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#6読書(&映画)ノート 吉田修一「湖の女たち」

ことの始まりは、映画の紹介をインターネットで見て「ふーんえっちじゃん」と思い、興味をそそられたので映画を見る前の予習として原作にも当たろうと思ったのだった。それまで、吉田修一は「悪人」くらいしか読んだことはなかったが、まあ読んで損することはあるまいと思っていた。

主人公の刑事と、ヒロインの介護士の人物造形は多面的かつ重層的で、このふたりの関係が発覚するかもしれないと、ドキドキしながら読んでいたことは確かなことである。人物造形は、小説を書く僕からみても100点と言ってよい。

しかし。
9割まで読んで「この物語をどう畳むのかな、ワクワク」としていたのだが、なにひとつ解決せずに終わったことに盛大な肩透かし、今までの時間と気持ちを返せと思ってしまうほどの失望を覚えた。もともと文学から入った著者ではあるけれども、もう少しエンタメを学んでくれないか。

そして鼻につくのが、過酷な取り調べをする警察、汚い過去を消去する政治家、そして731部隊の末裔という、古色蒼然たる権威の象徴を堂々と開陳しているところだ。あまりにステレオタイプすぎて赤面してしまう。しかも、政治家と731部隊はあれほど紙幅を費やしておいて、物語の結末にはまったく関係ないのだ。

ハバロフスク裁判というソ連が731部隊を裁いた裁判のことを出しているけれども、結局病死・自殺以外の被告は無事に日本に帰国しているし、あのソ連ですら裁く材料が見つからなかった裁判を731部隊の悪行を象徴する意味で使っているのも噴飯ものである。

「悪人」のときから感じていたことだが、著者は社会問題と反権威・反権力を物語に入れ込むことが物語が破綻しないことよりも大切なのではないかと思えてしまう。著者の作品は映画化されているものが多いのだが、監督はこれらの物語の何に映画化の魅力を感じたのかさっぱり判らない。

さて、小説の方はそういう感想だったので、映画もやっぱりやめようかと思っていたのだが、先払いしてしまったので暇つぶしがてら見に行った。結果は、原作を知っていたから144分の長さに耐えられたと思う。この場面だからもうすぐ終わりだなというのが判ったからだ。

率直に言って、映画の方がまだましだったと思う。薬害の話は原作だとただキャラクターの色づけにしか使われていなかったが、映画では原作よりは深掘りしている。731部隊のところも忠実に再現していたが、やはり物語全般を見て不要なエピソードだなと思う。不要というには膨大すぎるが。

映画で良かったなと思う点はふたつで、主人公の刑事が小説だと最後に見苦しく芋を引くのだが、映画の芋の引き方の方が格好良かった。そして、731部隊の末裔と養護施設連続殺人の犯人という、まったく関係ないふたつの事象を、原作ではつじつま合わせを放棄していたが、映画で因果があるような演出をしていた。こういった部分は映画の有利さだなと思う。

最後にえっちかどうかだが、えっちである。ただ、刑事が「性器をさわれ」ではなく、舞台の滋賀らしく「オメコいろうたれや」と命じてほしかった。それはともかく、物語に「思想」を最前面に押し出してはいけないなと小説書きとして思った。




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