。楽しくない場所だったんです。でも、この部活に入って、みんな自由に過ごせるような場所があるんだって知れて、学校に行くのが少しだけ楽になったんです。だから……、だから、私は嫌。この部活をなくしたくない」
「……」
いつものように軽口を叩かなければ、と頭で分かっていても、唇は動いてくれなかった。
まさかメグミがここまで総合文化部に思い入れを持っていたなんて。いつも淡々と部室に過ごしているから、気付きもしなかった。
タカオも俺と同じ思いを持っているのか、何も言わない。
代わりにこの空気を壊してくれたのは、
「まだ期限まで半分も残ってるっす」
いつもと変わらない口調のシロウだった。天然なのか分かってやっているのか、シロウは締まりのないように口角を上げている。その隣にいるカナエも同じだった。
「そうですよぉ。タカオ先輩が前もって情報を持ってきてくれて、メグミ先輩が正確な情報を手に入れてくれたから、精査の一か月前にせっかく動けているんですぅ」
「だから、やれるところまでやってやるっすよ」
一年生コンビの前向きな言葉に、メグミは手の甲で目元を拭った。そして、俺とタカオに目を向ける。シロウとカナエも、こちらを見つめている。力強い六つの黒瞳が、俺とタカオを掴んで放さない。
「三年生達は今年で卒業だから良いかもしれないけど、私達はまだこの場所を失いたくないです。だから、先輩達がいなくたって、最後まで――」
「良いわけないだろ」
俺はメグミの言葉を否定した。
本心を言っていいなら、高校入学してからずっとずっと過ごして来た総合文化部をなくしたわけがない。半年先の卒業を考えるだけで心苦しくなるくらい、大切な場所だ。
だけど、乗り越えるべき障害が想像よりも大きくて、心が弱くなっていた。それらしいことを理由にして、戦うことさえも諦めようとしていた。
後輩達にここまで言わせてようやく気付くなんて、我ながらなんと情けないことか。
「あー、もうっ」
俺は後頭部を掻きむしる。突発的な行動に、みんなギョッとする。
「そこまで言うなら、もう一度やってやる」
「ジンちゃんなら、そう言うと思った」
俺とタカオのやり取りに、三人は間が抜けたように「え?」と声を洩らした。
「ったく、これ以上嫌な思いをさせないように、気遣ったのに」
「ジン先輩らしくないことするから、すごく違和感しかなかったですよ」
ズバリと言うメグミに、「ほっとけ」とツッコミを入れる。すると、久し振りに部室の中に笑い声が満ち溢れた。
「カナエが言っていたように、せっかく先に動けるんだ。だったら、そのアドバンテージを最後まで活かしてやる」
「俺達の代で潰させるわけにはいかないよな」
「ここを守るためなら、やれること何でもやります」
「動くことなら任せてくださいっす」
「何だか楽しくなって来ましたぁ」
俺は拳を上に突き上げると、
「絶対この部活を潰させないぞ」
仕切り直すように声を張った。続いて、「おぉ」と四人とも声を合わせてくれる。
正直なところ、明確な打開策があるわけではない。だけど、この『総合文化部』の五人でなら何でも出来ると、強く強く確信していた。
もう、迷わない。
***
その日は突然やってきた。
「失礼します。生徒会です」
俺達の部室の扉を開けたのは、生徒会長で俺やタカオと同じクラスでもあるニイナだった。
普段足を踏み入れることのない人物の訪れ――、しかもその人物が生徒の中で一番権力の持つ人間だったら、要件は聞かなくても分かった。
「精査の報告に来ました」
ニイナの言葉を聞いて、あの噂は本当だったのだと、今更ながら実感した。この日のために今まで準備したというのに、実際に当日を迎えた俺の心境は、どこか他人事のようだった。俺以外の四人も、その顔は達観しているように見えた。
精査の対象から逃れるために考案した『生徒お助けキャンペーン』が不発に終わって、早半月。その後、部員全員で話し合って、やれることは全力でやったのだから、結果がどうなろうと待ち構えるだけだ。
ニイナはキョロキョロと部室を見渡すと、これからの発言のための間を作るかのように一呼吸入れた。まるで最後の審判のような緊迫した空気が、総合文化部を満たす。
そして――、
「総合文化部は、ちゃんと活動しているようですね」
ずっと俺達が欲しかった言葉を、言ってくれた。
「この高校に対してだけではなく、地域に対しても活動的……。うん、問題はありませんね」
ニイナは手にしていた紙に、シャッと小気味いい音を立てながらペンを動かした。
結果がどうなろうと受け入れている心構えは出来ていたけれど、総合文化部が残ると分かると、やはり嬉しい。各々労い合うように言葉を掛け合い、部室内の空気はワッと盛り上がった。
紙から目を上げたニイナと、ふと目が合った。はにかんだような微笑は、総合文化部が残っていることを祝福してくれているようだった。けど、それだけじゃない気もした。
その意図を訊ねる前に、「それでは、失礼しますね」とニイナが部室から出て行った。気付けば、ニイナの後を追って、俺も部室を飛び出していた。
廊下を出てすぐ、窓辺に寄って外を見下ろしているニイナを見つける。まるで俺が来ることを分かっていたかのように、ニイナは視線を俺の方に向けると、
「どうしたの、ジンくん」
そう悪戯っぽい笑みを浮かべながら問いかけて来た。その仕草一つで、全部分かってやっているということが分かった。
俺はふっと息を吐くと、
「会長としてじゃなくて一生徒として、一つだけ聞いていいか?」
「うん、もちろん」
同じクラスでもあるニイナとは、深くは話さないけれど、用があれば話すくらいの顔馴染みではある。
「本当に俺達の活動って役に立ってたって思うか?」
ずっと聞きたかったことだ。
方向転換してから、ひたむきに頑張って来た。最初は上手く行かなくて無視をされることも多かったけれど、次第に手ごたえを感じるようになった。だけど、続けている内に、「ただ当然のことをしているだけなのでは」という疑問が頭を満たすようになって、俺達の活動が役に立っているのかという実感がいまいち湧かなかった。
周りからの評価なんて、当事者には案外分からないものだ。
しかし、何を愚問を、と言わんばかりにニイナは肩を竦めると、
「ここから見える景色が答えだよ」
窓の外を見つめながら、ハッキリと断言した。
ニイナが言う『答え』を確かめようと窓に近付こうとしたら、
「逆に私からも質問していいかな?」
そう訊ねられてしまい、その場から動くことが出来なくなった。「俺に答えられることなら」と言うと、ニイナはにこりと微笑んだ。
「なんで『挨拶』っていう選択をしたの?」
「へ?」
思ってもいなかった疑問に、間抜けな声が漏れる。
「一か月前にタカオくんが精査の話を聞いて、それから最初の半分の時間は待ちの体制だったでしょ?」
疑問口調ながらも断定した言い方に、思わず「知ってたのか」と返した。「うん」とニイナは楽しそうに言う。
「だって、私が先生達から初めて話を聞いた時、タカオくんも職員室にいたからね。精査の話を聞いた総合文化部がどう動くか、少しだけ興味を持ってたんだ」
すると、『生徒お助けキャンペーン』をして不発に終わった時も、ニイナには知られてしまっていたのか。当時は何も思わなかったけれど、今思うと何て傲慢な活動だろうと思う。
そんな自分の愚かさを嘲笑すると、窓の外に広がる茜空に目を向けた。
「単純な話だよ。最初の方針だと何も変わらなかったから、方法を変えただけ」
再起を決意した総合文化部は、徹底的に話し合った。
分かり易いアイディアがすぐに出たわけではなかったけれど、話し合っていく内に、自分よがりな活動ではなく、高校自体を真剣に活性化させたいと願うようになった。
「その内にさ、総合文化部が目指す文化とは何かっていう根本的な疑問が湧いて来たんだ。それから、文化について考えていくうちに俺達が導き出したのは、挨拶だったんだ」
一番初めに疑問を上げたのはやはりカナエで、挨拶というアイディアを出したのはメグミだった。けれど、二人とも鼻につくことはなく、話し合いをしなければ浮かばなかったと謙遜するように言った。
「――挨拶は文化。世間一般的にもよく言われる言葉だけど、意外と根付くのって難しいよね。この高校も浸透していなかったし」
「そうそう。だから、俺達は挨拶することを主な活動にした」
時間があるわけではなかったけれど、堅実にやることが一番の近道だと思った。
最初は当然無視された。それはそのはずだ。生徒会でも何でもない奴らが、いきなり登校と共に挨拶を始めたんだから、怪しむのは仕方がない。
「俺達に関心を持ってもらうためには、先に俺達が何かしないとって思ったんだ。そうしないと何も変わらないだろ」
と言いつつも、恐らく挨拶を始めてから翌週に至るまで、状況は何一つ変わらなかった。それでも、どんなに白い目を向けられても、総合文化部から先に挨拶をすることは続けた。やめる、という選択肢はなかった。
だけど、週明けの月曜日、少しだけ状況が変わった。「おはようございます」という俺達の声に、風に紛れるような囁き声だけど「……おはようございます」という言葉を確かに耳にした。認められたようで嬉しくて、俺達は更に声を張り上げるようになった。
次第に、俺達の存在は認知されるようになり、朝の校門近くでは挨拶の声が絶えなくなった。
達成感に近い、得も言えぬ感情が満ち溢れていた。
「楽しかった?」
ニイナの単純な問いで、俺は自分の気持ちの正体に気付くことが出来た。
最初は部活存続のためとか理由を付けていたけれど、今は違う。途中から俺を満たしていたのは、単純明快だったんだ。
「ああ。この半月……、いや部活を残そうとしたこの一か月が、部活やってる中で一番楽しかった。多分、本気で向き合ったからかな」
「ふふ、だと思った」
ニイナはあざとく笑うと、窓辺から離れた。
「これからも総合文化部の活動に期待してるよ」
そして、そのまま廊下を歩き始める。まだ精査の続きが残っているのだろう、忙しいニイナに向けて俺は心の中で労いの言葉を囁く。
一人廊下の真ん中に佇んでいたけれど、そろそろ部室に戻ることにした。時折教室から漏れる楽し気な声に、俺も早く混ざりたい。今のニイナとのやり取りを伝えたら、きっともっと喜ぶだろうな。
「……っと、その前に」
俺はニイナが立っていた窓辺に近付いた。さっきニイナが言っていた『答え』とやらを確認していないことに気付いたからだ。そのまま窓の外を見る。
聞いてるこちらが自然と元気づけられるような、そんな活気にあふれた声が、校庭から響き渡っていた。
<――終わり>
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