母が癌になった話

その日は母が病院に行くというので車で送った。

すぐ終わると思って車で待っていたが中々時間がかかっていたのを覚えてる。
ようやく母が車に帰ってきて、家に車を走らせた時に大腸がんだと報告を受けた。

運転中だったのと、希望を捨てたくなくて、「そうなん」といつも通りのテンションで会話することを意識した。

家に帰ると母もぐったりしていて、僕も家にいたくなくて外に出た。
気づけば泣きながらばあちゃんの家に行っていた。
行き道で世界の色が反転したかのような錯覚を覚えた。
ばあちゃんに母の現状を伝えると、「大丈夫、きっと良くなる」と自信を持った声で言われた。

ばあちゃんもきっと不安なはずなのに、僕が落ち込まないように明るく振る舞ってくれた。

振り返ると自分の歩いてきた人生は無価値だなと気づいた。
好きだった映像も生きる為にはあまりにも無価値で自分のやりたいことの先に母を救わないと思って、映像関係の仕事への興味がゼロになった。

母が癌になる前と後で確実に自分の中の何かが変化した。

母が入院中の時、たくさんの人に助けてもらった。
職場では上司が心配の声をかけてくれたが、当時の自分の心には届かなかった(あの時は心配してくれてありがとうございました)

そんなことよりも目の前の生活が大変だったからだ。
弟と自分の朝めし、夜飯の準備、洗濯や掃除などやることは山積みだった。

当時の僕は人に相談と頼ることが苦手で、料理スキルがなかった。(夜ご飯はばあちゃんがサポートしてくれた)
弟は何も手伝わなくて腹が立ったのを覚えてる。なぜ何もしてくれなかったのか今でも疑問だがそこを責めたって仕方がないだろう。

慌ただしい生活の中でも、他の人は健やかに過ごしていることを考えると吐き気がした。インスタでは楽しいを伝えるストーリーズと投稿が流れ、友達の結婚式の招待状まで届いた時、声にならない黒い怒りが胸を熱くした。

そんな絶望的なメンタルの中支えてくれたのが友人のMだ。Mの実家はラーメン屋等こともあり、ラーメンの冷凍麺と出汁をくれ生活のサポートをしてくれた。弟もラーメンならと作ることを手伝ってくれた。
そんな人の温かさを知ることで、自○したい夜を乗り越えることができた。




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