(書く習慣)
結局、寝て起きる繰り返しだけじゃなく、起きて寝るまでのことを書くことが、私にとって大切なんだなあ、つくづく思う。
約5年間毎日欠かさずつけてきた日記というか備忘録的なものをここ半年間くらい不真面目にやっていたところ、どうも調子がおかしい。
あらゆることに敏感になりすぎる私は、敏感になるものを取り除いて寝ることがとても大事で、そうしないと、大切なものを見失いそうな感覚になる。
大切なものを拾い上げてくことを毎日どこかで感じとって、メモをしておいて、数日間温めながら、整理しながら·····継続すること。これに尽きるなあ、と。
習慣化というのは、無意識に行動や思考を繰り返す状態になること。新しい発見や違和感、に気づくこと、「どの方向性が合っているのか」を忘れないためにする行為に慣れてくことかもしれない。
書くことについて2
なにかに影響を受けつつも、自分の言葉にして書いていくことが重要なんだと思う。
最近また読書や好きな作家さんのコラムなどを読み、刺激を受ける毎日をたのしんでいる。
どうもその人の匂いがする。
そんな文章は読んでいても、美味しいものを食べたときのように、満足感や読み応えがある。
それでまた、自分のものさしが測れたりもして。
通りがかった人の日記やブログをみても、そう思う。作家だけでなく、どこか面白さ=魅力を感じてしまう文章。
ああ、いいなあ。文章って。いつも新鮮で、おもしろい。
フラットに生きていこう。と再び意識しだしてからのこと、少し気楽だ。
取り繕うことをなるべく控えて、自分が反応したくなったら素直に反応すること、本当にめんどくさく感じたらほどほどにしておくこと。なんでもかんでも反応して愛想よくしようとすると、余計なこともしてしまいやすいものだし、完全に反応をしない、と二極化してしまうと、それもそれでしんどい。ちょっと待てよ、ふむふむ…と言動を調整しながら向き合ってみると、ちょっと楽だ。
そして、話してみたいことは話してみること。
それが良いも悪いもない。話す相手によって変わってくることも多い。
そういうことを感じながら、トライアンドエラーを繰り返してみよう。どっちにしても、やってみたことには価値が生まれてくるはずだから。
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